第一章 おはよう、ベルーガ
ジャラ。
ジャラ、ジャラ。
朝だ。
ホールの照明がカッとつく瞬間——おれはいつも、その光を薄い毛布の隙間から感じる。
「おれ」というのは、五百円でも百円でもない、ごく普通の一枚のコインだ。名前はベル。喫茶ベルーガのパチスロ機二番台に住む、ちょっとしたベテランである。
「家」と呼んでいるのは、払い出し機構の手前にある、くたびれた内部クッションのくぼみだ。薄い毛布みたいなクッションは、もう何年も使われているせいでペタンコになっている。でもそこが好きだ。柔らかくて、温かくて、ほんのり誰かの手の匂いがする。
「ベルー、起きてー」
隣から声がした。
ピコだ。
ピコは昨日やってきたばかりの新入りコインで、縁がまだピカピカしている。うちのクッションの端っこに転がり込んできたとき、「あの、ここで合ってますか?!」と三回確認してきた。かわいいやつだ。
「起きてる起きてる」とおれは答えた。「今日もいい一日になるぞ、ピコ」
「いい一日って……いきなり投入されたりしないですよね?」
「される」
「えっ!!」
ピコが転がった。コロンと一回転して、毛布クッションの端に引っかかって止まる。
「大丈夫大丈夫。投入されるのが仕事だから。それが冒険の始まりだ」
「ぼ、冒険……」
ピコは「冒険」という言葉をゆっくり噛み締めた。まだ全然信じていない顔つきだ。
その奥から、ズンと低い声がした。
「うるさい」
ドンだ。
ドンは古株中の古株で、表面の刻印がすこし薄れているほどの大ベテランだ。無口で、基本的に何も言わない。でも困ったときに限って的確なひと言をくれる。おれが一番頼りにしているコインである。
「ドンさん、おはようございます!」とピコが元気よく声をかけた。
「……ああ」
「今日もよろしくお願いします!」
「……ああ」
これが普通だ。ピコはすこし気圧されていたが、まあ慣れるだろう。
「ねえベル、あの三人は何ですか」
ピコが壁の向こうを気にした。正確には「指す」ということはできないのだが、なんとなくそっちを向いた、という感じで。
「リール三兄弟だ」
「さんきょうだい……」
ドゥン、ドゥン、ドゥン——と重低音が響いてきた。
*「「「今日もいくぞーーー!!!」」」*
三つの声が揃って轟いた。リール一号、二号、三号。いつでもどこでも全力の体育会系三兄弟だ。毎朝このかけ声で目が覚める。というか目が覚めなくても聞こえる。
「うるさい」とドンが言った。
*「「「気合いっす!!」」」*
三兄弟は全く動じない。
ピコがおれの方を向いた(比喩)。「ここ……毎日こんな感じなんですか」
「そう」とおれは答えた。「喫茶ベルーガ。ここがおれたちの家だ」
午前十時。ホールの扉が開く音がした。
ゴン、ゴン、ゴン——規則的な振動がクッション越しに伝わってくる。客が次々と台の前に座り始めた合図だ。
「来た来た」とおれは言った。
「来た……?」ピコの声が一オクターブ上がる。「もう来るんですか?! 早くないですか?!」
「早い日は早い。それがホールだ」
ピコはガタガタ震えた。コインがガタガタ震えるというのは比喩的な表現なのだが、ピコに限っては本当にそういう感じがする。きっとこいつはそういう体質だ。
投入口の向こうから、ぼそりと声がした。
「また始まりか」
投入口のおじさんだ。おれたちコインを毎回受け取ってくれる存在で、長いこと二番台の入口を守っている。顔は見えないし手もないが、なんとなく「おじさん」という感じがする。ちょっと面倒くさそうで、でも必ず受け入れてくれる。そういう人だ。
「おじさん、今日もよろしく!」とおれは声をかけた。
「……またお前か」
「そう、またおれです!」
「毎日毎日飽きないな」
「飽きませんよ、冒険なんだから」
投入口のおじさんはため息をついた。長年やっているわりに、いつも少しだけ面倒くさそうな顔をする。でも絶対に誰も拒否しない。それがおじさんの仕事であり、おれはそこが好きだ。
「今日は新入りがいる」とおれは言った。「ピコっていうやつで、初陣なんです。よろしく」
「また増えたのか」
「賑やかでしょう」
「賑やかすぎる」
おじさんはそう言いながらも、入り口をすこしだけ広げた。歓迎のしるしだ、とおれは知っている。ピコはそれに気づいていない様子だったけれど、まあいつかわかるだろう。
第二章 ピコの初陣と、冒険の意味
最初の客は、がっしりした手の人だった。

台の前にドカンと座り、ジャラジャラとコインを流し込んできた。その中に、おれとピコがいた。
「い、今ですか?!」とピコが叫んだ。
「今だ!」
投入口に吸い込まれる瞬間——これが好きだ。重力に引っ張られて、スルスルッと滑り落ちていく感覚。暗くて狭くて、一瞬怖くなるけれど、その先には機械の心臓部が広がっている。
ゴゴゴゴゴ——リールが動き始めた。
*「「「いくぞー!!!」」」*
三兄弟の声が轟く。
リールというのはあのグルグル回る部分で、三兄弟はそこに住んでいる。回るたびに「いくぞー!」と叫ぶのが習慣で、止まるたびに「くそー!」か「よし!」のどちらかを叫ぶ。今日も絶好調らしい。
ピコは目を回していた。「なんか……すごく揺れません?」
「揺れるよ。これが日常だ」
「日常……これが……」
*「「「止まるぞー!!!」」」*
ズン、ズン、ズン。リールが順番に止まった。
「……チェリー、チェリー、ベル」と三兄弟が報告する。
「惜しいな」とおれは言った。
「惜しい……んですか?」ピコが首をかしげる(比喩)。「えっと、どういう意味で?」
「ベルが三つ揃えば小役成立だったんだ。そうするとコインが出る」
「出る! 払い出しってやつですか!?」
「そう。払い出しは大冒険だ。トレーに飛び出して、客の手に触れて、場合によっては床まで行ったりする」
「床!! 床ってどんな場所なんですか!!」
「広い。暗い。ちょっと怖い」
「行きたいような行きたくないような……」
「そのうちわかるよ。まず流れを覚えよう」
そのとき、ズシンと振動がきた。
二回目の投入だ。
こうして、ベルーガの午前は始まっていった。
午前中は比較的穏やかだった。
客が入れ替わり立ち替わり、少しずつコインが回る。おれとピコは何度か投入されたり、返ってきたり、ちょっとだけ払い出しに混じってトレーの端まで行ったりした。
「ほら、これが払い出しの端っこだ」とおれは教えた。
「うわあ! 広い! 明るい!」
ピコが感動している。払い出しトレーはコインにとって開けた空間で、機械の中とは別の空気が流れている。客の手の匂いや、台のプラスチックの匂い、ホールの独特の匂いが混ざって——まあ正直にいうといい匂いかと聞かれるとそうでもないのだが——それも含めて「外の世界」の証拠だ。
「どうだ」とおれは聞いた。
「すごいです」とピコは答えた。「なんか……生きてる感じがします」
「そうだろう」
それだ、とおれは思った。生きている感じ。投入されて、回って、出て、また入る。それだけのことなのに、毎回少しずつ違う。客が違えば間合いが違う。リールの止め方が違う。トレーから見える景色が違う。同じ日は一日もない。
だから冒険なのだ。
「ベル、聞いてもいいですか」
「なに」
「コインって、なんのためにここにいるんでしょう」
哲学的な質問だ。おれは少し考えた。
「楽しませるため、かな」
「楽しませる?」
「客を。あるいは機械を。あるいは……おれたち自身を」
ピコは黙った。
「難しいこと考えなくていいよ」とおれは続けた。「ジャラジャラして、回って、出て、また入る。それが楽しければ十分だ」
「……はい!」
ピコは元気よく返事をした。
そのとき、ドンがぼそりと言った。
「お前は変わらないな、ベル」
褒め言葉だと思うことにしている。
「ただいま」の話をしよう。
再投入——つまり払い出しトレーから客の手で拾い上げられ、また台に入れてもらうこと——これがおれたちにとっての「帰宅」だ。
「ただいまって、どういう気持ちなんですか?」とピコが聞いてきた。
「温かい、かな。元いた場所に戻る感じだから」
「でも毎回投入されるんですよね。ただいまの次はすぐ出発じゃないですか」
「そう。だから家って感じがするんだよ。出て行って、また帰ってくる。そういう場所が家なんだ」
ピコはしばらく黙って、それからクッションの毛布をそっと確かめるように転がった(比喩)。
「……薄いですね、この毛布」
「ペタンコだよ。ずっとそう」
「でも温かいですね」
「うん」とおれは答えた。「ずっとそう」
ドンが何も言わなかった。
それが、なんとなく、肯定に聞こえた。
第三章 隕石が降ってきた日
昼すぎ。
静かだったホールが少しずつ賑わい始めた頃、それは起きた。
*ズガアアアアン!!!*
天地が割れた——かのような衝撃が来た。
*「「「なんだーーー!!!」」」*とリール三兄弟が絶叫した。
「え?! えええ?!」とピコが転がった。
「来た」とおれは言った。
「な、何が来たんですか! 地震ですか! ベルーガが爆発しましたか!!」
「紙袋ドバッだ」
「かみぶくろ……どばっ……?」
そう。ホールの店員さんが補充用のコインを紙袋ごと——ドバアアアッと——機械の上から流し込んだのだ。
これが通称「隕石が降ってきた」事件である。
音だけでも相当なものだが、衝撃も本物だ。ドスンドスンドスンとコインが次々と降り注いで、クッションの毛布が一瞬ふわりと浮いて、おれたちは見知らぬコインたちと一気に混ざり合った。
「うわーっ!! 知らない顔がいっぱいです!!」
「そりゃそうだ。補充されたんだから」
「この人たちは誰なんですか?!」
「よそから来たコインだよ。ベルーガに転入してきたわけだ」
新入りコインたちはざわざわしていた。「ここどこ?」「二番台って初めて」「さっきまで両替機にいたんだけど」「隣の四番台の方が広かったな」などと口々に言っている。
ドンが静かに言った。「うるさい」
新入りたちが一瞬静まった。
ドンの声には不思議な迫力がある。音量は普通なのに、なぜかよく通る。
「ようこそ、喫茶ベルーガへ」とおれは新入りたちに言った。「ここはいいとこだ。リール三兄弟がうるさいけど、投入口のおじさんが頼りになるし、毛布も——薄いけど——温かい」
「毛布?」と新入りの一枚が言った。
「クッションのことです。ペタンコだけど温かいんですよ」とピコが答えた。すっかり古株みたいな顔をしている。
「ピコ、さっきまでビビってたくせに」
「も、もう慣れましたから!」
隕石降臨から一時間ほどたって、ベルーガは本格的な昼の混雑になった。
客が増え、台が次々と回り始め、コインたちは忙しくなった。投入、回転、払い出し、再投入——このサイクルが怒涛の速さで繰り返される。
そのさなかに、おれは久しぶりに「床」に行った。
客が少し慌てた動きでトレーを傾けたのだ。コインが何枚かこぼれ落ちて、おれはその一枚だった。
*ガラン!*
床は冷たかった。

タイルの継ぎ目があって、ちょっと怖かった。足音があちこちからして——ドタドタ、ズカズカ、コツコツ——「踏まれないように」という本能的な緊張が走った。
でも——
床から見上げると、台がでかく見えた。
「喫茶ベルーガ」という機種名のプレートが上の方にある。照明に照らされて光っていた。きれいだと思った。
真下から見ると機械って大きいんだな、とおれは思った。いつも内側にいるから気づかないけれど、外から見るとこんなにでかい。そしてこんなに光っている。
しばらくして、店員さんの手が下りてきた。細い棒みたいな道具でパシッとつまんで、台の上まで運んでくれた。
「おかえり」とドンが言った。
「ただいま」とおれは言った。
「どうだった?」とピコが聞いた。
「寒かった。でも台が大きく見えた」
「かっこよかったですか?」
「うん」とおれは答えた。「すごくかっこよかった」
ピコはしばらく黙って、それから言った。
「わたしも行ってみたいかも」
「そのうち行けるよ」
「床の冒険……床険!?」
「ネーミングセンス最悪だな」
*「「「床険!! いい響きーーー!!!」」」*リール三兄弟が飛びついてきた。
「おまえらも黙れ」とドンが言った。
午後の中頃になると、少しだけ静かな時間がきた。
客が入れ替わるインターバルで、台がしばし静止する。こういう時間が好きだ。ジャラジャラの合間の、ほんの短い休憩。クッションの毛布がいつもより厚く感じる。
「ベル」とピコが言った。
「なに」
「朝に聞いたこと、ちょっとわかった気がします」
「どれ?」
「楽しむためにここにいる、って話」
「ああ」
「最初は怖かったんですけど、投入されてリールが回って、払い出しで外に出たとき——なんか、すごくうれしかったんです。出てきた! って感じで」
「いいじゃないか」
「で、また投入されるときも——怖いんですけど——でも、なんか楽しいんですよね。同じことの繰り返しなのに、毎回違うっていうか」
おれは少し笑った気がした(比喩)。
「それがわかれば十分だよ、ピコ」
ピコが少し照れた(比喩)。
ドンがぼそりと言った。
「……成長したな」
ピコが飛び上がった(比喩)。「ド、ドンさんに褒めてもらえた!!」
「うるさい」
*「「「ピコ成長!! 泣ける!!!」」」*リール三兄弟も大騒ぎだ。
「三兄弟もうるさい」とドンが言った。
いつものベルーガだ。
ジャラ、ジャラ——と小さな音がして、また次の客がやってきた。
投入口のおじさんが、珍しくこちらに話しかけてきた。
「なあ、ベル」
「なんですか、おじさん」
「あの新入りは大丈夫そうか」
おれはちらりとピコを見た。ピコは今、新しく転入してきたコインたちにベルーガの説明をしていた。「毛布は薄いけど温かいです」「三兄弟はうるさいですけど頼りになります」「ドンさんは無口ですが最強です」——なかなか的確だ。
「大丈夫そうですよ」とおれは答えた。
「そうか」
「おじさん、心配してたんですか」
「……別に」
「してたじゃないですか」
「毎回ビビる新入りが来るたびに面倒だと思ってるだけだ」
「でも受け入れてくれるじゃないですか、毎回」
おじさんは黙った。
「それが仕事だからだろうが」
「でもおじさん、一回も断ったことないですよね」
「……当たり前だろう」
その「当たり前」が、おれはけっこう好きだ。
第四章 大ボーナス、全員集合
夕方になった。
ホールの照明が少しだけ変わった。昼の白い光から、夕方のオレンジがかった光へ。ざわめきが増えて、台の稼働音が重なり合う。これが「夕方ラッシュ」だ。
ピコが「なんか朝と雰囲気違いますね」と言った。
「夕方はホールが生き生きしてくる」とおれは答えた。
「なんでですか」
「みんなもうひと勝負したいんだろう。帰りたくないんだよ、この台の前から」
「なんかわかるかも」とピコが言った。「わたしも、ここから離れたくないなって思ってます」
「それがベルーガの引力だ」
「引力!」ピコが感動した(比喩)。
ドンが「引力じゃない」と言った。
「そうですよ、ただの磁力ですよね」とピコが続けた。
「磁力でもない」とドンが言った。
「……じゃあなんなんですか」
「愛着だ」
沈黙があった。
*「「「ドンさんにもそういうことが言えるんだーーー!!!」」」*
三兄弟が大騒ぎした。
「うるさい」とドンが言った。でも今日一番静かな「うるさい」だった。
そのとき、台に座ったのは細い指の人だった。
細い指の人は、静かに座って、静かにコインを入れた。ジャラ、ジャラ、と少しずつ、丁寧に。急がない。焦らない。ただ、台と向き合っている感じがした。
「この人、上手そうですね」とピコが言った。
「そうかな」
「なんか、手つきが優しいんです」
おれも感じていた。投入のされ方というのは、案外違う。急いでいる人はドサドサ投入するし、丁寧な人はゆっくりする。細い指の人は後者だった。コインのことを、ちゃんと見てくれている感じがした。
「またお前か」と投入口のおじさんが言った。
「おじさん、夕方もよろしく」とおれは言った。
「毎回毎回……」
「おじさんもうちに愛着あるんでしょう」
「うるさい」
あれ、今日のおじさんはドンみたいだ。
おじさんは受け入れてくれた。いつものように。
リールが回り始めた。
*「「「いくぞー!!!」」」*
三兄弟の声が響く。いつもより声が高い気がした。
ズン——一号が止まった。「ベル!」
ズン——二号が止まった。「ベル!!」
そこで——
時間が止まった気がした。
ベルーガの中にいるコインたちが全員、息を飲んだ(比喩)。
ピコが「あ……」と言った。
ドンが姿勢を正した(比喩)。
投入口のおじさんが「……来るか」とつぶやいた。
三兄弟の三号が、ゆっくり、ゆっくり——
止まった。
「ベル!!!」
―― *ビッビッビッビッビッ!! ドドドドドド!!!* ――
機械の中で何かが弾けた。
音楽が鳴り始めた。派手な、祭りのような、全力の音楽が。
*「「「大ボーナスーーーーーーー!!!!!!!!」」」*
リール三兄弟が絶叫した。
そこからは嵐だった。
*ドドドドドド!!*
*ジャラジャラジャラジャラ!!!*
払い出し機構がフル稼働して、コインたちが次々と吐き出された。おれもその中にいた。ピコも、ドンも、今日来たばかりの新入りたちも、みんな一緒に——
「うわあああああ!!!!」とピコが叫んだ。
「これが大ボーナスだ!!」とおれは叫んだ。
*「「「行くぞ行くぞ行くぞーーー!!!!」」」*と三兄弟が叫んだ。
「……!」とドンも叫んだ(つまり何も言わなかったが、たぶん叫んでいた気がした)。
払い出しトレーに飛び出した瞬間の、あの感覚。
狭い場所から、急に広い場所へ。暗い場所から、明るい場所へ。ジャラジャラジャラジャラ——まるで全員で走っているみたいだ。全速力で、一斉に、外へ。
細い指の人が「あっ」と小さく声を上げた。
トレーがコインで溢れていく。ジャラジャラジャラ——景気のいい音が止まらない。コインが積み重なって、輝いて、あふれて——
「ベル!! ベル、これが冒険ですか!!」
「これが冒険だ、ピコ!!」
「すごいです!! 外が見えます!! 光が!! ぜんぶキラキラしてます!!」
そうだ。ボーナスの瞬間は特別だ。ただの払い出しとは違う。全員で飛び出す、全員で叫ぶ、全員で光を浴びる——この瞬間のためにおれたちは毎日回っているのかもしれない、という気さえする。
*ドドドドドド、ジャラジャラジャラジャラ——*
音楽が鳴り続ける。
新入りたちも叫んでいた。「ベルーガすごい!」「転入してよかった!」「毛布あったかかった!!」
おれは笑った気がした(比喩)。
でもたぶん笑っていた。
やがて、払い出しが落ち着いてきた。
トレーにはコインが山になっていた。細い指の人がうれしそうに手を当てている。その手の温かさが伝わってくる。ゆっくり、丁寧に——さっきの投入と同じ手つきで、コインたちをすくい上げていった。
「いい一日だったな」とおれはつぶやいた。
「最高でした!!」とピコが答えた。「朝ビビってたのが嘘みたいです!」
「成長したじゃないか」
「ドンさんにも言ってもらえました!」
「一回しか言ってない」とドンが言った。
「一回でも最高です!!」
*「「「いい話ーーー!!!」」」*と三兄弟が叫んでいた。
投入口のおじさんがため息をついた。「賑やかだな、今日は」
「いつもと同じですよ」とおれは言った。
「同じか? いつもより五割増しでうるさい気がするが」
「気のせいです」
「……まあ」とおじさんは言った。「悪くない一日だったけどな」
それはおじさんの珍しい言葉だった。おれは少し驚いた。
「おじさんもそう思いますか」
「たまにはな。お前らが楽しそうだと、こっちも悪い気はしない」
「それ、さっきドンさんが言ってた『愛着』ですよ」
「面倒くさいコインだな、お前は」
「ありがとうございます」
おじさんはため息をついた。でも今度のため息は、すこし軽かった。
夜が来た。
ホールの照明が落ちて、静かになった。
コインたちはそれぞれの場所に落ち着いて、くたびれた毛布クッションに戻っていく。新入りたちも、今日一日でなんとなく自分の場所を見つけたらしかった。みんな思い思いに転がって、静かになっていく。
おれもそこに収まった。温かかった。ペタンコだった。でも好きだった。
「ベル」とピコが言った。
「なに」
「明日も冒険できますか」
「できるよ」とおれは答えた。「毎日できる。それがここだから」
「じゃあ……また明日も、いくぞーって言っていいですか」
「それは三兄弟のセリフだ」
「え、ダメでしたか?」
*「「「ダメじゃないぞーーーー!!!」」」*と三兄弟が遠くで叫んだ。
「うるさい」とドンが言った。
でも——おれには聞こえた気がした。
ドンの「うるさい」が、いつもより一音だけ、やわらかかった。
ジャラ。
ジャラ、ジャラ。
明日も、喫茶ベルーガは回る。
おれたちは今日も旅をする。
(了)


