A LITTLE STORY BREAK

今日の気分に、
一冊ぶんの余白を。

通勤の途中、眠る前、少しだけ立ち止まりたい夜に。
読み切れる物語を、静かな本棚から選べます。

物語を選ぶ気分で選べる、やさしい短編

無料・会員登録不要で読める、短編小説のオンライン文庫。

ほんの少し、
すこしの時間。

100 stories
気分から探す#やさしい#前向き#夜に読みたい#泣ける

新着の物語

100作品を公開中
気になる表紙からどうぞ

食・きょうだいコメディ21分

妹の餃子は、口が開く

口が開くのは、入れすぎのせい? それとも――。

十一月の「包む日」。今年は両親が旅行中で、大人になったきょうだい三人が姉・千景の部屋に集まった。ひだを五つに揃える姉の隣で、妹の七海が包む餃子は次々に口を開ける。弟は遅れて来たうえに電話ばかり。具の量か、キャベツの水分か。皮の袋とレシートを見直すうちに、三人の役目も少しずつずれていく。

#くすっと笑える#食べ物#家族
日常ミステリー19分

商店街の時計は、九分進む

九分進んだ時計が指していたのは、「今」ではなかった。

配達先の商店街のアーチ時計は、いつ見ても九分進んでいる。会長は時計を取り替える寄付チラシを頼んだが、印刷所の配達係・七緒にはその半端な数字が気になる。判をもらう約束は十四時五十分。買いたいパンの焼き上がりは十五時。仕事の合間に集めた記録と、切り落とす前の写真と、自分の足で九分の意味を確かめる。

#謎解き#商店街#お仕事
ファンタジー22分

雨粒を売る、砂漠の市

降るまでは、雨。六分ぶんの夕立を、ふたりで運ぶ。

雨を瓶に集める書庫係ニナが、砂漠の市で買ったのは降る前の雨ひと粒。銀貨一枚を出した天幕職人カリマは、自分の天幕で雨音を聞きたいと言う。七晩明ければ干からびる粒を運ぶ三日間、瓶に残したい人と降る音を聞きたい人の旅が始まる。

#わくわく#旅#魔法
家族・コメディ20分

父のラジオには、出ません

出ないと決めた娘が、父のラジオでいちばん忙しい三十分。

父が地域ラジオで「来週は娘が来ます、たぶん」と言ってしまった。出演を断った葵は、忘れ物を届けるだけのはずが、使えなくなった音当てクイズの録音を知る。声は入れない、名前も出さない。その約束で、ガラスの外から手伝うことにした。

#くすっと笑える#家族#お仕事
趣味・友情コメディ30分

負けた人から、ケーキを選ぶ

モンブランは、ひとつだけ。負けた人から選べるなら――。

月に一度の大人の卓球会。新入りを励ますための「負けた人からケーキを選ぶ」決まりは、平和だった。箱に秋限定モンブランがひとつだけ入っていた土曜日までは。自分で手抜き禁止まで言い出した負けず嫌いの私は、おやつと勝ちたい腕のあいだで空回りする。

#くすっと笑える#ケーキ#友だち
旅・友情22分

水族館では、待ち合わせない

「エイの窓で、三時に」――同じ言葉で、ちがう窓を思い浮かべていた。

まず全部見て回りたい千晶と、一つの水槽を長く描きたいふみ。幼なじみの二人は水族館で別行動にして、三時に「エイの窓」で会うと決めた。解説もスタンプも楽しんで時間どおりに窓へ来た千晶。けれど、ふみは現れない。聞き流した言葉と、見ていなかった指先から、小さなすれ違いをたどる。

#ほっこり#謎解き#友だち
ミコシリーズ第22話
コメディ・日常23分

ミコ、鉢をひとつ買う

置けるのは、二十センチ。花も葉っぱも欲しいけれど。

四月の終わりの日曜日、ベランダにひと鉢を置きたくて園芸店へ出かけたミコ。満開の花を推す声、食べられる葉を推す声、今朝測った寸法を思い出す声。かごの中はにぎやかになるけれど、置ける場所は二十センチだけ。ミコシリーズ第22話、帰りのトートが少し重くなる休日。

#くすっと笑える#買い物#休日
ミコシリーズ第23話
コメディ・旅25分

ミコ、駅弁を二つ見る

予定の鯛めしと、窓の景色と食べる一箱。

五月、ゆかりと海の町へ向かうミコ。駅弁屋には予定していた鯛めしと、掛け紙が沿線の地図になった新しい弁当が並んでいた。鉄橋は半分間に合わず、風車は反対の窓、長いトンネルはどれだろう。座って食べながら、窓の外とお弁当を一つずつたどる旅。ミコシリーズ第23話。

#ほっこり#旅#おいしい
ミコシリーズ第24話
コメディ・日常25分

ミコ、夜の動物園へ

寝ている動物の前で、いちばん張り切るのは頭の中のネムイ。

六月の土曜日、一人で夜間開園の動物園へ来たミコ。明るいうちのキリン、暗くなってからのフクロウの森。いつも寝ているネムイが「寝顔を集めます」と張り切り、予定は少しずつずれていく。夜の森の掲示には二羽。でも見つかるのは眠る一羽だけ。ミコシリーズ第24話。

#くすっと笑える#動物#お出かけ
ミコシリーズ第25話
コメディ・旅32分

ミコ、ひとりで泊まる

千五百円ぶんの海と、二つの籐椅子。

六月末、海の町の小さな宿へ一人で泊まりに来たミコ。少し高い海側の部屋を選んだのに、時間割には外出予定がぎっしり。窓辺の籐椅子に五分だけ座ったら、立ちあがれなくなった。食堂のアジフライ、天井をなでる光、翌朝の小さな当たり。ミコシリーズ第25話。

#ほっこり#旅#おいしい
坂の上シネマ第10話
日常・友情25分

売店係は、パンを買いに

休館日の売店係は、パンを一本買いに行くだけ。寄り道をしなければ。

三月の休館日。坂の上シネマの売店係・灯は、二度買い逃したミルクフランスを目指して、先輩の七海と川向こうへ。七海の狙いは十一時半の揚げたてメンチ。仕事の話をしたら、相手のおやつを一個おごる。塩の袋に足が止まる灯と、まっすぐ歩いて道を間違える七海。でき上がりと揚げたてのあいだを歩く、二人の休日。坂の上シネマ第10話。

#くすっと笑える#食べ物#友だち
坂の上シネマ第11話
日常ミステリー19分

赤い手袋が、二つとも右

忘れ物箱の「一組」は、どちらも右手でした。

三月の金曜、坂の上シネマの河合が、忘れ物箱の赤い手袋を「そろいました」と差し出した。火曜に売店で拾った片方と、木曜に客席で拾った片方。常連さんの一組だと信じているけれど、灯が並べると二つとも右手用だった。裏返しの左なのか、右ばかりなくす人なのか。札と編み目、小さな金具から持主をたどる、坂の上シネマ第11話。

#謎解き#映画館#あったかい
食・日常22分

お弁当は、交換しない

最後の一口は、渡さない。

ビルの管理人・宮下透子は、好物をお弁当の最後まで取っておく。金曜の楽しみは、肉屋のカニクリームコロッケ。ところが向かいの新人・柏木が、唐揚げ、ちくわの磯辺揚げと、次々に交換を持ちかけてくる。窓口対応や電話で箸を止めながらも、最後の一口だけは守りたい。好物を譲らない二人の、にぎやかなお昼と翌週の物語。

#くすっと笑える#食べ物#職場
日常ミステリー21分

図書館の地図に、池がある

池はない。そのはずなのに、地図には青い楕円がある。

図書館の町の地図に、知らない池がある。縮尺から測れば運動場ほどの大きさなのに、司書も散歩好きの隣人も「そんな池はない」と言う。校正者の透子は誤植だと決めかけるが、隣人の朔は「見に行ってからにしたら」と誘う。定規と歩数を頼りにする人と、猫や匂いで寄り道する人。秋の町を二人で歩いて確かめる、地図の小さな謎。

#謎解き#散歩#友だち
旅・家族コメディ23分

祖母の遠足は、寄り道禁止

「寄り道禁止」と言った先生が、いちばん立ち止まっていた。

有給の火曜日、29歳のちはるは祖母・富子に湖の町へ連れ出される。渡されたのは四ページのしおりと「二年 ちはる」の名札。おやつは三百円まで、寄り道は禁止。ところが祖母の目は、コスモスにも焼き栗にもアヒルボートにも止まってしまう。そして、ちはるにも内緒の予約があった。祖母と大人の孫が、予定と楽しみを相談し直す一日旅。

#くすっと笑える#旅#家族
ファンタジー・冒険23分

風船屋は、地下二階

空へ逃げていく町で、地べたに座る風船を探す。

砂袋さえ軽くなり、焼きたてのパンが浮かぶ上り町。風に流されて降りた気球郵便のハルネは、明日の昼までに谷向こうへ手紙を届けたい。重しを探して地下二階の風船屋へ行くが、頑固な職人は気球乗りには貸さないという。重い風船を高い所から落としてほしくない職人と、飛びたい配達人。それぞれの決まりを抱えたまま始まる小さな冒険。

#わくわく#冒険#不思議な町
猫・日常コメディ20分

猫は、リモコンを返さない

投票まで五十七分。犯人は、たぶん猫のはずだった。

料理番組の決勝を楽しみにしていた千波。視聴者投票に必要な黒いリモコンが、どこにも見つからない。前夜、テレビの前からどかされた猫のちくわが隠したのか。それとも、こたつで昼寝したい弟の仕業なのか。勝手な推理を重ねて部屋を探す姉弟と、ただ眠っている一匹。こたつを出した初日の午後、リモコンと居場所をめぐる日常コメディ。

#くすっと笑える#猫#家族
友情・日常ミステリー27分

同窓会には、遅れて行く

一分の近況リレーを避けた二人に、「見えてるからね」と連絡が来る。

卒業25周年の同窓会。近況を一分にまとめられない早苗は、リレーが終わる時刻を計算し、駅前の喫茶店で待っていた。そこへ来たのは、昔クラスを笑わせていた柴崎。同じ時刻に遅れて行くつもりの二人だったが、恩師の電車が遅れて計画は崩れる。雨の改札へ先生を迎えに行き、運ぶことになった大きな額には、二十五年前の字が残っていた。

#謎解き#友だち#くすっと笑える
ミコシリーズ第20話
コメディ・日常29分

お花見は、座ってから

桜、日なた、平らな地面。条件を増やすほど、お弁当が遠くなる。

三月の終わり、ミコはゆかりと公園へお花見に行く。おさがり市で買った木の台を机にしようと、カートへ積んだ。場所の条件は七つ。ところが池の桜には先客がいて、丘は風が強く、空いた芝生は養生中。腹ぺこのゆかりが場所探しの勝負を持ちかけ、ますます時間が過ぎていく。座ってから始まる、二人の春の午後。ミコシリーズ第20話。

#くすっと笑える#友だち#春
ミコシリーズ第21話
コメディ・日常24分

ミコ、ボウリングで待つ

すぐ投げたい人と、考えすぎる人。待つほうにも勝負がある。

四月の土曜の朝、ゆかりに誘われたミコは、五フレームだけのボウリングへ。開店三十分前から待っていたゆかりは、球を持つとすぐ歩き出す。ミコは線や隣のレーンが気になって、なかなか投げられない。退屈したゆかりが思いついたのは、相手の点数を当てる予想勝負。「書いた」と言うまで投げない約束が、二人の投げ方まで変えていく。ミコシリーズ第21話。

#くすっと笑える#友だち#勝負
坂の上シネマ第12話
日常・家族20分

ひより、招待券を持つ

誘ったのは、わたし。なのにお父さんは、ずっと上を見ていた。

商店街の福引で映画館の招待券二枚を当てたひよりは、父を誘う。先に一人で下見までして、笑うところも帰りのおやつも決めておいた。ところが父は、売店のポップコーン機に夢中になり、上映中には天井を見上げてばかり。同じ映画館で、別々の楽しみを見つける父と娘の土曜日。坂の上シネマ第12話。

#くすっと笑える#家族#映画館
坂の上シネマ第13話
日常・コメディ18分

河合さんは、踊らない

踊りたくない。でも、足が勝手に三拍子。

五月、坂の上シネマで歌の映画が始まった。上映後、客が受付で尋ねる。「歌のあと、上から三つ鳴ったのは演出ですか」。河合さんは「確認いたします」と繰り返すばかり。野崎は床を、灯は機械を疑う。休館日の靴屋で灯が見かけたのは、室内履きを真剣に試す河合さんだった。踊らない人と静かな客席の、春の喜劇。坂の上シネマ第13話。

#くすっと笑える#映画館#お仕事
坂の上シネマ第8話
日常・コメディ24分

怪獣役は、じゃんけんで

十二センチの怪獣より、映画館のほうが大きかった。

坂の上シネマの売店係・灯が、紙の町で短い怪獣映画を作る会を企画した。試しの回に集まったのは、受付と映写の河合と、高校生のひより。壊したい灯、端まで町だけを撮りたい河合、逃げない女の子を作るひより。三人の撮りたい画がぶつかるうち、ロビーに入った風が町を倒してしまう。じゃんけんで決まる最後の画と、二十一秒の上映会。坂の上シネマ第8話。

#くすっと笑える#映画館#手づくり
坂の上シネマ第9話
日常ミステリー19分

パンフレットは、二冊とも

先に読む人と、観てから読む人。最後の場面が、食い違った。

映画を知らないまま楽しみたい高校生のひよりと、先にパンフレットを読んで安心して観たい常連の澄江。同じ回を観たあと、二人が覚えていた最後の夜の場面が食い違っていた。舟を漕いでいたのはだれで、向こう岸の灯りを振っていたのはだれか。ひよりは二冊を閉じて、自分が本当に見たことを確かめはじめる。映画のあとにも楽しみが続く、坂の上シネマ第9話。

#謎解き#映画館#あったかい
食・夫婦コメディ19分

レシピ通りに、けんかする

ひとつの鍋に、レシピがふたつ。

ベランダで育てたじゃがいもを収穫した圭吾は、妻の穂波と肉じゃがを作ることにした。ところが二人とも、別々の「簡単な作り方」を持ってきていた。水を使わない夫と、水で煮る妻。一つの鍋に両方の調味料が入ってしまい、芋の味も汁も譲れない二人は、鍋を二つにしてやり直す。ほくほくの芋と、汁を吸った芋。勝ち負けを決めきれない、おいしく可笑しい土曜の夕食。

#くすっと笑える#夫婦#料理
コメディ・日常24分

ファウルボールは、あげません

打ったのは父のひいき。拾ったのは、私。

ペリカンズを応援して十四年の朋絵は、相手チームのファンである父と観戦へ。七十二試合目、初めてのファウルボールが足もとに転がってきた。父は「打ったのはブルズの八代だ」「鞄で止まった」と食い下がる。焼きそばで払う記録料、雨の中断と肉まん、最後の打席。球を誰のものにするかで言い合いながらも、応援はやめない父と娘の一夜。

#くすっと笑える#野球#父と娘
日常ミステリー20分

写真の中だけ、晴れている

雨の岬で撮った写真の中に、一枚だけ青空があった。

造園職人の稔は、折れた大枝の手当てを見ようと、妻の佐和子と雨の汐見ヶ崎へ。ところが夜、カメラの中に一枚だけ晴れた写真を見つける。写っているのは今朝買った木彫りのカモメと、十二年前に折れたはずの松の大枝。「どうやった」と聞く稔に、佐和子は「当ててみて」。疑いを口にしてしまった夫は、翌朝もう一度、撮った場所をたどる。

#謎解き#旅#夫婦
ファンタジー21分

海を渡る列車の、朝ごはん

豆を頼んだはずなのに、札はいつもの焼き鯵だった。

夜の海を渡る夜渡り号で、六十七歳の千鶴子は憧れの豆の煮込みを頼んだつもりだった。届いた札は、毎朝家で食べている焼き鯵。取り替えの窓口は五時に閉まる。焼いた魚を狙うカモメの配達員ムギと進む車両には、運河のパン舟、雪原の狐、砂丘の朝が映っている。知らない景色と朝ごはんを味わう、食いしん坊の旅のファンタジー。

#わくわく#旅#食べ物
ファンタジー22分

食器棚には、港がある

いちばん好きな皿に、船が泊まっている。

骨董市で器を買うのが好きな配車係の宇野徹。四十七個の器が並ぶ棚の、藍の深皿に小さな貨物船が泊まっていた。台所で湯が沸くと潮が満ち、器は港になる。金曜の夕潮に定期船が来るというが、その皿ではカレーを食べたい。好きな器も食事もあきらめず、ちょっと強引な船長タキと段取りを組む一週間。

#わくわく#くすっと笑える#食べ物
コメディ・日常21分

わが家の正月は、二月です

進行表は赤ペンだらけ。それでも凧は、ちゃんと上がった。

年末年始は、家族四人とも仕事だった。だから二月の日曜に「わが家の正月」をやる。ホテルのフロント係の陽介は、日の出から解散までを三枚つなぎの進行表に書いて帰省した。父は中古の餅つき機に夢中、妹は寝正月、母はおせちについてなぜか目をそらす。焦げる伊達巻、ゼロ枚の坊主めくり、手描きの凧。定刻どおりにならない休日を、四人で面白がる家族コメディ。

#くすっと笑える#家族#冬
ミコシリーズ第18話
コメディ・日常26分

当日券は、一枚で

見えない象に、いちばん大きな拍手を。

喫茶店の窓に貼られた、点線の象のポスター。二月の日曜、ミコは気になっていた舞台の当日券に一人で並ぶ。前には二人組が三組、用意された券は七枚だけだった。手に入れた一席で観るのは、見えない象の引っ越し喜劇。笑いをこらえて変な音を出したり、一人だけ拍手したり。そして休憩の十分間、舞台の隅でとんでもないものを見つけてしまう。

#くすっと笑える#観劇#一人の休日
ミコシリーズ第19話
コメディ・日常24分

ミコ、値札をつける

「相談」と書いたら、本当に相談されました。

二度しか使わなかったヨガマット、福袋の豆皿、箱に入ったペンギンのかき氷器。ゆかりと公民館のおさがり市に出るミコは、値段を決められず付箋を七枚丸め、最後に「相談」と書く。呼び込みは得意でも釣銭が苦手なゆかりと、釣銭は早いが正直すぎるミコ。勝手に始まった売上勝負のかたわら、隣の机の値札のない木の台が、どうしても気になる。

#くすっと笑える#買い物#友だち
坂の上シネマ第6話
日常20分

休館日の、試写会

休館日の客席で、映写係の腰が何度も浮く。

十二月の休館日。受付と映写を担当する河合悠は、年末の新作を、確認ではなく客として楽しみにしていた。売店の灯は鍋で作ったポップコーンを大きなボウルいっぱいに用意し、店長の野崎は仕事のちらしを抱えて客席へ。映画が始まっても、三人の仕事の癖はなかなか止まらない。坂の上シネマ第6話。

#くすっと笑える#映画館#仕事
坂の上シネマ第7話
日常・家族22分

二枚目の、半券

姉が覚えていたのは、麦茶二杯とラッパの音。

十九歳のとき、姉に連れられて坂の上シネマへ来た柴田澄江、62歳。四十三年ぶりに二人で映画を見る土曜日、あの日を再現するための五つの段取りを書いてきた。けれど姉の多恵子は、帰りに食べるはずのたい焼きをもう食べていて、覚えているのも別のことばかり。ずれていく一日が可笑しい、坂の上シネマ第7話。

#くすっと笑える#姉妹#映画館
日常・コメディ20分

コロッケは、最後に買う

いちばん好きなものは、最後に。……のはずだった。

四十四歳の校正者・秋津佐和子は、五年ぶりの好物を商店街の食べ歩きの最後に取っておく。けれど後輩の菜央は、朝一番の揚げたてをさっさとひと口。たい焼き、餃子、雨宿りのつくねと寄り道を重ね、予定表の二重丸まで雨でにじんでいく。匂いと会話と揚げたての熱でつづる、秋の一日。

#くすっと笑える#食べ歩き#商店街
旅・友情25分

日帰りなのに、歯ブラシ

日帰りなのに、歯ブラシ。その理由は、四十四歳の秘密でした。

四十代の元同僚二人が、海辺の町・潮戸へ日帰りの小旅行へ。大きなトートに歯ブラシまで入れた千景と、小さなバッグ一つの律子。十九年前から行きたかった喫茶店は定休日で、食べ歩きにも思わぬ事情があった。予定を組み直した二人は、潮が引いたときだけ現れる砂の道を歩いていく。

#くすっと笑える#旅#友だち
日常ミステリー18分

額縁の外の、青い鳥

きのうは右にいた。けさは左にいる。

休みの日に水彩を描いて六年。初めて町の作品展に出した千春の絵で、青い鳥が前日と反対側に止まっていた。熱心に写真を撮っていた隣の出品者を、思わず問い詰めてしまう。けれど彼は、自分の写真を見せて「調べましょう」と言った。絵と額のまわりを普通の観察で確かめる、趣味の楽しさを描く日常ミステリー。

#謎解き#趣味#前向き
ファンタジー・冒険26分

冬眠係の、寝坊した朝

冬眠係、初日から寝坊。迎えに行くのは、峠の巨大な「冬守」。

町の眠りを守る新任のリツが、大事な迎えの日に正午まで寝坊した。眠れないホクトと、冬を見たくて眠りたくないユズハを連れて峠へ急ぐ。けれど巨大な冬守は、凍った鏡池の真ん中で昼寝中。日没までに連れ帰らないと、町は春まで寝不足になる。リツの背負い袋には、誰にも言えなかった冬の楽しみが入っていた。

#わくわく#冬#冒険
ファンタジー・冒険25分

風見鶏は、北へ行きたい

九十年、北を向いてきた。今日こそ、その先へ歩く。

写真館の屋根から下ろした銅の風見鶏が、屋根屋の鳴海に「一度でいいから北へ行きたい」と頼む。動けるのは風が吹く間だけ、進めるのは風上へだけ。地上では迷ってばかりの鳴海にも、三度引き返した北端の標柱と、買ってみたい燻製りんごがあった。持ち主の許可をもらった二人は、北風の日に町を歩き始める。

#わくわく#旅#不思議
家族・コメディ27分

兄の結婚式は、平服で

「平服で」と言われた妹、新郎新婦とまさかのおそろいに。

兄から届いた結婚の食事会の案内は、ご祝儀なし、平服で。会場に電話し、食後にボウリングをすると知った妹・衿子は、古着屋で緑のシャツを見つける。ところが当日、新郎新婦もチームシャツ姿だった。「投げる前に一言」の決まりで家族の挨拶がほどけ、兄妹対決も始まる。この二人らしい祝い方の、にぎやかな一日。

#くすっと笑える#家族#勝負
ミコシリーズ第16話
コメディ・日常25分

マイクは、まだ返さない

間奏は、飛ばさない。

一月の行き先を決めるのは、ゆかりの番。内緒のカラオケは、とっくにミコにばれていた。好きな歌を十四曲メモしたのに、まずは無難な一曲へ逃げてしまうミコ。7分42秒と9分12秒、どちらが先かの譲り合いが始まる。知らない歌も長い間奏も、二人きりの七号室で最後の一音まで楽しむ、ミコシリーズ第16話。

#くすっと笑える#友だち#音楽
ミコシリーズ第17話
コメディ・日常27分

今日は、何もしない予定です

何もしない日は、思ったより忙しい。

一月も終わりに近い日曜日。ミコはカレンダーにまで「何もしない」と入れて、読みかけの本と音楽、窓の光の四角、おもちを楽しみにしていた。けれど頭の中の五人は時間割を作り、本は行方不明、ようやく座ると雲がやってくる。食器はあしたの係にして、光を追って座布団ごと引っ越す、少し欲張りな一人の午後。ミコシリーズ第17話。

#くすっと笑える#読書#休日
坂の上シネマ第4話
日常19分

ひよりの席は、まだ決まらない

「わたしの席」だと思っていたのは、わたしだけだった。

坂の上シネマで初めて映画を見てから五週間。高校二年の宮下ひよりは、自分のおこづかいで選んだ映画を見に、土曜の二回目へ出かける。ところが、「わたしの席」と思っていたD列の左端には予約の印が。常連の柴田さんと予約の主を推理するうちに、ひよりは、この映画をどこで見たいのかを自分で確かめはじめる。坂の上シネマ第4話。

#ほっこり#映画館#自分の楽しみ
坂の上シネマ第5話
日常21分

同じ映画で、笑えなくても

いちばん好きな映画で、となりの人は笑わなかった。

坂の上シネマの売店係・灯は、休みの日に前の職場の先輩・七海を、自分が何度も笑った映画にさそう。赤いソファが玄関を通らないだけの、とびきりのコメディ。ところが隣の七海は、ソファの場面で笑わない。灯は図まで描いて「笑いどころ」を説明し、もう一回見ようとまで言い出してしまう。好みのちがう二人の、坂の上と坂の下の一日。坂の上シネマ第5話。

#ほっこり#映画館#友だち
日常20分

大人のお子さまランチ

旗を立てたいのは、ライス? それとも、プリン?

校正の仕事をしている44歳の千景は、休日に友人3人と「大人のお子さまランチ」を作る。ノートには、自分で描いた一枚の皿の設計図。丸いチキンライスに旗を立てて、写真を撮って食べるはずだった。ところが、旗はプリンに立つもの、新幹線のお皿、おもちゃこそ本体、と4人の記憶はばらばら。崩れるドームと傾く旗の、おいしいコメディ。

#くすっと笑える#料理#友だち
日常20分

母の初ライブは、二階席

付き添いのつもりだった。母のほうが、ずっと先輩だった。

63歳の母からライブに誘われた34歳の早紀。娘が好きだったからチケットを取ってくれたのだろう、一人では心細いのだろう。そう思って付き添いを引き受けた。ところが当日、母が着ていたのは1998年のツアーTシャツ。財布から出てきたのは、更新シールの重なった会員カードだった。二階席で始まる、母と娘それぞれの初めてのライブの夜。

#あったかい#家族#音楽
ミステリー22分

雨なのに、乾いた傘

雨の夜、貸し出した傘が、一度も開かれずに戻ってきた。

港町の宿・汐見屋で夜番をする27歳の透。楽しみは、初めて送ったメールが深夜のラジオで読まれること。その夜、灯台へ出かけた客に渡した七番の傘が、いつの間にか傘立てへ戻っていた。外ではずっと雨樋が鳴っているのに、傘は折り目の奥まで乾いている。空欄の返却帳、靴跡、向きの変わったスリッパ。乾いた傘が残した、小さな夜の謎。

#謎解き#ほっこり#雨の夜
ファンタジー21分

雲を干す、木曜日

六週間かけて染めた雲。空に出せるのは、半分としましま。

空に近い町・雲棚町で、雲を洗って干す職人のミオ。六週間かけて染めた自分の雲を、夕方の祭りに出すつもりだった。ところが乾ききる前の雲が突風でほどけてしまう。先輩のトモエと二人、三時の鐘までに町じゅうへ散らばった糸雲を集めなければならない。取り戻せた雲は小さくなり、色もしましまに。それでもミオは、広場へ向かう。

#わくわく#不思議#ものづくり
ファンタジー26分

猫の市役所は、昼寝中

窓口は昼寝中。案内係は寄り道中。それでも、月の広場へ行きたい。

バスツアーの行程を組んで20年の澄子は、雨上がりの路地で猫だけの市役所を見つける。壁の地図には、何も描かれていない「月の広場」の丸。行ってみたいと思って通行申請書を書くが、窓口の三毛猫は昼寝中。案内係の白黒猫も、蛾を追い、紙袋に入り、寄り道ばかり。段取りが通じない町を、自分の好奇心で歩く、ふしぎな夜の冒険。

#わくわく#猫#くすっと笑える
コメディ・日常23分

うちの猫には、推しがいる

私のことは半目。隣の人には「んるる」。

校正係の古賀頼子は、四歳の茶トラ猫あられと二人暮らし。ある朝、あられが隣の坂巻さんにだけ、聞いたことのない甘い声で鳴くのに気づく。通路の「点検」、キャットタワーの模様替え。大人げない作戦はどれも空回りして、とうとう隣人へ手紙を出してしまう。猫の好みも自分の嫉妬もそのまま抱えて続く、小さな暮らしのコメディ。

#くすっと笑える#猫#ご近所
ミコシリーズ第14話
コメディ・日常21分

手加減しないって、言ったから

予習してきたゲームで負けて、知らないゲームで勝った土曜日。

「次はミコの番」の約束を果たすため、ミコは友人のゆかりをボードゲームの店へ誘う。時刻を書いたしおりを用意して、電車の遅れや冷たい風まで謝ってしまうミコ。けれど本気のゆかりは、手加減してくれない。しおりにないゲーム、十秒のタイマー、取れない延長。くやしくて、楽しくて、少し疲れた一日。ミコシリーズ第14話。

#くすっと笑える#友だち#ゲーム
ミコシリーズ第15話
コメディ・日常23分

タンバリンは、まだ鳴らない

鳴らさないあいだも、曲はちゃんと進んでいる。

十二月の合奏体験に、自分で申し込んだミコ。目立たないように「小さな打楽器」を選んだはずが、渡されたのはいちばんにぎやかなタンバリンだった。一回目は早すぎ、二回目は待ちすぎ。頭の中の五人まで拍子を数えはじめて——。音の残り方と待つ楽しさを見つける、ミコシリーズ第15話。

#くすっと笑える#音楽#挑戦
坂の上シネマ第1話
日常20分

ポップコーンは、塩から

映画館の売店に入ったばかりの灯は、自分の大好きな「スパイス黒糖」で人気投票に勝つつもりだった。

坂の上の小さな映画館で売店に入った三浦灯は、夜ごと自分の部屋で作り込んできたスパイス黒糖のポップコーンを、館の新しい味にしたい。新作の初日、キャラメルとの人気投票に挑むが、静かな場面の多い映画の暗がりで、甘く辛い匂いと黄色い指は音のようにはまぎれなかった。負けた灯が選んだのは、自分の味を薄めることではなく、売る場所と時間を変えること。そして、地味だと思っていた塩から始めることだった。

#ほっこり#映画館#おやつ
坂の上シネマ第2話
ミステリー19分

最前列に、だれも座らない

予約帳には親子の名前。映写室の窓から見下ろす最前列には、だれもいない。

坂の上の小さな映画館で受付と映写を担当する河合悠は、映写室の小窓から客席の頭の動きを見るのが好きだった。ある土曜の最終回、いちばん前の席を予約した親子が確かに入ったはずなのに、窓から見る最前列には頭ひとつない。数えると、売れた券より二人足りない。もぐりこんだ客か、それとも自分の目か。翌朝、同僚と客席を試した河合は、窓からは見えない場所と、そこで起きていた小さな迷惑を知る。

#謎解き#映画館#親子
坂の上シネマ第3話
日常24分

エンドロールの、つづき

四十三年通った映画館の案内役。持ち時間は五分。話したい思い出は、便箋八枚ぶんあった。

坂の上の小さな映画館に四十三年通う柴田澄江は、はじめて来る人のための回で、上映前の案内を頼まれた。うれしくて書いた思い出は、予行で二十分を超えてしまう。はじめて館に入る高校生のひよりが知りたかったのは、お手洗いの場所と、途中で出てもいいのかと、映写室の中だった。古い半券に残る姉の字から、澄江は自分の「いつもの席」の理由を思い出す。案内のあと、客席に座ったひとりの客として、澄江はこの作品の最終上映を楽しむ。

#ほっこり#映画館#世代をこえた友情
家族20分

母が買った、青い自転車

赤ペンで何百回も直した鳥の名前を、母は自分の目で見に行く。

定年退職した芳江は、青い電動自転車を買った。行き先は川向こうの野鳥観察会。かつて会報の校正で何度も直した『コガモ』を、本当に見たくなったのだ。ところが最初の遠出は、帰りの坂で電池が切れてしまう。心配する娘と少し頑固な母が、送迎だけに頼らない新しい約束を探す、可笑しく温かな家族の短編。

#前向き#親子#野鳥観察
ファンタジー21分

竜のくしゃみと、朝のパン

竜の息で焼くパン屋の、いちばん長い朝。

竜の息で石窯を温める町の焼き場。新人のリツは初めて朝の窯を任された。相棒の竜ススが吹ける長い息は、ひと朝に四つまで。予備が残れば、自分のくるみパンも焼けるはずだった。ところが長い息の途中でくしゃみが出て、窯の熱が乱れてしまう。限られた息、待っている客、ずっと焼きたかったパン。失敗と選択を描く、おいしい相棒ファンタジー。

#わくわく#パン#相棒
ミステリー22分

二度鳴った、閉館のチャイム

閉館のチャイムは一日に一度だけ。なのに『二回聞いた』と言う中学生がいる。

町の資料館で、閉校した小学校の特別展を任された千晴。毎日十六時五十分、その学校の楽器を録音した閉館チャイムが流れる。ところが常連の中学生が『昨日は二回鳴った。二回目はもう外にいた』と言い出した。音を聞いた場所、鍵の行き来、毎朝撮る展示の写真。いつもと同じ合図を聞き直す、温かな日常の謎。

#謎解き#音#あったかい
日常23分

猫の似顔絵は、似ていない

模様は全部合っているのに、知らない猫の顔をしていた。

取扱説明書の図を描く千尋は、画材店の公募展に飼い猫・親方の肖像を出したい。けれど、三晩かけて写真から描いた猫はどう見ても『よその猫』。目の前で描こうとすれば背中を向け、おやつを持てば顔を袋に突っこむ。モデルになる気のない白黒ハチワレと、壁に自分の名前を飾りたい三十六歳の、少し欲張りな趣味の物語。

#くすっと笑える#猫#大人の趣味
日常20分

合鍵を返す、日曜日

二人で借りた部屋の鍵は、二人で返したい。

六年一緒に住んだ亜紀とみのりが、部屋を明け渡す最後の日曜日。予備の鍵が見当たらず、退去の立ち会いはいつの間にか亜紀ひとりの役目になっていた。割り勘の電動ドライバー、持ち主を知らなかった脚立、みのりが差し出す新居の合鍵。荷物と役割を分け直し、それぞれの楽しみに向かう、大人の友情の短編。

#友だち#新生活#余韻
ミコシリーズ第12話
コメディ・日常23分

その写真には、わたしもいる

「撮るほうが落ち着く」も、本当だったけど。

卒業して六年。大学のゼミ同期六人が、昔よく通った洋食屋に集まることになった。ゆかりも来る。気づけばミコは五台のスマートフォンを順番に預かり、いつもの撮る係に。撮るのは好きだし、みんなも楽しそうだ。でも、持ち寄った学生時代の写真には、自分の影しか写っていなかった。次の集合写真には、わたしも入りたい。言い出すまでと、そのあとが、どちらも大事件になる日曜日。

#前向き#くすっと笑える#友だち
ミコシリーズ第13話
コメディ・日常20分

勝ちたいって、言っていい

「すみません」と言ったけど、すみませんとは、少しも思っていなかった。

仕事帰りの第二会議室で、手作りの果物カードゲームに誘われたミコ。勝っても負けてもいいつもりだったのに、先輩が待っていた札を取る指が、なんだか軽い。最後の一手を前に、親切に見える手と、自分が勝ちたい手のあいだで迷う。相手は、何を考えているのか読めない後輩の瀬戸さん。頭の中の五人も予想していなかった、小さな負けず嫌いの発見。

#前向き#くすっと笑える#職場
日常15分

開店前のまかない三人分

三人で同じ朝ごはんを食べたかった。三人とも、朝が違った。

小さな喫茶店で働きはじめて三週目の結は、一週間、朝のまかないを任される。理想は、三人で座って同じ一皿を食べること。ところが店主の沖さんは二口でフォークを置き、菓子担当の真壁さんは「あとで」とオーブンへ向かう。張り切った二日目には、思わぬ失敗まで。予算は一日六百円、作る時間は二十分。結は二人の朝を、もう一度よく見てみることにする。

#ほっこり#朝ごはん#仕事仲間
日常16分

読まない読書会

四年前に買った最終巻。読めたのは、まだ三行。

大好きだった長編ファンタジーの最終巻を、千夏は四年間、帯をつけたまま本棚に置いている。公民館の図書室の読書会に「好きな一冊」で申し込んだものの、毎晩開いては三行目で眠ってしまう。断りに行った図書室で出会ったのは、詩を三編しか読まない人と、毎日長編を読む厳しい常連だった。

#ほっこり#本#自分の時間
家族15分

父のプリンはすこし固い

父のプリンは、母のとは全然ちがう。固くて、苦くて、失敗作だと思っていた。

半年ぶりに実家へ帰った葵。冷蔵庫には、父が作ったプリンが三つ。湯のみに入ったそれは、固くて、カラメルが苦い。喫茶店のプリンを四十七軒食べ歩いてきた葵は、父が母のとろとろのプリンを再現しようとして、うまくいっていないのだと思う。卵を減らして、火を弱めて、と口を出す娘。「これがうまいんや」と聞かない父。日曜日の台所に、二人で立つことになる。

#じんわり#親子#おやつ
ファンタジー15分

雲の港ではじめての配達

届け先の市が、風で流れていった。

雲の海に浮かぶ港ソラナギで、見習い配達人のハルが初めて一人で預かった荷は「雨瓶」。小さな雨雲を閉じこめたガラス瓶を、日没までに渡り市のドウマ婆さんへ届けなければならない。ところが、朝の位置札に書かれた場所に、市はなかった。口の悪い渡し舟の漕ぎ手ロクと、雲鳥を追って空の市を探す、一日だけの配達の冒険。

#わくわく#冒険#相棒
ミステリー15分

焼き菓子店の空っぽの箱

一時間前に詰めたガレット八枚が、リボンを結んだまま消えていた。

焼き菓子店「こみち」で包装と受渡しを担当する澪は、夕方、予約の箱にカードを添えようとして手を止めた。軽い。リボンをほどくと、中は空っぽだった。一時間ほど前、自分の手で焼きたてのガレットを八枚詰めた箱。結び目は、自分の結び方。店主の「店頭が足りん」という言葉、新人アルバイトの落ち着かない手、予約帳の余白。澪は、箱と帳面とレシートを見比べはじめる。

#謎解き#お菓子#お仕事
ミステリー15分

星見荘の開かない朝

彗星まで、あと十五分。観測窓を開けるハンドルが、消えていた。

高原の小さな宿・星見荘。千景は、明け方の三十分だけ見える彗星を、宿の観測小屋の望遠鏡で見るために、半年前から予約していた。前の晩、宿の主人と客たちと一緒に望遠鏡を整え、観測ノートに作業を記録した。ところが翌朝、観測窓を開けるためのハンドルが、小屋からなくなっていた。彗星が山の端から出るまで、あと十五分。

#謎解き#星空#高原の宿
日常15分

猫が先に引っ越してきた

荷ほどきの前に、いちばん日当たりのいい部屋は、もう猫のものだった。

鉄道の保線の仕事を定年まで勤めた久雄は、坂の町の古い平屋へ越してきた。日当たりのいい六畳の窓辺に、鉄道模型の線路を敷くのが、いちばんの楽しみだった。ところが段ボールを開ける前に、その陽だまりの真ん中で、大きな鯖白の猫が寝ていた。追い出しても、戸を閉めても、なぜか戻ってくる。猫には、この家での長い午後の習慣があった。

#くすっと笑える#猫#ひとり時間
ファンタジー16分

夜空の仕立て屋とほどけた星

祭りの前の夜、星が一つ、ほどけた。

港町トワイルの天幕祭の夜、広場の上空には、町の人が一年に一つずつ頼んだ星飾りが光る。仕立て屋の見習いリツは、前の晩の試し掛けで、鍛冶屋オルガさんの「金槌の星」をほどいてしまった。一度ほどけた星糸は、光が半分になる。十年前の完成図どおりに縫い直そうとするリツに、縫うのが下手な相棒のジンは「遠くから見たら、塊にしか見えない」と言う。月の出は、二十時十分。

#わくわく#ものづくり#相棒
スポーツ15分

日曜日の補欠たち

お茶当番四年目。二十四年ぶりに、グラブをはめた。

日曜日の朝は、ずっと息子の少年野球のお茶当番だった典子。高校のソフトボール部では三年間補欠で、公式戦の打席に一度も立てなかった。地域の女子ソフトボールチームに誘われて、二十四年ぶりにグラブをはめると、フライは額に当たり、同じ日に入った年下の片山さんのほうが先に上達していく。地区大会まで四週間。典子は、日曜の朝六時半のグラウンドへ通いはじめる。

#前向き#挑戦#ソフトボール
日常15分

帰りの電車でパンを割る

全員の希望を入れた行程表で、わたしだけ、何も見ていなかった。

大学の同期三人が、三年ぶりに港町へ日帰り旅行に出かける。幹事の環は、分刻みの行程表を作った。早紀は名物のパン屋に並びたい。千尋は岬に座って絵を描きたい。全員の希望を一つ残らず入れたはずの一日は、パン屋の七十分待ちから少しずつずれていく。環が急かすたびに、千尋は黙っていく。帰りの特急は、十七時五十二分。

#ほっこり#旅#友だち
ミステリー16分

六冊目の、行き先

九時四十分には、白い前足の猫だった。

自分が「読んでよかった」と思った六冊を手放す、一日だけの本の交換会。主人公の夏帆は、朝の光で六冊を撮り、新しい持ち主の手に渡る瞬間も全部写真に残すつもりだった。ところが開場して三十分、右端の一冊が、同じ題名の違う本に替わっていることに気づく。

#あったかい#謎解き#本
ファンタジー18分

帰路の設計図

鐘が鳴るたび、扉の行き先が変わる。ただし、でたらめではない。

二時間ごとに鐘が鳴り、扉の行き先が変わる迷宮街。時計修理屋の真柴透は、仕事に必要な古い歯車を探しに、荷運びの組の頭・凪と街へ入る。凪の依頼は「うちの若いのが毎日使える帰り道」。言い伝えを試し、文字盤を記録し、透は扉の規則に近づいていく。

#わくわく#謎解き#仕組み
ミコシリーズ第11話
コメディ・日常15分

「どこでもいい」の、つづき

「どこでもいいよ」と返したら、候補が七つになって返ってきた。

大学時代の友達・ゆかりから「土曜、会わん? どこ行きたい?」とメッセージが来た。ミコは「どこでもいいよ」と返す。ゆかりと会えるなら、本当にどこでもよかった。ところが、ゆかりから届く候補は三つ、そして七つに増えていく。

#前向き#くすっと笑える#友達
ミコシリーズ第10話
コメディ・日常16分

試着だけで、帰っていい

「似合ってます」に「ありがとうございます」と言うたび、買う人になっていく。

会社の冷房よけに、夏の羽織りを探しに来たミコ。小さな服屋の店員・安田さんは、試着するたびに「似合ってます」と言い、色違いまで持ってきてくれる。どれも素敵だった。でも、どれも探しているものとは少し違った。親切にしてもらったあとで、「今日は買いません」と言えるだろうか。

#前向き#くすっと笑える#買い物
ミコシリーズ第9話
コメディ・日常16分

教える係は、教わる顔をしている

十二ページの手順書に、いちばん大事な一行が書いてなかった。

中途で入った瀬戸さんに、半日だけ、毎週の備品発注を見せることになったミコ。前の晩に作った手順書は十二ページ。読み上げても、瀬戸さんはうなずくだけで、質問を一つもしてこない。わかっているのか、わかっていないのか。今度は自分が、誰かを緊張させる側にいた。

#前向き#くすっと笑える#職場
ミコシリーズ第8話
コメディ・日常16分

二人一組の、みじん切り

隣の包丁が速すぎて、わたしの仕事がなくなっていく。

単発の料理教室で、初対面の古賀さんと二人一組になったミコ。にんにく一かけの皮をむいているあいだに、古賀さんの包丁は玉ねぎもピーマンもなすも刻み終えてしまう。返事は短く、顔も上げない。気づけばミコの手には、たたんだ布巾しか残っていなかった。

#前向き#くすっと笑える#料理
ミコシリーズ第7話
コメディ・日常16分

目的地まで、あと二つ

道は知っている。足が知っている。口が知らない。

梅雨の晴れ間の土曜日、駅前で熊本から来た姉妹に道を聞かれたミコ。行き先の小さな資料室は、毎週前を通る道にある。知っているはずなのに、説明しようとすると「いつも曲がるところ」に名前がない。地図は南が上。目印のたい焼き屋は、シャッターが下りていた。

#前向き#くすっと笑える#道案内
ミコシリーズ第6話
コメディ・日常18分

インターホンまで、三歩半

隣の部屋まで、三歩半。いちばん遠い三歩半だった。

四月の土曜の朝、突然の宅配便に慌てたミコは、隣の部屋宛ての荷物を受け取ってしまう。中身は「なまもの・掘りたてのたけのこ」。お隣の中園さんとは、会釈しかしたことがない。インターホンまで、たった三歩半。頭の中の五人が、今日も全員会議を開く。

#前向き#くすっと笑える#ご近所
日常SF20分

町内会の議事録に、来年のことが書いてある

来年の議事録に、自分の字で「全会一致で廃止」と書いてあった。

町内会の書記を押しつけられた森下航は、議事録帳の白いはずのページに、来年一月の会議の記録を見つける。書いてあるのは自分の字で、「夏祭りを全会一致で廃止」。続けたい人もいるのに、なぜ全会一致になるのか。未来の一文を変えようとした航は、会議に来られない人や、断れない人の事情にぶつかっていく。

#くすっと笑える#ちょっと不思議#少し苦い
商店街コメディ25分

閉店セールは三回目

今度こそ閉める。返せていないものを、ひとつずつ。

祖父の金物店を閉めるため、週末ごとに帰省する奈緒。けれど商店街の人たちは、三度目の閉店セールを誰も信じていない。棚卸しで見つかったのは、二年放置された鍋、名前だけの箱、持ち主のわからないやかんのふた。数えて、返して、引き継いで。店を閉める日までの、少しおかしな家族の物語。

#くすっと笑える#家族#余韻を楽しむ
ミコシリーズ第4話
コメディ・日常14分

ミコ、忘年会の幹事になる

頭の中は大混乱。でも、幹事は待ってくれない。

極度の臆病者・齋藤ミコが、断れないまま会社の忘年会幹事を任されてしまった。店選び、電話予約、集金、乾杯、締めの挨拶。頭の中の小人たちが大騒ぎするなか、意外なひとりが初めて頼れる英雄になる。

#前向き#くすっと笑える
あったかい日常20分

三階の、誰も座らないベンチ

届かない場所に、母は言葉を残していた。

母の葬儀から半年。遺品整理を続ける奈津は、古い日記に繰り返し記された駅ビル三階のベンチを訪ねる。誰にも届かないはずの掲示板に、母が残していた言葉とは。すれ違った十年を静かにたどる、苦さと温かさの残る物語。

#やさしい#夜に読みたい
ミコシリーズ第5話
コメディ・日常14分

電話が怖い、コートが大きい

電話一本が、コートよりずっと重かった。

ネット通販で届いたコートは、ミコには明らかに大きすぎた。交換期限はあと一日、問い合わせ窓口は電話だけ。42個の想定質問、自動音声、12分の保留を前に、頭の中の小人たちと臆病なミコの長い一日が始まる。

#前向き#くすっと笑える
ミコシリーズ第3話
あったかい日常18分

三週間目の、白い待合室

病院に行くだけで、今日は大勝利。

三週間続く咳を不安に思いながらも、内科の予約を入れた齋藤ミコ。受付、問診票、名前の訂正、診察、薬局での質問、そしてコンビニの「袋いりますか」まで、ひとつひとつの小さな場面に心の本部が大騒ぎする。完璧ではなくても、ちゃんと行けた一日を描く短編。

#前向き
ミコシリーズ第2話
あったかい日常17分

三ヶ月ぶりの戦場

美容室は、ミコにとって小さな戦場だった。

三ヶ月ぶりに美容室を予約したミコ。確認電話、押すか引くかわからないドア、髪型の注文、施術中のトイレ申告、次回予約の断り方。ひとつひとつは小さな出来事なのに、ミコの心の本部では大事件ばかりが起きていく。全部うまくできたわけではないけれど、帰り道のミコは少しだけ軽くなっていた。

#前向き
ミコシリーズ第1話
あったかい日常12分

ドアひとつぶんの全員会議

怖いまま、ドアだけ開けてみる。

初めての店に入るのが苦手な齋藤ミコは、気になるカフェの前で何度も足を止める。頭の中ではシンパイ、ダイジョブ、キオク、ハラヘッタ、ネムイたちが全員会議を開き、入店をめぐって大騒ぎ。過去の失敗や不安に揺れながらも、ミコはついに扉の取っ手に手を伸ばす。

#前向き
感動5分

金木犀がほどけるまで

ほどけない悲しみに、秋の香りが触れる。

祖母を亡くして二週間、うまく泣けないまま街を歩いていた葛城みつきは、金木犀の香りに導かれるように古い喫茶店へ入る。壁に並ぶ写真、静かな老店主、金木犀入りのほうじ茶。過去と現在のあわいで、みつきの胸に固まっていた悲しみが少しずつほどけていく。

#やさしい#夜に読みたい#前向き
あったかい日常2分

光の残像

古いフィルムに残っていた、祖母の夏。

商店街の奥にある辻写真館へ、岸本さくらは祖母の遺品から見つかった古いフィルムを持ち込む。店主の辻義雄は、写るかどうか分からないと告げながらも現像を引き受ける。一週間後、現れた写真には、若き日の祖母が海辺で笑う姿が残されていた。夕焼けと温かなスープの中で、さくらは知らなかった祖母の時間にそっと触れる。

#泣ける#夜に読みたい
あったかい日常15分

喫茶ベルーガ大冒険記

一枚のコインが見つけた、毎日の大冒険。

喫茶ベルーガのパチスロ機二番台に住むベテランコインのベル。新入りのピコ、無口な古株ドン、騒がしいリール三兄弟、投入口のおじさんとともに、投入、払い出し、床への落下、そして大ボーナスを経験していく。小さな機械の中で繰り返される一日が、ベルたちにとってはかけがえのない冒険になる、にぎやかで温かな超短編。

#前向き
少し不思議13分

最後の一回転、きみに賭ける

古いコインが見つけた、最後の大当たり。

古い遊技台「喫茶ベルーガ2号機」の中で長く過ごしてきた一枚のコイン、べる。隣に新台「777ロマンス」が入り、新入りコインのロマと出会ったことで、静かだった日々は少しずつ色づいていく。けれど、喫茶ベルーガの撤去が決まり、残された時間は七日間。最後の一回転を前に、べるはロマへ伝えたい想いを抱える。

#泣ける#夜に読みたい
人情・日常28分

土の味

失った味覚を、土と雨がほどいていく。

料理人として十二年を過ごした麻衣は、ある日突然「おいしい」が分からなくなり、東京を離れて香川の山あいの集落へ移住する。台所に立てないまま眠る日々の中、隣人のひさ、はるこ、とよと畑で過ごし、土に触れ、不格好な野菜を食べるうちに、麻衣の中の小さな感覚が戻り始める。評価ではなく、自分の体が感じる「おいしい」を取り戻す再生の物語。

#前向き
ROMANCE21分

赤ペンの余白

消せない誤植が、愛の余白を照らす。

文芸編集者の芹澤梓は、完璧な校正と締め切りを守ることにすべてを捧げていた。けれど黒木忍の新作ゲラに、本文とは無関係な一文が現れる。「ちゃんと俺のこと、見てる?」。消しても消えない言葉は、同棲相手・悠とのすれ違いを映し出していく。赤ペンでは直せない感情と向き合う、静かな再生の恋愛短編。

#やさしい#泣ける#前向き
カフェ・食べ物5分

誰かが灯りをともしていた

閉店する喫茶店。彼は何を追い求めていたのか

商店街の喫茶コトノハが閉店する。そこで最後の数ヶ月だけ働いた青年、水上慶。彼は閉店後の店裏で何をしていたのか。オーナー、常連客、元同僚…彼らの証言から浮かび上がる慶の姿は、それぞれが少しずつ違う。古い地図、片方の手袋、そして冬の灯油のにおい。彼が探していたもの、残したものは何だったのか。閉店後の喫茶店を舞台に、人々の記憶が織りなす、どこか寂しくも温かい物語。

#泣ける#夜に読みたい
短編小説22分

コインの向こう側

嘘の裏側に、真面目な愛があった。

出版社で働く水瀬さくらは、会社員だと思っていた夫・航の収入や行動に小さな違和感を抱いていた。ある日、夫のバッグから見つけた収支ノートをきっかけに、航がスロットで生計を立てていることを知る。戸惑いながらもホールで夫の真剣な姿を見たさくらは、隠されていた夫の“もう一つの顔”と向き合っていく。

#やさしい#前向き
あったかい日常5分

引き継いだ夏

受け継いだのは、夏を待つやさしい音楽。

商店街の夏祭り係を引き継いだ二十六歳の僕は、亡くなった坂本さんの覚書と古いレコードを見つける。準備に戸惑いながら、彼が残した音楽リストを使って祭りを迎えた夜、僕は一度しか会ったことのない人の思いやりに静かに涙する。

#泣ける#前向き
カフェ・食べ物5分

古い鍵と、夕暮れのスープ

開かない鍵が、夕暮れの味を連れてくる。

町を撮り続ける奏は、亡き祖母から託された真鍮の古い鍵を見つめながら、台所で野菜のスープを作り始める。夕暮れの路面電車、湯気、醤油の隠し味。祖母の記憶に触れながら、奏は失われた場所ではなく、これから自分が誰かへ手渡せる温かさに気づいていく。

#泣ける#夜に読みたい#前向き
カフェ・食べ物5分

真鍮の春

片方だけの手袋が、春の光を連れてくる。

父の遺した楽器店を片付けていた琴葉は、古いジャケットのポケットから真鍮の鍵と片方だけの青い手袋を見つける。閉店間近の和菓子屋「月見堂」を訪れた琴葉は、練り切りの甘さに父との記憶をよみがえらせる。蓮子さんの言葉をきっかけに、父が残していたもう一つの贈り物へとたどり着く、静かな再生の物語。

#泣ける#前向き
少し不思議2分

冬の地図に、しるしをひとつ

空白だった場所に、冬のしるしを。

海辺の案内所で働く私は、自分だけの手書き地図に町の小さな名所を書き足していた。しかし、三年前に母を待ち続けた北の端の灰色のベンチだけは、ずっと空白のままだった。ある冬の朝、白いコートの老女が残したレモンケーキと一枚のメモをきっかけに、私は珈琲を持ってその場所へ向かう。

#夜に読みたい#前向き