第一章
夕方の四時をすぎると、写真館のガラス戸に橙色が差し込んでくる。
辻写真館は商店街の一番奥にある、小さな店だった。壁には歴代の卒業写真や婚礼の白黒写真が飾られ、カウンターの奥では現像液のかすかな匂いが漂っている。入ってきた人は決まって、「なつかしい」と呟いた。
店主の辻義雄は六十九歳。いつも古びたエプロンをつけたまま客を迎えた。
その日の客は、二十代とおぼしき若い女性だった。
「古いフィルムの現像をお願いしたいのですが」
彼女は、くたびれた茶色い封筒を差し出した。
「祖母の遺品の中から出てきたんです。何が撮ってあるかわからないんですけど……」
辻は封筒をそっと開け、中を確かめた。三十五ミリのフィルムが一本。日付の印字はもう読めなかった。
「現像できるかどうかは、やってみないとわかりません。古いフィルムは、何も出てこないこともある」
「それでもいいです」と彼女は言った。「あったかもしれないものを、見てみたいんです」
辻は静かにうなずいた。名前を確認すると、岸本さくら、と書いた。
「一週間、いただけますか」
彼女は夕焼けの中に帰っていった。
第二章
一週間後の同じ時間、さくらは再び店を訪れた。
「できましたよ」
辻はカウンターに小さな封筒を置いた。
封筒を開けるとき、さくらの手が少し震えた。
中には十数枚の写真が入っていた。海辺で肩を並べて笑う、若い女性たちの姿。夏の光の中で、誰かに向かって手を振っている一枚。

「……おばあちゃんだと思います」
声が揺れた。
「若いですねえ」と辻は言った。「お嬢さんが生まれる前でしょうか」
さくらは写真を一枚ずつ、丁寧に見ていった。
辻は奥へ引っ込み、しばらくして湯気の立つカップを二つ持って戻ってきた。
「毎日この時間にスープを作るんです。よければどうぞ」
さくらは驚いた顔をしてから、小さくうなずいた。
スープはシンプルな野菜の味だった。ただそれだけなのに、体の芯がほぐれていくような温かさだった。
「おばあさん、よくここに来てくれてたんですよ。フィルムを一本撮りきるたびに」
「知らなかった」
「人が亡くなると、知らなかったことばかりが出てくるものですよ」
辻は窓の外を見た。夕焼けが商店街をゆっくりと染めていた。
さくらは両手でカップを包んだまま、もう一度写真を見た。祖母の笑顔が、橙色の光の中にあった。
その笑顔は、自分に向けられているような気がした。


