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コメディ・日常

ミコ、忘年会の幹事になる

頭の中は大混乱。でも、幹事は待ってくれない。

読了目安
14分
長さ
中編 8,000〜12,000字
#前向き#くすっと笑える
ミコ、忘年会の幹事になるのイメージ

あらすじ

極度の臆病者・齋藤ミコが、断れないまま会社の忘年会幹事を任されてしまった。店選び、電話予約、集金、乾杯、締めの挨拶。頭の中の小人たちが大騒ぎするなか、意外なひとりが初めて頼れる英雄になる。

第一章

十二月に入った月曜の朝、給湯室でコーヒーを淹れていたミコに、先輩がふらりと近づいてきて言った。

「今年の忘年会、ミコさんお願いね」

軽い、あまりに軽い声だった。まるで「そこの醤油取って」と言うのと同じ温度で。

ミコは口を開いた。「あ、あの、わたし――」

「よろしくね」

先輩はすでに背中を向けて歩き出していた。断る隙も、迷う隙も、そもそも「え」と言う隙すらなかった。

コーヒーカップを両手で持ったまま、ミコは給湯室の隅で固まった。頭の中では、いつもの五人がすでに騒ぎ出している。

「これは危険です。非常に危険です」と真っ先に声を上げたのはシンパイだった。手には模造紙のようなものを抱えていて、そこには「予約が取れなかった場合のシミュレーション」という文字が躍っている。

「大丈夫、大丈夫! ミコさんはもうカフェも美容室も病院も乗り越えてきたんだから」ダイジョブが胸を張る。声だけは毎回頼もしい。

「思い出した。中学の学級会で司会をやったとき、誰も意見を言ってくれなくて、ミコが焦って変なこと言って笑われたやつ」キオクがすかさず再生ボタンを押す。「あと高校のカラオケで一人だけ歌えなかったやつも」

「今それ関係ある?」ハラヘッタが眠そうにあくびをしながら口を挟む。「とりあえずお腹すいた」

隅っこでネムイはすでに舟をこいでいる。まだ出番ではないと分かっているのだろう。

その日の夜、ミコは自宅のちゃぶ台で「忘年会 幹事 やること」で検索した画面とにらめっこしていた。店選び、人数確認、予約、当日の司会、会計。文字にすると五つしかないのに、頭の中では五十くらいの分岐に見える。

まず店選びだ。会社のグループチャットに「忘年会のお店、候補いくつか出しますね」と打ち込み、送信ボタンを押す。次に「アレルギーとか、食べられないものがある方いますか」と続けようとして、指が止まった。

もし誰も答えなかったらどうしよう。既読だけついてスルーされたら。逆に十人くらいから一斉に返信が来たらどうさばこう。シンパイが横で「甲殻類アレルギーの人がいるのに個室が海鮮メインの店だったらどうしますか」と新しい模造紙を追加する。

結局ミコは「アレルギーとか、食べられないものがある方いますか」の一文を三回書いて三回消し、最終的に「食べられないものがあれば、こっそりわたしにだけ教えてください」という、全体には聞けなかった代わりの一文を送った。

――誰にも聞けなかった、という事実だけが残った。

それでも三人からこっそり返信が来て、ミコは胸を撫で下ろした。ダイジョブが「ほら、聞かなくても伝わるものなんだよ!」と自慢げに言うので、ミコは心の中で「いや聞いてないから」と突っ込んだ。

店は無事に決まった。会社から歩いて七分の、個室のある居酒屋。あとは電話で予約するだけ。ただの電話。ただの、電話。

受話器――ではなくスマホの通話ボタンを、ミコは十分間見つめていた。

「かけるだけです。かけて、名前と人数と日時を言うだけです」シンパイが台本を読み上げる。「もし満席だったら? もし店員さんが不機嫌だったら? もし滑舌がおかしくて聞き返されたら?」

「大丈夫だよ、ミコさんならできる」ダイジョブが背中を押す。

意を決して発信ボタンを押した。呼び出し音が三回鳴って、店員の元気な声がした。

「はい、居酒屋ふくろうです!」

「あ、あの、忘年会の予約をしたくて」声が思ったより上ずった。

「ありがとうございます! 何名様でしょうか」

「十――」

言いかけて、頭が真っ白になった。十二人だったか、十三人だったか。さっき見たはずの人数がどこかに飛んでいった。キオクが慌ててファイルを漁っている音がする。

「じゅ、十二名です!」

声が思い切り裏返った。電話の向こうで、店員さんが「かしこまりましたー」と特に気にした様子もなく答えてくれたのが、唯一の救いだった。

電話を切ったあと、ミコはしばらくスマホを両手で握りしめたまま動けなかった。全身から力が抜けて、床に座り込む。

「や、やった……終わった……」

頭の中では、シンパイの模造紙が一枚破られ、ダイジョブが小さくガッツポーズをしていた。キオクだけが「でも、あの声の裏返り方、学級会のときと同じだったね」と余計なことを言っている。

第二章

予約から二日後、グループチャットに新着メッセージが表示された。

「すみません、急遽もう一人参加できることになりました! よろしくお願いします!」

ミコの心臓が、ひゅっと縮んだ。十二人で予約したばかりだ。十三人に増える。もう一度、あの電話をかけ直さなければならない。

「無理です。無理です。もう一回あの電話は無理です」シンパイが即座に匙を投げた。珍しいことだった。

「い、いや大丈夫、大丈夫だから」ダイジョブの声にも、心なしか震えが混じっている。

キオクは何も言わず、ただ静かに「学級会」というラベルのファイルを取り出しかけて、シンパイに止められていた。今はさすがにそのタイミングではない、と全員が薄々分かっていた。

ミコはスマホを持ったまま、ソファに三十分座り続けた。かけなきゃ、かけなきゃ、と思うほど指が動かない。「今度は何名様ですか」と聞かれて、また声が裏返ったらどうしよう。「増えるなら早く言ってください」と怒られたらどうしよう。

――それでも、当日になって「実は一人多いんです」と店で言うよりは、今かける方が絶対にいい。それだけは分かっていた。

深呼吸を三回。四回目でようやく発信ボタンを押した。

「はい、居酒屋ふくろうです!」

「あ、あの、先日十二名で予約した者なんですが」

「はい、承っております」

「じ、実は一名増えまして、十三名でお願いできますか」

言い切った瞬間、体中の空気が抜けた気がした。店員さんは「かしこまりました、十三名様ですね」とあっさり答えてくれて、電話はものの一分で終わった。

拍子抜けするくらい、あっさり。

「な、なんだ……あっさり……」ミコがつぶやくと、ダイジョブが「ほら見たことか! 大丈夫だったでしょ!」と胸を張る。シンパイだけが「次はもっと増えるかもしれません」とまだ模造紙を捨てていない。

そして迎えた忘年会当日。

宴もたけなわ、みんなが楽しそうにグラスを傾ける中、ミコは会の最後、会計係として一人一人からお金を集めていた。封筒と電卓と、これのために新しく買った小銭入れを机の下に忍ばせて。

一人目、二人目と順調に集まっていく。ところが五人目の、部署でいちばん声の大きい先輩が、財布を覗き込みながらこう言った。

「あ、ごめん、ちょうどないんだけど」

千円札しかなくて、会費は四千五百円。お釣りを渡さなければいけない。ミコは慌てて小銭入れを開けた。――五百円玉が、一枚も入っていない。

「え、あ、あの……」

頭の中が真っ白になる。財布ごと自分の全財産を差し出しそうになる指を、シンパイが必死に押さえている。

「自腹を切ってはいけません! それは会計の基本ルール違反です!」

「で、でも、待たせてる時間の方が申し訳なくて……」

ミコの手が、無意識に自分の財布に伸びかけたその瞬間。

「――両替、してきます!」

声を上げたのはハラヘッタだった。普段は「お腹すいた」しか言わないハラヘッタが、この日だけは妙にキビキビしていた。

「お店の人にレジでお願いすればいいんです。飲食店なら絶対両替できます。むしろ料理の相談ならわたしに任せてください」

ミコは操られるように立ち上がり、店員さんに「すみません、両替お願いできますか」と声をかけた。あっさり快諾された。何のことはなかった。

「な、なんだ……」ミコが呟くと、ハラヘッタが誇らしげに胸を張った。「ほら、こういうのはわたしの得意分野なので」

第三章

会が始まってすぐ、幹事挨拶とともに乾杯の音頭を振られることは、実は事前にシンパイが三十七パターンの想定問答を用意していたはずだった。ところが本番、司会から「では乾杯の挨拶を幹事のミコさんに」と振られた瞬間、シンパイの模造紙は一枚残らずどこかに消え失せた。

「え、あ、えっと……今年も一年、お疲れ様でした……えっと……」

頭の中は真っ白を通り越して、真っ白すら見えない状態だった。ダイジョブが「がんばれー!」と叫んでいるが、応援と中身は別物だ。

「乾杯!」

とりあえずグラスを掲げて、なんとか着地させた。拍手が起きたので、多分、失敗ではなかったのだろう。ミコは椅子に座り込んで、初めて自分の心臓の音を自覚した。

宴はそこから加速していく。みんなよく食べ、よく飲み、よく笑った。ミコがおろおろと料理の減り具合を確認しながらメニュー表とにらめっこしていると、隣の後輩が言った。

「ミコさん、唐揚げもうないですね。追加どうします?」

答えに詰まるミコに代わって、頭の中で誰かが一歩前に出た。

「追加、いきましょう。唐揚げ一皿、あと枝豆と、あっちのテーブルの減り方見るに焼き鳥の盛り合わせも追加で」

ハラヘッタだった。今日二度目の登場。しかもこの日に限って、迷いが一切ない。

「え、そんなにすぐ決められるの?」ミコが驚くと、ハラヘッタは当然のように言った。

「食べ物のことなら任せてください。これがわたしの本業です」

店員さんを呼び止めて、ハラヘッタの指示通りにミコが注文を通す。追加された料理はどれもタイミングばっちりで、テーブルからは「おっ、ナイスタイミング!」という声まで上がった。

その瞬間、頭の中の空気が一変した。

「ハラヘッタ……お前、こんなに頼れるやつだったのか」シンパイが、初めて模造紙を下ろして呟いた。

「今日のMVP、ハラヘッタで決まりだね」ダイジョブが親指を立てる。

キオクまでもが「学級会の記憶とか出す場合じゃなかった、今日はハラヘッタの日だ」と静かに頷いている。

頭の中で、ハラヘッタが小さく三人に胴上げされているイメージが浮かんだ。粗末な椅子の上に立たされ、照れ臭そうに手を振るハラヘッタ。ミコは思わず一人で口元を緩めた。

宴が終わりに近づき、幹事挨拶と締めの一本締めの時間が近づいてくる。同時に、司会から声がかかった。

「このあと二次会、行く方は挙手お願いしまーす!」

ぱらぱらと手が挙がる。ミコは自分がどうしたいのか、実はよく分かっていなかった。行きたい気もするし、もう電池が切れている気もする。誰にも「ミコさんはどうするの」と聞かれていないのに、なぜか一人で延々と悩み始めた。

行くべきか、帰るべきか。幹事だから行った方がいいのか。でも二次会のカラオケで何を歌えばいいのか。高校のときの記憶がまたキオクによって再生されそうになる。

結局、まわりが盛り上がって流れで会計や移動が進んでいく中、ミコはずっと心の中だけで一人会議を続けていた。誰も待っていない結論を、一時間近くかけて出した。

――行こう。行って、静かに隅で座っていよう。

第四章

二次会のカラオケボックスは、狭い部屋に大音量のイントロと、酔った同僚たちの笑い声で満たされていた。ミコは隅の一人掛けソファに収まって、ウーロン茶をちびちび飲みながら、頭の中の五人の様子を確認していた。

シンパイは今日何度目かの燃え尽きで、模造紙の束を抱えたまま船を漕ぎ始めている。ダイジョブも「今日はもう出番ないかな……」と目をこすっている。ハラヘッタだけは満足げに「今日は活躍したので、もう寝ます」と早々に横になった。

そしてネムイは、というと――誰よりも先に、爆睡していた。

大音量の音楽の中でも微動だにせず、ミコの意識の隅で静かにいびきをかいている。締めの挨拶がもうすぐだというのに、まったく起きる気配がない。

「ね、ネムイ、そろそろ……」

心の中で呼びかけても反応はない。ミコの手元には、家で何度も書き直した締めの挨拶メモが折り畳まれて入っている。今日という日のために、三日前から少しずつ書き足してきたものだ。

司会が「そろそろお時間なので、幹事のミコさんから締めの一言を」と声をかけたのは、ミコがトイレに立とうとした、まさにその瞬間だった。

「え、あ、はい……!」

慌ててメモを取り出そうとしたが、ポケットの中で丸まってしまっていて、文字がにじんでよく見えない。頭の中は再び真っ白になりかけた。

その刹那、ネムイが目を覚ました。

寝ぼけ眼のまま、たった一言だけ発した。

「……短く言え」

それだけ言うと、また寝てしまった。

助言というには短すぎたが、逆にそれがちょうどよかった。ミコは丸まったメモを見ることを諦め、目の前にいるみんなの顔を見た。

「え、えっと……今日は、来てくれて、ありがとうございました。お店とか、料理とか、いろいろ至らないところもあったと思うんですけど……楽しんでもらえてたら、嬉しいです。それでは、一本締め、いきたいと思います!」

グダグダだった。自分でもそう思った。用意していた気の利いた台詞は、結局ひとつも出てこなかった。それでも、パン、パパン、パン、と手拍子が鳴り響いて、会はあたたかく締めくくられた。

帰り道、ミコは一人で駅までの道を歩きながら、ポケットの中で丸まったメモをそっと開いた。何度も書いては消した跡が、消しゴムのカスのように滲んでいる。結局一度も、ちゃんとした形では読まれなかった紙。

小銭入れも同じだった。会計のとき以来、一度も出番のなかったそれを、ミコはコートのポケットの中でそっと握りしめた。

翌週の月曜、給湯室でコーヒーを淹れていると、あの先輩がまたふらりと近づいてきた。

「今年の忘年会よかったよ。店ナイスだったね」

軽い、あまりに軽い声だった。まるで「そこの醤油取って」と言うのと同じ温度で。

でもミコにとっては、その一言が、この一年でいちばん大きな出来事のように感じられた。

「あ、ありがとうございます……!」

先輩はまた背中を向けて去っていった。ミコはコーヒーカップを両手で持ったまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

その日から一週間、ミコはその一言を何度も何度も頭の中で反芻した。夜、布団に入ってからも、電車の中でも、ふとした瞬間に「店ナイスだったね」がよみがえって、一人でにやけてしまう。

頭の中では、ハラヘッタが小さな椅子の上で、シンパイとダイジョブとキオクに胴上げされていた。

「ハラヘッタ、お手柄!」

「今日はお前が主役だ!」

照れ臭そうに手を振るハラヘッタの後ろで、ネムイだけは我関せずと、また静かに眠っていた。

ミコは机の引き出しの奥に、あの丸まったメモと、一度も出番のなかった小銭入れをそっとしまった。来年また幹事を頼まれるかどうかは分からない。それでも、もし頼まれたら――そのときはきっと、今よりほんの少しだけ、うまくやれる気がした。