← 本棚へ戻る
ファンタジー

夜空の仕立て屋とほどけた星

祭りの前の夜、星が一つ、ほどけた。

読了目安
16分
長さ
短編
#わくわく#ものづくり#相棒
夜空の仕立て屋とほどけた星のイメージ

あらすじ

港町トワイルの天幕祭の夜、広場の上空には、町の人が一年に一つずつ頼んだ星飾りが光る。仕立て屋の見習いリツは、前の晩の試し掛けで、鍛冶屋オルガさんの「金槌の星」をほどいてしまった。一度ほどけた星糸は、光が半分になる。十年前の完成図どおりに縫い直そうとするリツに、縫うのが下手な相棒のジンは「遠くから見たら、塊にしか見えない」と言う。月の出は、二十時十分。

第一章 ほどけた柄

天幕祭の前の夜、広場の上で、星が一つほどけた。

月は、もう東の空の高いところにあった。試しに掛けた星飾りは、月の光を受けて、本番と同じ明るさで光っていた。

強い風が、港のほうから吹き上げてきた。試しに掛けた星飾りが、網の天幕の下で大きく揺れた。リツは、地面から見上げていた。夜色の丸い布に、星糸で縫った金槌の形。柄の付け根のあたりで、糸が一本、ぴん、と跳ねるのが見えた。

次の瞬間、柄の糸が、するすると抜けはじめた。

光る線が、布から外れて、夜の中に垂れ下がった。星糸は、布に張って縫い留めているあいだだけ光る。外れた糸は、垂れながら、ゆっくり暗くなっていった。

夜の広場の網の下で、光る糸で縫われた金槌の飾りから、糸が一本ほどけて垂れ下がっている。

「下ろして!」

リツは叫んだ。綴工房の親方のサヨが、滑車の綱を引いた。星飾りが、ゆらゆらと下りてきた。

リツは、布を両手で受け止めた。

金槌の頭は、無事だった。柄が、なかった。柄の付け根の、結び目のあった場所に、糸の端が一本、だらりと垂れていた。

リツは、その結び目を、自分が結んだのを覚えていた。

昨日の夕方。時間がなくて、最後の一か所だけ、手早い仮結びで済ませた。いつもの癖だった。急ぐと、結び目を一つ、軽くする。今まで、それでほどけたことはなかった。

「リツ」

サヨは、何も言わずに、垂れた糸の端を指でつまんだ。それから、リツを見た。

「仮結びやね」

「……はい」

「明日、月の出は二十時十分。わたしは一日、天幕の組み立てで広場におる。工房は、あんたに任せる」

サヨは、それ以上は言わなかった。叱りもしなかった。叱られないほうが、リツには重かった。

港町トワイルの天幕祭は、年に一度の夜だった。

広場の上空に、大きな網の天幕を張る。そこに、町の人が一年に一つずつ頼んだ星飾りを吊るす。星糸は、縫って張れば、工房の灯りの下でもほのかに灯る。けれど、本当に光るのは、月の光を受けているあいだだけだ。祭りの夜、月が昇ると、天幕の星飾りがいっせいに明るくなる。町の夜空に、一晩だけの星が増える。

星飾りを縫うのは、綴工房の仕事だった。

一年前、注文を受けると、工房は糸巻きを一つ、注文主の家に預ける。注文主は、それを一年間、自分の家の窓辺に置く。糸巻きは、夜ごとにその窓から入る光を吸って、星糸になる。だから、一つの注文には、一巻きの星糸しかない。ほかの家の糸は使えない。その家の窓の光でしか、その人の星は光らない。

工房では、縫い終わっても糸巻きに少しだけ星糸を残しておく決まりだった。直しのための、四分の一ほど。

リツが工房でいちばん好きなのは、星糸が光る瞬間だった。

長い銀の星針に糸を通して、夜色の布に刺す。布の裏から引いて、糸をぴんと張る。張りきった瞬間、糸の中に、ふっと小さな光が灯る。月の下で見る光の、何分の一かの、試しの光。それでも、蝋燭に火が移るみたいに、針の通った跡から、次の跡へ。木の丸枠に張った布の上で、一本ずつ、光の線が増えていく。その瞬間を見たくて、リツはこの仕事を選んだ。

ほどけた金槌の星は、鍛冶屋のオルガさんの注文だった。

十年、毎年、同じ金槌の星。工房の棚には、十年前にサヨが描いた完成図が、いつも同じ場所に置いてあった。

リツは、その夜、工房に戻って、完成図を作業台に広げた。

(元に戻す。前と同じに)

リツは、古い完成図をそっくりに縫うのが得意だった。工房に入って四年、それがリツの誇りだった。図の線を一ミリも狂わせずに、昔の星を、今年もそのまま夜空に戻す。

ほどけた糸を、布から抜いた。

指に巻いて、数えた。

柄の糸は、オルガさんの星糸の、三分の一くらいだった。一度ほどけた星糸は、光が半分になる。手の中の糸は、まだかすかに光っていたが、隣に並べた無事な糸と比べると、はっきり暗かった。

糸巻きに残しておいた四分の一の強い糸だけでは、柄の分に足りない。金槌の頭に縫われている強い糸は、布から抜けば、それも光が半分になる。

暗い糸で、柄を縫い直すしかない。

リツは、完成図を見下ろした。金槌の頭は明るく、柄だけが暗い星。

(……それでも、前と同じ形にはなる)

リツは、そう思うことにした。

第二章 遠くから見る目

朝の八時、工房の戸が開いて、ジンが入ってきた。

親方の甥で、十九歳。工房に来て一年になるが、仕立ては、はっきり言って下手だった。星針を持たせると、三針に一回は指を刺す。糸を持たせると、絡ませる。それでも毎日工房に来るのは、サヨに言われているからで、本人がやりたいのは、仕立てではなかった。

ジンは、天幕全体の、どこにどの星を吊るすかを描く「天幕図描き」になりたかった。毎晩、広場の鐘楼に上って、天幕を見下ろしている。

「昨日の金槌、ほどけたって?」

「仮結びがほどけた。わたしの」

リツは、星針に暗い糸を通しながら言った。

「柄だけ暗い糸で縫い直す。形は、完成図どおり」

ジンは、作業台の上の完成図と、布を見比べた。何か言いかけて、やめた。

リツは、本番の布に縫う前に、端切れの布を小さな丸枠に張った。暗い糸を一本、柄の長さだけ縫って、その隣に、強い糸を一本、同じ長さだけ縫った。本番で失敗して、ほどき直すわけにはいかない。ほどけば、暗い糸は、もっと暗くなる。

張る。光は灯る。でも、強い糸の線と並べると、暗い糸の線は、ぼんやりと沈んで見えた。

リツは、丸枠を少し離して見た。

強い糸の線が、明るく光っていた。その隣の暗い線は、作業台の上でさえ、線というより、暗い隙間のように見えた。

(……近くで見ても、これ)

リツは、その考えを、頭の中から押し出した。完成図どおりの形なのだから、これでいい。

十時、オルガさんが来た。

五十八歳。日に焼けた、太い腕の人だった。去年までは、工房に来るとき、いつも鍛冶場の煤の匂いがした。今日は、しなかった。少し、足を引きずっていた。

リツは、布と完成図を見せて、説明した。

「前と同じ金槌に、縫い直します。ほどけたところの糸は、光が半分になってしまったので、柄の部分だけ、少し暗くなります。すみません。わたしの結び方の失敗です」

オルガさんは、布を見た。それから、完成図を見た。

「……それで、ええよ」

そう言った。

でも、言いながら、オルガさんの目は、完成図から、すっとそれた。窓のほうを見た。窓の外の、港のほうを。

リツは、それに気づいた。気づいたけれど、聞かなかった。

「今夜までに、間に合わせます」

「頼むね」

オルガさんは、ゆっくり帰っていった。

昼の十二時。ジンが、鐘楼から戻ってきた。手に、去年の天幕図の写しを持っていた。

「リツ、ちょっと見て」

ジンは、天幕図を作業台に広げた。広場の上の網に、小さな丸がたくさん描いてある。それぞれの丸に、星の形が、小さく。

「オルガさんの金槌は、ここ。網の、東の端」

ジンは、一つの丸を指さした。

「下から見上げると、すごく遠いんだ。鐘楼から見ても遠い。去年、ここから見たら、金槌の形、分からなかった。中まで糸で埋めてあるから、光の塊にしか見えなかった」

「……完成図は、塊じゃない」

「近くで見たらね。遠くから見たら、塊。それで、今年は柄だけ暗いんだろ。遠くから見たら、塊の横に、穴があいてるように見えると思う」

リツは、針を置いた。

「じゃあ、どうしろっていうの」

「線だけで縫ったら? 中を埋めないで、形の線だけ。線なら、遠くからでも形が分かる。糸も少なくて済む」

リツは、ジンを見た。

「ジンは、縫えないでしょ」

言ってから、しまったと思った。

ジンは、少し黙った。それから、天幕図を丸めて、言った。

「縫えないよ。だから、見てるんだ」

ジンは、工房の隅の椅子に座った。それきり、何も言わなかった。

リツは、完成図を見た。十年前のサヨの線。一ミリも狂わせずに縫ってきた線。

それから、窓の外を見た。

さっき、オルガさんが見ていた方向。港のほう。

港の手前に、鍛冶場がある。

第三章 金槌はもう持たん

十三時。リツは、鍛冶場へ行った。

鍛冶場の炉には、火が入っていた。金床の前で、若い男の人が、赤く焼けた鉄を叩いていた。カン、カン、と高い音が響いた。火花が、四方に散った。

オルガさんは、鍛冶場の入口の丸椅子に座って、それを見ていた。

「弟子のトーマ。この春から、鍛冶場はあの子のもの」

オルガさんは、リツが聞く前に言った。

「膝がね。金床の前に一日立てんようになった。だから、譲った」

リツは、オルガさんの隣に立った。トーマが鉄を叩くたびに、火花が散った。

「オルガさん。金槌の星、今年も、前と同じでいいですか」

オルガさんは、しばらく黙っていた。

「……工房の人に、そんなこと聞かれたの、初めてやね」

「ほどけたので」

「そうか」

オルガさんは、膝をさすった。

「十年、金槌を頼んできた。最初の年は、自分の鍛冶場を持った年でね。それから毎年、祭りの夜は、鍛冶場の窓から、東の端の金槌を見よった。一年分の仕事が、あそこに光っとると思って」

オルガさんは、鍛冶場の小さな窓を指さした。窓の向こうに、広場の天幕の端が見えた。

「わたしの仕事やったけん。でも、今年は、金槌は、もう持たん」

それから、少し笑った。

「何がいいか、って言われてもね。分からんのよ。花やら鳥やら、柄じゃないし。わたしは鍛冶屋やったし、もう鍛冶屋やない。何の星を掛けたらええのか」

リツは、何か言いたくなった。

(じゃあ、こうしたらどうですか)

頭の中に、いくつも形が浮かんだ。リツは美しいものを見るのが好きだった。オルガさんに似合う、きれいな星を、いくらでも思いつけた。

でも、言わなかった。

オルガさんの夜空に何を掛けるか、それは、リツが決めることではなかった。

「試しに、二つ、縫ってみます。小さく。見てもらえますか」

「……ええよ」

工房に戻ると、ジンが、まだ隅の椅子に座っていた。

「ジン。手、貸して」

ジンは、顔を上げた。

「縫えないよ」

「縫わなくていい。丸枠を持ってて。それと、できたら、遠くから見て、言って」

リツは、小さな布切れを二枚、丸枠に張った。

一つ目は、金槌。線だけで。中を埋めずに、形の輪郭だけを、光の強い糸で一本ずつ。

ジンが丸枠を持って、工房の端まで下がった。目を細めた。

「……見える。金槌だって、分かる」

二つ目を縫いはじめた。

さっき、鍛冶場で見た形だった。金床の上で、四方に散る、火花。真ん中から、細い線が八本、外へ向かって伸びる。線の先が、少しだけ曲がる。

途中で、ジンが丸枠を持ち替えようとして、垂れていた糸に指を引っかけた。

糸が、絡まった。

リツは、息を止めた。絡まった糸を、ほどくしかなかった。ほどけた星糸は、光が半分になる。指一本ぶんの長さの強い糸が、暗くなった。

「……ごめん」

ジンが、小さな声で言った。

リツは、何か言いそうになって、こらえた。

「線、一本減らす。七本にする」

火花の線は、七本になった。

ジンは、もう一度、工房の端まで下がった。長いあいだ、黙って見ていた。

「……こっちのほうが、遠くで光ると思う。線の先が曲がってるのが、いい。揺れて見える」

十五時半。リツは、二つの試作を持って、鍛冶場に戻った。

オルガさんは、一つ目の金槌を見て、すぐに首を横に振った。

「これは、嘘になる。金槌は、もう持たんのやけん」

二つ目を見た。

オルガさんは、長いあいだ、黙っていた。

金床の前で、トーマが、また鉄を叩いた。火花が散った。オルガさんは、試作の布と、本物の火花を、何度も見比べた。

「……火花、か」

それから、言った。

「わたしの火花やないね。トーマの火花やね」

リツは、どきっとした。押しつけたのかもしれない、と思った。

オルガさんは、試作の布を、指でそっと撫でた。

「でも、わたしが三十年見てきた火花や。……火花で、ええ」

そこで終わりかと思ったら、オルガさんは、続けた。

「それと、端に、小さく、金槌を一本。暗い糸で。ほどけたほうの糸で、ええけん」

リツは、目を丸くした。

「暗い糸で、いいんですか」

「ええ。もう持たん金槌やけん。暗いくらいで、ちょうどええ」

オルガさんは、そう言って、自分で笑った。

第四章 二十時十分

十六時から、リツは縫った。

最初に、布に残っていた金槌の頭の糸を、一本ずつ抜いた。抜いた糸は、手の中で、光が半分になった。十年続いた形が、布の上から消えていった。

夜色の丸い布を、大きな丸枠に張り直す。火花は、真ん中から七本の線。糸巻きに残しておいた強い糸だけで。試作とジンの絡ませた分で、もう、七本ぶんしか残っていなかった。線の先を、ほんの少しだけ曲げる。中は埋めない。

端に、小さな金槌。ほどけて光が半分になった糸――前の夜にほどけた柄の糸と、今抜いた頭の糸で。柄も頭も、線だけで。暗い糸は、余るほどあった。

結び目は、全部、本結びにした。一つも、仮結びにしなかった。一つ結ぶたびに、指で引いて、確かめた。時間がかかった。いつもの倍くらい。

三本目の線を張ったとき、光が灯らなかった。

張りが、足りなかった。糸が、ほんのわずかにたるんでいた。

リツの手が、止まった。ほどいて張り直せば、その糸は光が半分になる。それはできない。

リツは、布の裏に回って、たるんだ糸の途中に、一針だけ、小さな留め縫いを足した。糸を、そこで引き上げる。張りが戻った。

ふっ、と三本目が光った。

「今の、何?」とジンが聞いた。

「ほどかずに直すやり方。親方に習った。四年で、二回しか使ったことない」

リツは、額の汗を手の甲で拭った。

ジンは、縫わなかった。丸枠の向こう側を持って、布がたるまないように支えていた。ときどき、工房の端まで下がって、「三本目、もう少し右」「金槌、あと指一本ぶん外へ」と言った。

リツは、その言葉どおりに、線を置いた。最初は、少しだけ悔しかった。途中から、悔しくなくなった。

十九時半。最後の結び目を締めた。

リツは、星針を置いて、十年前の完成図を見た。作業台の端で、図は、今朝と同じ場所にあった。

使わなかった。

一ミリも狂わせずに縫ってきた線。それを、今年は縫わなかった。

リツは、図を丁寧に巻いて、棚に戻した。捨てはしなかった。

十九時四十五分。広場。

天幕の下で、サヨが滑車の綱を握っていた。リツが星飾りを渡すと、サヨは、布を一度だけ広げて見た。

火花と、小さな暗い金槌。

サヨは、何も言わなかった。少しだけ、片方の眉を上げた。

「オルガさんが、決めました」

「そう」

サヨは、綱を引いた。星飾りが、網の天幕の東の端へ、ゆっくり上がっていった。

「仮結びの件は、明日から一か月、結びの練習」

「はい」

リツは、うなずいた。

広場には、もう人が集まりはじめていた。屋台の灯り。子どもたちの声。網の天幕には、町じゅうの星飾りが、ずらりと吊るされていた。どれも、屋台の灯りに紛れてしまうくらいの、ほのかな試しの光のままだった。

広場の端に、オルガさんがいた。トーマと並んで、丸椅子に座っていた。

二十時十分。

東の海の上に、月が顔を出した。

天幕の星飾りが、一つ、また一つと、光りはじめた。町の人が一年間、窓辺に置いた光が、網の上に戻ってくる。魚の形、舟の形、パンの形、名前の頭文字。広場から、小さな歓声が上がった。

東の端で、オルガさんの星が、光った。

七本の線が、真ん中から外へ。線の先が、少しだけ曲がっていた。風が吹くと、星飾りがわずかに揺れて、線の先が、ちらちらと震えた。

火花だった。遠くからでも、ちゃんと、火花に見えた。

その端に、小さな金槌が、ほのかに光っていた。火花よりずっと暗く、でも、消えずに。

月の昇る港町の広場の上空に、光る飾りがたくさん吊るされ、東の端に火花の形の飾りが光っている。

リツは、首が痛くなるまで、見上げていた。

きれいだった。

十年前の完成図の金槌より、きれいだと思った。それは、リツが一人で決めた形ではなかった。オルガさんが選んで、ジンが遠くから見て、リツが縫った。それでも、最後の結び目を締めたのは、リツの指だった。

広場の端で、オルガさんが、トーマに何か言っていた。トーマが、星を見上げて、頭をかいた。

リツは、鐘楼を見上げた。

鐘楼のてっぺんに、小さな人影があった。ジンだった。天幕図の写しを手に持って、天幕全体を、見下ろしていた。

ジンは、リツに気づいて、片手を上げた。それから、天幕の東の端を指さして、親指を立てた。

リツも、親指を立て返した。

いつのまにか、オルガさんが、膝をかばいながら、リツの横に来ていた。

「ちゃんと、見えるね。鍛冶場の窓からも、見えるやろか」

「東の端なので、たぶん」

「トーマが、来年は自分で頼みたいって言いよった。火花を」

オルガさんは、星を見上げたまま言った。

「わたしは、来年は、何を頼もうかね。まだ分からん。一年あるけん、窓辺で考えるわ」

「糸巻き、明日、お届けします」

「頼むね」

それから、もう一度、自分の縫った火花を見上げた。

月が沈むまで、まだ、たっぷり時間があった。