一 旗は八本
土曜日の朝九時五十分、みどり台地区センターの自動ドアの前で、森下千景は紙袋の中身をもう一度確かめた。
白い楕円の皿が四枚。新聞紙でくるんで、輪ゴムで留めてある。それから、ジッパー付きの袋に入れた旗が八本。爪楊枝に色紙を貼りつけた、赤、黄、水色、白が二本ずつ。昨夜、台所のテーブルで、定規とカッターを使って作ったものだ。三角ではなく、長方形の端をV字に切り込んだ形にした。仕事で毎日ゲラの文字を一つずつ追っているせいか、切り込みの角度が揃わないと気になって、結局十二本作って四本を捨てた。
肩にかけた保冷バッグには、保冷剤といっしょに、家で角切りにしてきた鶏もも肉が入っている。
「千景、早い」
振り向くと、坂口麻衣子が同じような保冷バッグを下げて歩いてくるところだった。四十五歳、ホームセンターの園芸売り場の主任で、両手がいつも少し土の匂いのする人だ。今日は土の匂いの代わりに、玉ねぎの匂いがした。
「玉ねぎ、もう切ってきたの?」
「みじん切りは家でやるって決めてたの。目にしみる顔を人に見られたくないから」
「それ、泣いてるのとは違うってみんな分かるよ」
「分かってても見られたくないの」
次に来たのは青井夏帆で、四十三歳、税理士事務所に勤めている。乾麺の袋を胸に抱え、反対の手にソーセージのパックを持っていた。最後に鳥居静香が、小型のクーラーボックスを台車に載せてごろごろと引いてきた。四十六歳、市バスの運転士で、早番のない土曜日はやたらと元気だ。
四人は以前、同じマンションの自治会の役員を一年いっしょに務めた。任期が終わってからも、なんとなく集まる口実を探しては集まっている。
「プリン、無事」と静香は言った。「保冷剤四つ。昨日の夜、蒸して冷やした。五個作ったから、一個は予備」
「予備って何の」
「誰かが落としたとき用。たぶん私」
九時五十八分、四人は窓口で鍵を受け取った。利用申請書には千景の字で「料理研究会(四名) 十時〜十三時半 片付け含む」と書いてある。料理研究会という名前は、申請欄を埋めるために千景がその場で考えたものだが、窓口の職員さんは「研究、がんばってください」と言った。
調理室は二階の端にあった。調理台が四つ、それぞれにガスコンロが二口と流し。窓が南向きで、ステンレスの台がまぶしい。四人で使うと決めたのは窓側の二台、コンロは全部で四口だ。壁際に業務用の冷蔵庫と、電気炊飯器が二台並んでいる。
「さて」
千景は紙袋からノートを出して、ホワイトボードの前に立った。方眼のノートを開くと、色鉛筆で描いた一枚の皿の絵がある。
楕円の皿の左上に、丸く盛ったチキンライス。てっぺんに旗。その右に小さなハンバーグ。手前にナポリタンがひと巻き。隅にタコの形のウインナー。プリンは別の小皿ではなく、同じ皿の右端。
「これが、今日の私の皿」
「私の、って言った」と夏帆が言った。
「言った。今日は、私が食べたいものを食べる会だから。みんなのも、みんなが食べたいものでいい。でも私は、この一枚を作って、この旗を自分で立てて、上から写真を撮って、それから食べる」
麻衣子が腕を組んで絵をのぞきこんだ。
「千景がこんなに本気なの、校正の締め切り前以外で初めて見た」
「締め切り前の本気とは種類が違うの。あっちは間違いを探す本気。こっちは」
千景は少し考えた。
「こっちは、丸いのを作る本気」
三人が同時に笑った。千景も笑ったが、ノートは閉じなかった。
二 記憶の皿は四枚
手を洗い、エプロンをつけ、髪をまとめる。十時十五分、千景は四人の小さなライス用に米をとぎ、炊飯器に仕掛けた。静香はクーラーボックスからプリンを五つ出して、冷蔵庫の一段目に並べた。小さなガラスの器に、固めの黄色い面がそろっている。
「カラメルは苦めにした。大人だから」
「大人だから」と千景はくり返して、ノートに「カラメル:苦め」と書きこんだ。
問題が起きたのは、千景が旗の袋を台に置いたときだった。
「あ、旗、プリン用もあるんだ」と静香が言った。
「プリン用?」
「え、だって旗はプリンに立ってたでしょ。お子さまランチって、プリンのてっぺんに旗」
千景は手を止めた。
「ライスだよ。チキンライスのてっぺん。山の上に旗。登頂の旗」
「登頂って」夏帆が吹き出した。「でも私、旗の記憶ない」
「ない?」
「うちのは新幹線だった。お皿が新幹線の形で、窓のところにナポリタンが入ってて、運転席にハンバーグ。旗はなかったと思う。あったら新幹線に刺さってるはずだから、たぶん刺さる場所がない」
「新幹線に旗は刺さらないね」と静香がまじめにうなずいた。
麻衣子は玉ねぎのタッパーを開けながら、首を振った。
「旗もお皿も覚えてない。私が覚えてるのは、おもちゃ。お子さまランチっていうのは、最後におもちゃのかごが回ってきて、一個選べるやつのこと。ごはんはおまけ」
「逆でしょ」
「逆じゃない。私の中では、おもちゃが本体」
そう言って麻衣子は、保冷バッグの外ポケットから、透明なカプセルを四つ取り出した。ガチャガチャのカプセルだ。
「来る途中のスーパーで回した。中身は見てない。最後に一人一個」
「準備がいい」
「本体だから」
千景はホワイトボードに四本の線を引いて、それぞれの上に名前を書いた。下に、それぞれの「お子さまランチ」を書く。
千景――ライスに旗。デパートの食堂。
静香――プリンに旗。
夏帆――新幹線。旗なし。
麻衣子――おもちゃ。
書いてみると、まるで違う四つの料理の名前に見えた。
「同じものの話をしてると思ってたのに」と千景は言った。
「同じ名前の話はしてたよ」と夏帆が言った。「中身が違っただけ」
「税理士っぽい言い方」
「事務所じゃ、同じ名前の別の書類がよくあるの」
静香が冷蔵庫の扉を閉めた。
「じゃあ、どれが正しいか決める?」
千景はペンのキャップをはめたり外したりした。決めたい気持ちが、正直に言えば少しあった。自分の記憶の旗が、いちばん本物に近い気がする。六歳のとき、父と母と三人で行ったデパートの最上階の食堂。皿の上の赤いライスの山と、そこに立った小さな旗。食べ終わったあと、その旗を筆箱に入れて、二年生になるまで持ち歩いていた。
けれど、静香のプリンの旗も、静香の筆箱のどこかに入っていたのかもしれない。
「決めない」と千景は言った。「各自の皿は各自の記憶で。旗は八本あるから、立てたい人は立てたいところに立てて。私はライスに立てる」
「私はプリンに」
「私は、旗の代わりに新幹線を……新幹線はないから、ナポリタンを長く伸ばす」
「それは何」
「線路」
麻衣子はカプセルを窓辺に並べた。「私は、おもちゃを最後に開ける。それがあれば何でもいい」
方針が決まると、あとは段取りだった。千景はホワイトボードの下半分に、コンロの割り振りを書いた。手前の台の二口は、ナポリタン用の湯の鍋と、ナポリタンを炒めるフライパン。奥の台の二口は、チキンライスのフライパンと、ハンバーグのフライパン。
「四口で四つ。ちょうど」
「ちょうど、って言葉、料理だとだいたい嘘になるよ」と麻衣子が言った。
三 ドームが崩れる
ご飯が炊けたのは十一時を少し過ぎたころだった。炊飯器のふたを開けると、湯気が窓の光の中で白く立ちのぼった。
千景は奥の台のフライパンで、鶏肉を炒めた。小さめの角切りを、木べらで転がしながら十分に炒める。玉ねぎを入れ、ケチャップを入れる。ケチャップは、子どものころの味を思い出しながら、気前よく入れた。
気前がよすぎた。
ご飯を入れて混ぜると、赤い米粒はつやつやと光ったが、木べらで押すとくにゃりと形を変えた。
「しっとりしてるね」と静香が横からのぞいた。
「しっとり、は良い言葉だよね。たぶん」
千景は型に使うつもりだった汁椀にライスを詰め、皿の上でひっくり返した。そっと持ち上げる。
赤い山は一瞬だけ丸い形をしていて、それから、ゆっくりと肩を落とすように横へ広がった。
四人は黙ってそれを見た。
「……鏡餅の、下のほう」と夏帆が言った。
「古墳」と麻衣子が言った。
「前方後円墳じゃないだけ、まだ」と静香が言った。
千景は皿を持ったまま、少し笑ってしまった。笑ったら、悔しさが半分くらいに減った。
「お椀が浅いのもある。センターのお椀、口が広すぎる。でもそれより、水分」
「ケチャップ、いっぱい入れてたもんね」
「昔の味は、こう、もっと赤かった気がしたの」
「昔の千景は、手も今の半分だったんだよ」と麻衣子が言った。「お皿が大きく見えて、赤いのがいっぱいに見えただけかも」
千景は崩れた山をフライパンに戻した。強めの火で、木べらで広げ、ときどき底をはがすように返す。ケチャップの匂いが、甘いものから少し香ばしいものに変わっていく。最後に千景は、備え付けの中心温度計を肉の厚いところに差した。七十五度以上になってから一分以上、火を通す。麻衣子が横からタイマーを押してくれた。
その間、手前の台では夏帆がパスタをゆでていた。ゆで上がったらすぐ隣のフライパンで炒める予定だったが、麻衣子がハンバーグを並べかけて、「四つは入らない」と言った。もう一枚フライパンを使うとなると、ライス一口、パスタで二口、ハンバーグで二口。コンロが一つ足りなくなった。
「ちょうど、だったはずなんだけど」
「ほら嘘になった」
結局、夏帆は炒め用のフライパンと手前のコンロ一口を麻衣子に譲り、ゆであがったパスタをざるに上げてオリーブオイルをからめ、千景のフライパンが空くまで待つことにした。そのあいだにウインナーに切れ目を入れてタコにする。八本足にしようとして、四本目から先が細くなりすぎた。
「このタコ、足が四本半しかない」
「ウインナー側の都合でしょ」
十一時半、千景のライスはさっきよりずっとさらりとしていた。もう一度汁椀で試そうとして、手が止まった。浅い。広い。またさっきの古墳になる。
調理台の引き出しを片っぱしから開けた。計量カップ。プラスチックで、上が広がっていて、だめ。湯のみ。底に高台の段があって、ひっくり返すとライスが段々になりそう。
引き出しの一番奥に、おたまがあった。ステンレスの、丸い、深めのおたま。
千景はそれを取り出して、光にかざした。
「それ、型にするの?」と静香。
「半球だよ、これ。完全に」
おたまの内側に薄く油を塗り、ライスをぎゅっと詰め、皿の上でかぽんと返す。柄を持ち上げると、こぶしくらいの大きさの、つるりとした赤い半球が残った。
今度は崩れなかった。

「おお」と三人が同時に言った。
千景は自分の皿の左上に一つ、それから順に三枚の皿にも半球を置いた。フライパンの底には、おかわりの一口ぶんくらいが残った。
「ちょうど、が今度は本当になった」と夏帆が言って、空いたフライパンを受け取った。
ハンバーグのほうは、別の問題が起きていた。
麻衣子のハンバーグは大きかった。家でこねたときに「せっかくだから」と思ったらしく、一個が大人の手のひらからはみ出すほどある。二つのフライパンに二個ずつ並べて、それぞれふたをし、蒸し焼きにしていた。
「そろそろいいと思う」
ふたを取ると、表面はこんがりと焼けている。麻衣子は竹串を一番大きいのの真ん中に刺した。じわっと出てきた肉汁は、透明ではなく、うっすらと赤かった。
「……まだだね」
「まだだね」
麻衣子は少しも迷わず、水を少し足して、もう一度ふたをした。
「ひき肉は、真ん中まで火が通ってないとだめ。お子さまランチでお腹こわしたら、ほんとにお子さまみたいに泣く」
「目にしみる顔は見られたくないのに」
「それとは別のやつ」
五分ほどして、もう一度竹串を刺す。今度は澄んだ肉汁が出たが、麻衣子はそれだけでは決めなかった。洗った中心温度計で四個とも厚いところを確かめ、七十五度以上になってから一分以上、加熱を続けた。それから一番大きいのを二つに割ってみると、断面から湯気が立った。
「割っちゃった」
「割ったのは私の皿にする」と麻衣子が言った。「割れ目にソース入るし」
その横で、夏帆のナポリタンがようやくフライパンに入った。玉ねぎとピーマンとタコのウインナー、パスタ、ケチャップ。夏帆はそこに、持参したタバスコを自分の分にだけ数滴振った。
「大人だから」
「それみんな言うね、今日」
「言いたいんだよ、みんな」
四 旗を立てる
十二時十分、四枚の皿が窓側の台に並んだ。
千景の皿は、ノートの絵にかなり近かった。左上に赤い半球。右にハンバーグ。手前にナポリタンがひと巻き。隅に足の数がまちまちなタコ。プリンはまだ冷蔵庫で、最後に来る。
静香の皿は、ライスの半球の横に、プリンを置く場所をわざと大きく空けてあった。
夏帆の皿は、ナポリタンが皿の端から端まで一直線に伸びていた。その上にハンバーグとライスが乗っていて、タコが線路の脇に並んでいる。
「駅弁みたい」
「新幹線だから」
麻衣子の皿は、割れたハンバーグが真ん中にどんと置かれ、ほかのものはその周りに寄せ集められていた。割れ目から湯気がまだ出ている。
「麻衣子のは、何をイメージしてるの」
「早く食べたいっていう気持ち」
千景は旗の袋を開けた。赤、黄、水色、白。
「好きなの取って」
静香が迷わず白を取った。
「白旗だよ、それ」と夏帆。
「プリンに降参するの。大人だから、降参できる」
夏帆は水色を取って、ナポリタンの線路の先端に立てた。「終点」。麻衣子は黄色を取って、ハンバーグの割れ目にぐさりと刺した。「目印」。静香は白旗をいったん皿の空き地に寝かせた。プリンが来るまでの待機だ。
千景は赤を取った。
右手の親指と人差し指で爪楊枝をつまんで、半球のてっぺんに先端を当てる。ここに立てるのを、昨日の夜から、いや、たぶんもっと前から考えていた。真上から、まっすぐ。
刺す。
ライスの表面に、細い亀裂が一本走った。強火で水分を飛ばしたぶん、表面がわずかに締まっていて、そこに爪楊枝が入った瞬間、赤い半球はてっぺんから二つに割れかけた。旗は立ったが、少し傾いた。
「あっ」
千景は思わず爪楊枝を抜こうとして、手を止めた。抜けば、穴が広がる。
「傾いてるね」と静香が言った。
「傾いてる」
「でも立ってる」
千景はスマートフォンを出した。窓からの光が皿の左から入っていて、真上から撮ればハンバーグのつやがきれいに映るはずだ。脚立はない。椅子の上に乗れば届く。椅子を引いてきて、片足をかけた。
「千景、椅子はやめて」と麻衣子が言った。「センターの椅子、キャスターついてる」
千景は足を下ろした。椅子の脚を見ると、たしかに小さな車輪が四つついていた。
爪先立ちになり、腕をいっぱいに伸ばして、画面をのぞく。旗が傾いているのがはっきり分かる。ナポリタンの端が少し乾きはじめている。ハンバーグの肉汁が皿の上を広がって、赤い半球の裾にじわりと届こうとしている。
半球の亀裂が、ほんの少し、さっきより広くなった気がした。
「千景」
夏帆の声は急かしてはいなかった。ただ、名前を呼んだだけだった。
千景は画面の中の皿を見た。それから、画面の外の皿を見た。画面の外の皿からは、まだ湯気が出ていた。ケチャップの香ばしい匂いと、ハンバーグの脂の匂い。
ノートの絵の皿は、崩れない。そのかわり、湯気も出ない。
千景は、シャッターを一回だけ押した。撮れたかどうか確かめずに、スマートフォンを伏せて台の端に置いた。
「食べる」
「え、確認しないの?」
「あとで。いまは食べるほう」
椅子を引いて座る。キャスターが小さく鳴った。四人で手を合わせた。
「いただきます」
千景はまず、旗をそっと抜いた。抜いた旗は、皿の縁に寝かせた。それから、スプーンを半球のてっぺんに入れた。亀裂のところから、ほろりと割れる。
一口目。鶏肉の小さな角と、しっかり炒めたケチャップの、少し焦げた甘さ。六歳のときに食べたものと同じ味かどうかは、正直、分からなかった。分からなかったけれど、おいしかった。
「おいしい」と千景は言った。
「ハンバーグもおいしい」と麻衣子が言った。「大きくして正解だった」
「さっき生だったのに」
「焼き直したから正解」
夏帆はナポリタンを線路の端から順に食べていた。静香はライスとハンバーグをどんどん減らしながら、プリンの空き地だけは律儀に空けておいた。フライパンに残っていた一口ぶんのライスは、麻衣子と千景が半分ずつ取った。
千景はハンバーグを切って、少しだけナポリタンにつけて食べてみた。それから、ナポリタンを少しライスに乗せてみた。ノートの絵では、全部が別々の場所に並んでいた。食べているうちに、境目はどんどんなくなっていった。それが一枚の皿のいちばんいいところかもしれない、と千景は思った。混ざってもいい皿。
五 プリンと白旗
十二時四十五分、静香が冷蔵庫からプリンを出した。五つのガラスの器が、うっすら汗をかいている。
「予備、余ったね」
「誰も落とさなかったから」
三人は器のままスプーンを入れることにしたが、静香だけは違った。自分の皿の空き地にプリンを器ごと置き、スプーンの背で器の縁を一周なぞってから、皿の上で逆さにした。ぷるん、と固めのプリンが立ち、てっぺんから苦いカラメルが流れる。静香は寝かせておいた白い旗を、その真上に立てた。
プリンは割れなかった。旗はまっすぐ立った。
「……プリンのほうが立てやすいね」と千景は言った。
「でしょう」静香は胸を張った。「だから旗はプリンなんだよ」
「それは立てやすさの話でしょ。記憶の話じゃない」
「両方の話」
千景はカラメルの苦さに少しだけ眉を寄せ、それからもう一口食べた。苦いから、もう一口食べたくなる。大人だから、という言葉がたしかに似合う味だった。
残った一つのプリンを、四人で四等分した。スプーンでつつきあって、どこまでが自分の分か揉めた。
最後に、麻衣子が窓辺のカプセルを持ってきた。
「本体」
「本体ね」
一人一個ずつ、カプセルをひねる。かぱっと開いた中から出てきたのは、小さな樹脂のミニチュアだった。
夏帆のは、ナポリタンの入ったフライパン。
麻衣子のは、目玉焼きの乗ったハンバーグ。
静香のは、オムライス。
千景のカプセルを開けると、親指の先ほどの、小さな一枚の皿が出てきた。楕円の皿に、ライスとハンバーグとエビフライとプリン。そのプリンのてっぺんに、ごく小さな旗が立っていた。
「……」
千景が黙っていると、静香が身を乗り出してのぞきこんだ。
「プリン」
「メーカーの解釈です」
「メーカーが言ってる」
「メーカーの担当の人の記憶です。その人のお子さまランチ」
三人が笑った。千景も笑った。手のひらの上の小さな皿を、窓の光にかざして見た。小さなライスの山には旗がない。代わりに、てっぺんがほんの少しだけへこんでいた。型から抜いたときの跡を表したのかもしれないし、ただの成形のくせかもしれない。どちらにしても、そこには何かを刺したくなる。
千景は、皿の縁に寝かせていた自分の赤い旗をペーパーナプキンで拭き、調理室のはさみで、爪楊枝を旗のすぐ下で短く切った。
「何してるの」
「立てる」
短くなった赤い旗は、ミニチュアのライスのへこみに、ぴたりとは入らなかった。少し大きすぎて、斜めに乗っかっただけだった。千景はそれを見て、満足した。

「傾いてる」
「さっきと同じ角度」
一時ちょうどから片付けを始めた。皿を洗い、フライパンの焦げをこすり、コンロの五徳を拭く。使わなかった旗の四本は、袋に戻した。千景は持ってきた楕円の皿を一枚ずつ拭いて、新聞紙で包み直した。ホワイトボードを消す前に、四本の線と名前と、それぞれのお子さまランチの書き込みを写真に撮った。それから、全部消した。
一時二十五分、鍵を窓口に返した。
「研究、どうでしたか」と職員さんが聞いた。
四人は顔を見合わせた。
「旗はプリンのほうが立てやすい、という結果が出ました」と静香が言った。
「ライスにも立ちます」と千景がすぐに言った。「傾きますけど」
職員さんは「次回の申請も、お待ちしてます」と言って、鍵を棚に戻した。
帰りの坂道で、千景はスマートフォンを出して、あの一枚を初めて見た。
爪先立ちで腕を伸ばして撮った写真は、真上からではなく、少し斜めだった。旗は傾き、ハンバーグの肉汁はライスの裾に届き、ナポリタンの端は光って、画面の隅には、皿に寝かせた白旗をつまもうとする静香の指が写りこんでいた。ノートの絵とは、ずいぶん違った。
「どう?」と隣の夏帆が聞いた。
「おいしそう」と千景は言った。「ノートの絵より」
夏帆は画面をのぞいて、うなずいた。
「次は何にする」と麻衣子が後ろから言った。
千景は少し考えた。今日、自分が食べたかったものは食べた。旗も自分で立てた。傾いたけれど、立てた。それで足りた、とは思わなかった。もっと欲しくなっていた。
「次は、ドームを二つにする」
「二つ?」
「ライスとプリン、両方に旗。ライスはおたまで作る。ケチャップは控えめ。旗は十六本」
「多くない?」
「切り込みの角度を揃えるの、楽しいから」
静香が笑って、クーラーボックスの台車をごろごろ鳴らした。千景はかばんの内ポケットに、小さなミニチュアの皿をしまった。斜めに乗った赤い旗がなくならないように、ハンカチにくるんで。


