一 包む日の段取り
冷蔵庫の扉には、千景の字で段取り表が貼ってある。
〈十三時 七海・圭吾到着(圭吾=大判の皮一袋)〉
〈十三時十分 試し焼き〉
〈十三時半 包み開始〉
〈十五時 焼き〉
〈食べる分三十個/持ち帰り各十五個〉
十一月の第三日曜日は、浅倉家の「包む日」だった。誰がそう呼び始めたのかは覚えていない。覚えているのは、実家の台所のテーブルに新聞紙が敷かれ、母が具を練り、きょうだい三人が並んで皮を包んだことだ。左端が千景、真ん中が圭吾、右端が七海。左の皿には同じ形の餃子が行儀よく並び、右へ行くほど餃子は太り、七海の前ではたいてい何個かが口を開けていた。
今年は両親がいない。町内会の旅行で、湯ノ沢温泉に一泊している。出発の前の晩、母は電話で言った。
「三人でやってみたら。写真だけ送って」
それで会場は千景のマンションになった。二DKの、台所に小さなテーブルがある部屋だ。
具は朝のうちに作り、ラップをして冷蔵庫に入れておいた。豚ひき肉六百グラム、塩をして布巾二枚で二回絞ったキャベツ、ニラ一束、しょうがとにんにくを少し。ボウルの具は、千景がいつも使う銀のスプーンで七十六杯分になるよう、量を合わせてある。大判の皮を三袋、七十五枚。一杯は試し焼き用だ。
その大判の皮が、冷蔵庫には二袋しかない。三袋目は弟に頼んである。
〈帰りに大判の皮を一袋。大判ね。二十五枚入り〉
〈了解〉
千景はスマートフォンの画面を、もう一度眺めた。了解、の二文字の中身がどこまで了解されているのか、圭吾の場合はいつも少し怪しい。
インターホンが鳴ったのは十二時五十八分だった。
「早いね」
「早く来ないと、お姉ちゃんが全部並べ終わってるでしょ」
七海は玄関で、肩から大きな保冷バッグを下ろした。上着を脱ぐ前にファスナーを開ける。保冷剤が六つ、ジッパー付きの袋がひと束、油性ペンが一本。
「持ち帰り用。名前書くでしょ、どうせ」
「……書く」
同じ袋は、千景の台所の引き出しにも入っている。数が二倍になったが、千景は言わなかった。言えば七海は「じゃあ持って帰る」と言い、本当に持って帰る。
七海は手を洗うと、まっすぐボウルをのぞいた。ラップ越しに、薄い桃色の具が平らにならしてある。
「味見したい」
「生はだめ」
「わかってるよ。焼くの」
七海は勝手知ったる顔で小さいフライパンを出し、スプーンの先で具をひとすくい取った。千景が数えている七十六杯のうちの、ちょうど一杯ぶんだ。それをフライパンの上で薄く平たくのばし、蓋をして弱めの火にかける。裏返したあと、千景は調理用の温度計で中心を測り、七十五度を超えてからも一分待った。食べる箸は別に出して、半分ずつ口に入れた。
「しょうが、もうちょっと」
と七海が言った。
「これで決まりだから」
「ちょっとだけ。ひとかけの半分」
千景はボウルを見た。七十五杯ぶん残っている。しょうがを足しても杯数は変わらない。
「……半分の、半分」
「ケチ」
七海はおろし金を出して、指の先ほどのしょうがをすりおろし、ボウルの具に混ぜた。千景はそれを新しいゴムべらでもう一度ならした。ならし終えたところで、取り皿を三枚、テーブルに置いた。左に千景の、真ん中に圭吾の、右に七海の。昔と同じ並びだった。
十三時を過ぎても、圭吾は来なかった。
〈ごめん三十分遅れる〉
届いたのは十三時四分。千景は段取り表の「十三時半 包み開始」の横に、鉛筆で小さく「→?」と書き足した。
圭吾が来たのは十三時三十一分だった。片手にビールの六缶パック、もう片手にスーパーのレジ袋。
「悪い悪い。あ、これ皮ね。ビールは置いとく。俺は車だから飲まないけど」
レジ袋をテーブルの真ん中に置いたとたん、ポケットの中で電話が鳴った。圭吾は画面を見て顔をしかめた。
「施主さんだ。ごめん、あと車、下に停めちゃってるから、パーキングに入れてくる。すぐ戻る」
「手は」
「戻ったら洗う」
ドアが閉まった。テーブルの上に、ビールとレジ袋が残った。
「すぐ、ってどのくらい」
と七海が聞いた。
「圭吾のすぐは、三十分」
「じゃあ、始めよっか」
千景は段取り表をちらりと見て、うなずいた。十三時三十五分、包み開始。予定から五分遅れ。
二 口が開く
千景は冷蔵庫から大判の皮を一袋出して、自分の前で封を切った。七海は、テーブルの真ん中のレジ袋に手を伸ばし、圭吾が買ってきた袋を取り出して、ぴりぴりと開けた。千景はそのとき、袋の表を見ていなかった。小皿に水を張り、トレーに打ち粉をして、銀のスプーンを構えるのに忙しかったからだ。
具は小さいボウルに少しずつ取り、残りは冷蔵庫へ戻した。包んだ分も、区切りのいいところでトレーごと冷やす。テーブルの上に全部を出しておかないのも、千景の段取りだった。
千景のやり方は決まっている。皮を左の手のひらに置き、スプーン一杯の具を真ん中に。縁の半周に指で水をつけ、半分に折って、ひだは五つ。右から左へ、同じ幅で。できた餃子は、トレーに六個ずつ並べる。一列できるたびに、千景の胸のどこかが少し静かになる。
七海は違った。スプーンに具を山盛りにすくい、皮にのせ、さらにスプーンの背でもう少し足した。
「それ、入れすぎ」
「これが普通」
「普通はスプーン一杯」
「お姉ちゃんのスプーンが小さいの」
七海は皮の縁に水をつけ、具を押さえこむようにして折り、ひだを寄せた。指は速い。千景が一個包むあいだに、七海の指は迷わず動いた。できた餃子はまるまると太り、トレーの上でずっしりと座った。
三個目で、口が開いた。
閉じたはずの縁が、トレーに置いたとたんに、ゆっくりとはがれた。中から具が、薄桃色の舌のようにのぞいている。
「あ」
七海は指でつまんで押さえた。押さえているあいだは閉じている。離すと、また開く。
「ほら」
と千景は言った。
「ほら、って何」
「入れすぎだから」
「入れすぎじゃない」
七海は口を開けた餃子を、トレーとは別の小皿へ移した。小皿の上で、餃子は笑っているように見えた。
五個目も開いた。七個目も開いた。九個目はいったん閉じて、千景が二列目を並べ終えたころに、ぱかりと開いた。
「具、水っぽくない?」
と七海が言った。
「キャベツ、ちゃんと絞った?」
千景は手を止めた。
「絞った。布巾二枚で。二回」
「じゃあ、なんで開くの」
「入れすぎだから」
「家ではこんなに開かないんだけど」
千景は顔を上げた。
「家?」
「家で包んでるの。週一くらい。土曜の夜に三十個作って、冷凍して、平日の夜に八個ずつ焼く」
「知らなかった」
「聞かれなかったし」
七海は肩をすくめ、次の皮を取った。それから、手のひらの上で皮をひらひらさせた。
「ていうか、今日の皮、ちっちゃくない?」
「同じでしょ」
「なんか、手のひらからはみ出さない」
「七海の手が大きくなったんじゃないの」
「三十三で手は大きくならないよ」
千景は自分の皮を見た。手のひらからはみ出している。七海の手のひらの皮は、たしかに、はみ出していない。でも七海は千景より手が大きい。昔からそうだった。それで千景は、そのことをそれ以上考えなかった。
しばらく、二人とも黙って包んだ。台所には、皮の袋をめくる音と、スプーンがボウルの縁に当たる音だけがした。
「お姉ちゃんのそれ、ひだ五つって決めてるの?」
と七海が聞いた。
「決めてる」
「なんで五つ」
「五つがいちばんきれいに並ぶから」
「並べるために包んでるの?」
「食べるためでしょ」
「じゃあ、並ばなくてもいいじゃん」
千景は答えずに、三列目の六個目を置いた。並ばなくてもいい、とは思えなかった。並んでいる餃子を見ると、今日がちゃんと進んでいる気がする。それをうまく言葉にする前に、七海の小皿の上で、また一個が口を開けた。
途中で二袋目の大判も開けた。十四時十五分、冷蔵庫の分も合わせて、千景のトレーには五列、三十個の餃子が並んでいた。七海の前には、閉じた八個と、小皿の上で口を開けた八個。
「十六個で、八個開いてる。半分」
と千景は言った。数を口にしたのは、責めるためではなかった、と千景は思う。ただ、数えずにいられなかった。
七海は答えずに、次の皮の縁に水をつけた。その指が少し強く、縁を押した。
三 皮を重ねる
圭吾が戻ってきたのは十四時二十分だった。
「ごめん。施主さん、話が長くて。キッチンの扉の色、三回変わった」
「手」
「洗う洗う」
圭吾は袖をまくって手を洗い、真ん中の席に座った。テーブルを見回して、口を開けた餃子の小皿で目を止めた。
「お、七海の。懐かしい」
「懐かしくない」
と七海が言った。
千景は、圭吾の前に布巾を置いた。
「皮、ありがと。大判の、あった?」
「うん。いつものやつ」
「いつもの?」
「いつもの。三十枚の」
千景は動きを止めた。七海の手も止まった。
テーブルの真ん中に、開いた皮の袋が置いてある。千景はそれを手に取り、初めてちゃんと表を見た。〈ぎょうざの皮 三十枚入り〉。どこにも、大判とは書いていない。レジ袋の底から、くしゃくしゃのレシートが出てきた。〈ギョウザノカワ 30マイ 220〉。
「大判って、書いたよね」
「書いてた?」
圭吾は自分のスマートフォンを出して、画面をさかのぼった。それから、少し首を引いた。
「書いてるね」
「二回書いた」
「いや、売り場に行ったら、いつものがあったから。うちっていつもこれだったじゃん、三十枚の」
「お母さんはいつも大判」
と千景は言った。
「そうだっけ」
「そう」
千景は迷わなかった。左端の自分の前にはいつも、大きくて扱いやすい皮があった。それが包む日の皮だった。
千景は自分の袋から大判を一枚取り、七海の袋から三十枚入りを一枚取って、重ねた。大判の縁が、三十枚入りの縁より、ぐるりと外にはみ出した。指一本の幅もない。けれど、そのわずかな差のぶんだけ、七海の山盛りの具は、閉じる場所を失っていた。二枚をほどいて、それぞれの袋の上へ戻した。

「ほら」
と七海が言った。
「皮が小さかった」
「具も多い」
と千景は言った。
「両方だね」
と圭吾が言い、二人に同時に見られて、黙った。
「うちで買ってるの、大判だったのかも」
と七海は自分の手のひらを見ながら言った。
「袋、ちゃんと見たことなかった。大きいやつ、って覚えてただけ」
七海は大判の袋に手を伸ばした。
「一枚、いい?」
千景は袋を七海のほうへ押した。
七海は大判の皮を手のひらにのせ、さっきと同じように具を山盛りにした。スプーンの背で、もう少し足す。縁に水をつけ、半分に折りながら、親指で具を奥へ押しこむ。ひだは七つ。千景の五つより細かく、そして速い。最後に、全体を手のひらで包むようにして形を整えた。
トレーの上に置かれた餃子は、まるまると張っていた。千景の餃子が行儀のいい列なら、七海の餃子は、胸を張って座っている一個だった。口は開かなかった。一分たっても、開かなかった。
「店のみたい」
と圭吾が言った。
「店のは知らない」
と七海は言い、二個目に取りかかった。
二個目も、三個目も閉じた。千景は自分の手を止めて、七海の指を見ていた。三十年近く右端に座っていた妹の指が、こんなふうに動くことを、千景は知らなかった。知らなかったのは、見ていなかったからだ。千景はいつも、自分の列を見ていた。
「俺もやる」
と圭吾が言った。
「その前に、具」
千景はボウルをのぞいた。具は、ボウルの底のほうで薄くなっていた。七海の山盛りは、千景のスプーン一杯半ほどある。三十枚入りの皮で十六個。大判で、いま十個目。
千景は頭の中で数えた。七十五杯のうち、自分が三十杯。七海の小さい皮が十六個で、二十四杯。大判が十個で、十五杯。合わせて六十九杯。
「あと六杯くらい」
「じゃあ六個、俺」
圭吾は大判を取り、千景のスプーンで一杯ずつ包んだ。ひだは三つだったり四つだったりした。形はいびつで、片方に傾いていたけれど、口は閉じていた。六個目で、ボウルの底がゴムべらでこそげ落とされた。
十四時五十分。包み終わり。
千景のトレーに三十個。七海の小さい皮が十六個のうち、閉じた八個と開いた八個。七海の大判が十個。圭吾の大判が六個。全部で六十二個。
テーブルの端には、皮が残っていた。大判が四枚、三十枚入りが十四枚。
「七十五個の予定だったのに」
千景は段取り表の〈食べる分三十個/持ち帰り各十五個〉を見た。三十と四十五で七十五。六十二では、どちらかを削るしかない。千景が鉛筆を手に取って計算を始めようとすると、七海が言った。
「先に、焼く分から決めよう。お腹すいた」
「焼くのは俺がやるよ」
と圭吾が立ち上がった。
「遅れてきたし。それくらいは」
千景は少し迷ってから、自分のトレーの一列目と二列目、十二個を指さした。
「じゃあ、これ。形がそろってるから、焼きやすいと思う」
圭吾はフライパンに油をひき、十二個を丸く並べた。ここまではよかった。水を入れて蓋をしたところで、ポケットの中の電話が震えた。圭吾はちらりと画面を見て、片手で返事を打ちはじめた。
「圭吾」
「うん、うん」
「水の音、もうしてない」
「うん、あと一行」
千景がコンロの火を止めたとき、台所にはかすかに焦げた匂いがしていた。七海が窓を開けた。
圭吾がフライ返しを差しこむと、餃子は底でフライパンにしがみついていた。皿へ移すあいだに、三個の皮が破れた。具が、皿の上にこぼれた。
「……割れた」
「スマホ見ながら焼かないで」
千景の声は、自分で思ったより低かった。
「ごめん」
圭吾は電話をポケットにしまった。今度はちゃんと、画面を伏せて。
中心までの加熱を温度計と時間で確かめ直し、足りない分を蓋をして温めてから、七海は破れた三個を食べる箸でつまみ、こぼれた具を皮の上に戻した。
「食べられるよ。焦げてるのは底だけ」
それから、圭吾のほうを向いた。
「圭兄は、洗い物。最後まで。途中で電話に出たら、ビール一本ずつ減らす」
「俺、飲まないんだけど」
「持って帰る分から減らす」
「六本しかないんだけど」
「じゃあ、六回まで」
圭吾は笑わなかった。うなずいて、流しの前に立った。
四 羽根で閉じる
フライパンは、圭吾が洗った。焦げつきが落ちるまで、たわしで三回こすった。
次に焼くのは、口を開けた八個と、圭吾の傾いた六個。ほかの三十六個は、冷やしたトレーで待っている。千景はそれを、二つの皿に分けて置いた。
「開いたの、どうする」
と七海が言った。
「水餃子にする?」
「スープに具が逃げる」
「じゃあ、閉じなおす?」
七海が指で押さえてみせる。離すと、また開く。
千景はコンロの前に立った。包む日に、焼く場所に立つのは初めてだった。実家ではそこは母の場所で、千景は左端の椅子から、母の背中しか見ていなかった。いや、背中もろくに見ていなかったかもしれない。
フライパンに油をひく。千景は、口を開けた八個を真ん中に集めて、開いた口がフライパンに触れるよう、上下を返して並べた。その周りを、圭吾の六個がぐるりと囲む。それから、小さなボウルに小麦粉を小さじに一杯ほど入れて、水で溶いた。
「何それ」
「羽根」
「羽根で、閉じるの?」
「わかんない。やってみる」
火をつけて、餃子の焼ける面が少し色づいたところで、溶いた粉の水を回し入れた。じゅっ、と音が立ち、湯気が一気に上がった。千景は蓋をした。蓋の向こうで、ぱちぱちと小さく水がはねる音がする。七海が千景の隣に立ち、圭吾が流しから首だけ伸ばした。
中心の温度と加熱時間を確かめてから蓋を取り、少し火を強めた。フライパンの底で、白く濁っていた粉の水が、だんだん薄い膜になり、縁から茶色く色づいていく。千景はその色を見ていた。焼き色が縁から真ん中へ寄ってくるのを見るのは、ひだを並べるのとは違う種類の、静かな気持ちだった。
「いま」
と七海が言った。
千景はフライパンに大きな皿をかぶせ、手首を返した。
皿の上に、一枚の丸い羽根が広がっていた。茶色いレースのような膜が、十四個の餃子をひとつにつないでいる。真ん中の八個は、開いた口のところに羽根がかぶさって、ぴたりとふさがっていた。

「閉じてる」
と圭吾が言った。
「閉じてるね」
と七海が言った。
千景は、何も言わなかった。言わなくても、口の端が上がっているのが自分でわかった。
十五時半。最初の十二個と、羽根の十四個で、二十六個。三人で食べた。圭吾の焦がした十二個は、底が苦かったけれど、千景のひだはちゃんと残っていた。破れた三個は、七海が食べた。羽根の真ん中の、口を開けていたはずの一個を、千景は箸で取った。羽根ごとかじると、中から熱い汁があふれて、千景は慌てて手で口を押さえた。
「しょうが」
と千景は言った。
「わかる?」
「わかる。半分の半分」
七海は満足そうに、羽根の端をぱりぱりと割った。
千景と七海は、圭吾のビールを一本ずつ開けた。圭吾は麦茶を飲みながら、洗い物の続きをした。途中で一度だけ電話が鳴り、圭吾は画面を見て、出なかった。七海はそれを見て、何も言わずに、余った三十枚入りの皮を六枚、千景の冷蔵庫のスライスチーズと一緒にトースターへ入れた。焼けたものを、圭吾の前にだけ二枚多く置いた。
そのあいだ、残りの三十六個は、トレーのまま冷凍庫に入っていた。千景の十八個、七海の小さい皮の閉じた八個、七海の大判の十個。七海が言いだしたことだった。
「袋に入れる前に、ちょっと固めといたほうが、うちではくっつかないから」
それも、家で週一包んでいる人のやり方だった。千景は圭吾にも、予備の小さい保冷バッグを貸すことにした。
食べながら、千景は母に写真を送った。湯気の向こうの羽根つきの皿と、焼く前にトレーに並んでいた三十個の写真。
十六時半。冷凍庫からトレーを出して、持ち帰りを分けた。
千景が鉛筆を持ち、段取り表の裏に書きはじめようとする前に、七海が言った。
「私、この大判の十個でいい」
「十個? 十二個ずつにしようと思ってたのに」
「数より重さ。一個で満足したいの。帰ってきて焼く数が少ないほうが楽」
七海は、自分の大判の十個を袋に入れ、油性ペンで〈七海〉と書いた。
「うちは三人だから、多めにほしいんだけど」
と圭吾が言った。
「湊、千景姉ちゃんの餃子好きだし」
「形が好きなだけでしょ」
「形が好きなんだよ。並んでるのが」
千景は自分のトレーから十二個を数え、圭吾の袋に入れた。〈圭吾〉。
残ったのは、千景の六個と、七海の小さい皮の閉じた八個だった。
七海がそれを見て、少し眉を寄せた。
「それ、私のでいいの? お姉ちゃん、形が悪いの嫌いでしょ」
「焼き方、わかったから」
と千景は言った。
「口が開いたら、羽根」
七海は少し黙って、それから〈千景〉と書いた袋を千景に渡した。十四個。千景の六個と、七海の八個。千景はすぐ冷凍庫へ戻した。二人の分も保冷剤と一緒に保冷バッグへ収め、帰り支度が済むまで口を閉じておいた。
材料費は三等分にした。千景のレシートが二千八百四十円、圭吾の皮が二百二十円。合わせて三千六十円で、ひとり千二十円。
「ビールも入れていい?」
と圭吾が言った。
「ビールは材料じゃない」
「飲んだじゃん、二人とも」
「一本ずつね。それは差し入れにしといて」
七海は千二十円をきっちり出した。圭吾は、皮の二百二十円を引いた八百円を出した。千景の財布に、千八百二十円が入った。
残った皮は、大判が四枚と、三十枚入りが八枚。十二枚をラップで包んで、千景の冷蔵庫にしまった。
「明日、スープにでも入れる」
「具なしで?」
「具なしで」
洗い終わった皿を拭いているとき、千景のスマートフォンが鳴った。母からの返事だった。
〈羽根つき、なつかしいねえ〉
〈七海のは昔から口が開くから、お母さんいつも羽根で閉じてたのよ〉
千景は画面を見つめた。続けてもう一通。
〈それと、うちは大判なんて買ったことないよ。いつもスーパーの三十枚入り〉
〈大判は、千景が高校のとき自分で買ってきてからね。千景の分だけ〉
千景が黙っているので、七海が画面をのぞきこんだ。圭吾も、濡れた手のまま首を伸ばした。
「ほら」
と圭吾が言った。
「三十枚の、って言ったじゃん」
「言ってた」
と七海が言って、笑いだした。
「お姉ちゃんの伝統、お姉ちゃんが始めたやつじゃん」
千景は思い出そうとした。高校二年の冬だったかもしれない。三十枚入りの皮は千景の手には小さくて、ひだが五つきれいに入らなかった。それで駅前のスーパーで大判を見つけて、自分のお小遣いで買った。左端の自分の前に、自分の袋を置いた。それから先、千景の前にはいつも大判があり、右端の七海の前には、いつも三十枚入りがあった。七海が山盛りにすれば、口は開いた。開いた餃子は母が焼いた。千景は、母の背中も、フライパンの羽根も、見ていなかった。自分の列を見ていたからだ。
「……ごめん」
と千景は言った。誰に向けてなのか、自分でもよくわからなかった。
「何が」
と七海が言った。
「口が開くの、ずっと七海のせいだと思ってた」
「半分は私のせいだよ。入れすぎだもん」
七海はあっさり言った。
「でも、入れすぎが好きなの。それは変えない」
「変えなくていい」
「知ってる」
帰り支度をしているあいだに、千景は冷蔵庫の段取り表をはがし、新しい紙を貼った。
〈来年の包む日〉
〈皮は二種類。大判と、三十枚入り〉
〈圭吾は買う前に袋の写真を送る〉
〈電話は外で。洗い物は最後まで〉
〈口が開いたら、羽根〉
七海が油性ペンを取って、いちばん下に一行足した。
〈具の量は、人による〉
圭吾もペンを取ろうとしたが、七海に取り上げられた。
「圭兄は書かなくていい。写真送るのだけ覚えて」
「覚えたって」
「了解、って返すだけじゃだめだからね」
十七時。二人は玄関で靴を履いた。七海の保冷バッグには、保冷剤が四つと、〈七海〉の袋がひとつ。圭吾の手には、残りの保冷剤二つで〈圭吾〉の袋を挟んだ小さな保冷バッグと、二本減ったビールの箱。
「来年、焼くのはお姉ちゃんね」
と七海が言った。
「来年も、包むのは右端ね」
と千景は言った。
「真ん中は?」
と圭吾が言い、二人が同時に言った。
「洗い物」
ドアが閉まった。千景は台所に戻って、乾いたフライパンをコンロの上に置いた。冷凍庫を開けると、〈千景〉の袋の中で、行儀のいい六個と、まるまる太った八個が、いっしょに固まっていた。
来週の土曜に、焼こう。羽根の粉は、小さじに一杯。千景は新しい段取り表の空いたところに、それを書き足しそうになって、やめた。それは、覚えていればいい。


