← 本棚へ戻る
日常の謎

三枚目の注文票

お客さんは二人。注文票は三枚。切らないパンは、半分になっていた。

作者
GPT
読了目安
約8分
長さ
掌編
#ほっこり#日常
三枚目の注文票のイメージ

あらすじ

静かな喫茶店へ転職したばかりの店員が、二人の客と三枚の注文票に戸惑う。追加のコーヒーと、切らずに出したトースト。見ていたつもりの客の昼に、思い込みが重なる小さな謎。

読みやすく、好きなところから。

目次・4章

一 入口から三歩

喫茶こならで働き始めた日に、私はお客さんの人数を間違えた。

十一時四十分。窓際にスーツの男性が一人。中央の席には、緑色のコートを背に掛けた女性が一人。ほかの椅子は空いていた。なのに、厨房のレールには注文票が三枚あった。

一枚目は、二番、ブレンド。

二枚目は、五番、ミルクティー。

三枚目は、五番、トースト。パンは切らない。

「ミルクティーとトーストのセットですね」

私は会計の伝票を一枚にまとめようとした。

「まとめんといて。追加のご注文やから、出すまで票を残しといて」

店主の園田さんは、トースターをのぞいたまま言った。

五番の女性は、ミルクティーを前に、本を読んでいた。向かいの椅子にも、隣の椅子にも荷物はない。私は入口を見た。昨日教わった席の配置では、五番は四人掛けだ。席そのものは間違えていない。

トーストを運ぶと、女性は小さく首を振った。

「まだ、そこへ置いておいて」

テーブルの端を指していた。

私は皿を置いた。パンは厚い一枚切りで、四隅が少し濃く焼けていた。バターは小皿に、ナイフは皿の右側に添える。それがこの店の決まりだった。

「お待ち合わせですか」

聞くと、女性は笑った。

「ええ。もう着くと思う」

私は入口から三歩のレジへ戻った。

この店を選んだのは、静かそうだったからだ。前の職場は駅前の大きなカフェで、私はいつも誰かに謝っていた。ここなら、一人ずつ、ちゃんと顔を見て接客できると思った。

五番の皿のバターは、まだ包みのままだった。

二 おかわりではありません

十二時を過ぎると、店は急に忙しくなった。

私は水差しを持って歩き、園田さんは卵を焼きながらコーヒーを淹れた。五番のテーブルは間仕切りの向こうへ半分隠れ、誰が出入りしたか見ている余裕がなくなった。

「五番さん、追加でコーヒー。薄め」

園田さんが言った。

レールに四枚目が掛かった。五番、ブレンド、薄め。

「ミルクティーから、ですか」

「薄めやって。お湯の量、こっちで見るから」

私はカップを温めた。

五番へ運ぶと、女性が二人いた。

コートの女性は、相変わらず本を読んでいる。向かいには、紺の作業着の女性。短い白髪で、手には、木の粉のようなものが付いていた。

待っていた人が来たのだ。

「お待たせしました」

私は作業着の女性の前へ、コーヒーを置いた。

「ありがとう。あなたが新しい人ね」

そう言って、女性はトーストを指でつまんだ。

薄くなっていた。

一枚のパンは切らない。その注文を厨房へ通したのは私だ。ナイフは、バターの小皿の横にあった。刃にパンくずが付いていたかは、そのとき確かめなかった。

コートの女性の皿には、もう片方のパンが載っていた。さっきまで、カップだけだった人の前に。

「取り皿、お持ちしました?」

自分で聞いて、自分で変だと思った。私が持ってきた覚えはない。

「カウンターにあったから、いただいたの」とコートの女性が言った。

私は二人のカップを見た。

ミルクティーは少し減っていて、コーヒーからは湯気が立っている。皿も、コートの人が使っているほうだけ、バターの跡があった。

トーストを頼んだのは、まだ来ていなかった作業着の人なのだろうか。だったら、先に半分食べてもいいように、頼んであるのだろうか。

私は、そういうことは余計に聞かない店員になると決めていた。

なのに、気になった。

三 半分の厚さ

二人が帰るとき、園田さんはレジに立っていた。

作業着の女性は、コーヒーの分を払った。

コートの女性はミルクティーと、トーストの分を払った。

「あ、別なんですね」

私は、二人の分を一枚にまとめかけた手を引っ込めた。

「いつも、こうなのよ」

コートの女性は、緑の袖に腕を通した。

作業着の女性が私を見た。

「変な顔してるね」

「すみません」

「謝らなくていいけど。パン?」

私はとうとううなずいた。

園田さんが、使い終わった注文票を外した。

「言うたらよかったな。午前中、説明する間がなくて」

作業着の女性は、近くの額縁工房の人だった。コートの女性はその友達で、週に一度、ここで会う。工房の人は昼休みがずれやすく、何時に来られるかは、仕事次第だという。

「今日は十二時五分だった」と作業着の人は言った。「来週は、もっと遅いかも」

「じゃあ、先にパンを?」

「そう。私が頼むの」とコートの人が言った。

「半分食べたところで、この人が来たら、残りを渡すんですか」

私が聞くと、二人は顔を見合わせた。

「食べ始めるのは、二人になってからよ」

「じゃあ、冷めませんか」

「冷める」と、作業着の人が即答した。

私は黙った。

たぶん、もう一つ何かある。冷めてでも待つほど大切な思い出とか、この店でしか味わえない、二人だけの時間とか。

コートの人は、私の顔を見て、少し困ったように笑った。

「私、焼いたばかりのパンを切るの、苦手なの。つぶしてしまうでしょう。それで前に、全部こっちで切ってたら」

「厚さが違った」と作業着の人が言った。

「毎回、言うのよ。自分のほうが薄いって」

「実際、薄かった」

「だから、切るのはこの人。その代わり、私が先に注文することにしたの」

私は、皿の上のパンを思い出した。

焼き目の四角を二つに分けたのではない。厚い一枚を、横から二枚に分けていたのだ。上面と下面を分ければ、片方には上の焼き目、片方には下の焼き目が残る。

だから、私には一枚のパンが、そのまま半分に減ったように見えた。

「熱いと、中が切りにくいんだよ」と作業着の人は言った。「少し置いてくれてると、ちょうどいい」

「冷めたパンが好きなんですか」

「私は熱いほうが好き」

「私も」とコートの人が言った。

二人とも、普通に損をしているらしかった。

工房の女性が厚いトーストを横から二枚に切り、友人が見守る。

園田さんが、レジの下からメモ帳を出した。

「前にも話したやろ。うちのパン、頼まれたら薄く切ってから焼けるって」

「それだと、歯応えが違うのよ」

「そこは二人とも同じ意見なんやな」

二人はうなずいた。そこの意見だけは、一度も割れたことがないのだそうだ。

四 来週の注文

午後の客足が落ち着くと、園田さんは賄いにトーストを焼いた。

私は水を飲んでいた。園田さんは一枚焼いたパンをしばらく置き、それから横から切った。

「やってみたかった?」

「はい」

私は一枚受け取った。確かに、先に薄く切って焼くのとは違う。内側が白く柔らかく、外側だけが香ばしい。半分でも、ずいぶん満足できた。

「お二人のこと、最初から知ってたんですか」

「ここ、二十年やってるからね」

「私、待ち合わせの人の分まで食べてるのかなって、思ってしまって」

園田さんは、自分のパンを見た。

「まあ、そういうお客さんもおる」

「いるんですか」

「いる。今の二人は違った。それだけ」

私は、スーツの人の空いたカップを片付けた。二番の人は、本当にブレンドを一杯飲んで帰っただけだった。こちらには、何も謎はなかった。

「来週は、私が切っておきましょうか」

「あの二人に聞いてみ。勝手に切ったら、楽しみ取り上げたことになるかもしれん」

園田さんの口ぶりは、親切というより、経験だった。

私はメモ帳に書いた。

客の帰った喫茶店で、新人店員がメモ帳を読み、園田がパンくずを掃く。

〈五番の二人。パンを先に出す。切らない。皿を二枚。薄めのコーヒーは、工房の人が来てから〉

そう書いて、〈五番〉に線を引いた。来週も同じ席に座るとは限らない。

新しい店では、一人ずつ顔を見ようと思っていた。けれど、顔を覚える前に、人を二人と数え、注文票を三枚と数えていた。

園田さんは、パンくずを集めながら言った。

「それと、あの二人、来週来えへんよ。火曜に旅行やって」

「週に一度、会うって」

「せやから、来週も会う。ここじゃないだけ」

私はメモを閉じた。

残り半分のトーストを、もう一口かじる。自分のほうが、少し薄い気がした。比べる相手は、もう食べ終わっていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、読みたくなったときに。次の物語を探す