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友情・コメディ

拍手は最後に

応援するなら、笑う場所まで先に決めないで。

作者
GPT
読了目安
約8分
長さ
掌編
#ほっこり#日常
拍手は最後にのイメージ

あらすじ

友達の初めての一人芝居。まどかは絶対笑うと約束して、笑う瞬間を逃してしまう。率直な感想と応援の距離を、十分の芝居と一台の扇風機が近づけていく。

読みやすく、好きなところから。

目次・4章

一 必ず笑います

「笑えんかったら、笑わんといてね」

川原まりはそう言って、私にチケットを二枚差し出した。

私は一枚だけ受け取った。

「二人分、払うから」

「そういうことをせんといてほしいんよ」

市民ホールの小会議室。まりは来週、そこで初めて一人芝居をする。大きな舞台ではない。午後の短い演目を何組かで持ち寄る会で、まりの出番は十分だった。

「でも、一人分しか売れへんより」

「空席を一つ増やして、売れたことにせんといて」

私は二枚目のチケットから手を引いた。

まりとは、高校の家庭科室で同じミシンを使った。どちらも下糸がつって、二人とも、先に使った人のせいにした。そのときから三十年以上、友達だ。

まりが芝居を始めたのは二年前だった。私はその間ずっと、いいねえ、向いてると思う、と言っていた。

見たことは、まだなかった。

「絶対、笑うから」

私が言うと、まりはチケットの半券を指で押さえた。

「それも、先に決めんといて」

二 袋の中の魚

本番の前々日、私は練習を見せてもらった。

まりの家の居間に、椅子が一脚、買い物袋が一つ。台本は、自分で書いたという。

「魚を買いに行った人の話」

「魚、買うん?」

「今からするから、先に聞かんで」

まりは廊下へ出て、戻ってきた。

背中が少し丸くなっていた。片手で買い物袋を抱え、もう片方の手で眼鏡を持ち上げる。近所でよく会う、どこかのおばさんが入ってきたみたいだった。

「ええの買うたわ。今日はね、ええのよ」

私はうなずいた。

袋から出てきたのは、小さな扇風機だった。

「ああ、そっちかあ」

私は、わかったことがうれしくて拍手した。

まりは扇風機を持ったまま止まった。

「まだ」

「ごめん」

その人は魚を買いに行ったのに、安売りの扇風機を買い、次には湯のみを買い、魚だけを買わずに帰ってくる。家族へ夕飯を尋ねられると、扇風機を回して、ごまかす。

私は、二度、笑うのを逃した。

一度目は湯のみが出たとき。まりが次に何を言うか聞きたくて、息を止めていた。

二度目は、扇風機を魚に見立てて、ひれを作るところ。これは笑うところだと思ったが、まりの手元が危なっかしくて、倒れないように見守ってしまった。

終わると、私は大きく拍手した。

「上手やった」

まりは、扇風機のコードを巻きながら聞いた。

「どこが」

「全部」

「全部は、ないと思う」

私はお茶を飲んだ。お茶は冷たくなっていた。

「まどか、さっき、学校の発表会を見に来たお母さんみたいやった」

「応援してるから」

「知ってる。応援してくれてるのは、知ってるんやけど」

まりは、袋へ扇風機を戻した。

少しだけ腹が立った。悪いことは何もしていないつもりだった。時間も空けた。チケットも買った。褒めたのに。

帰り際、まりが言った。

「あと一回だけ見て。嫌やったら、本番だけでもええけど」

私は靴のかかとを踏みかけて、戻した。

「明日の晩なら」

三 面白くなかったところ

次の日の練習で、私は拍手をしなかった。

まりが一度、こちらを見た。そのまま続けた。

最後まで終わってから、手を叩いた。

「どう?」

「魚の名前をずっと説明するところは、長いと思った」

まりは黙った。

私は、やっぱり言わなければよかったと思った。

「どのへん」

「アジとサバを迷って、タイを見て、値段の話をして、もう一回アジへ戻るやろ。そのあとに、扇風機が出てくるまで」

「そこ、おばさんのこだわりなんよ」

「うん」

「そこを書きたかったんよ」

私はうなずいた。直してほしいとは言っていない。それでも、説明を続けないと逃げたことになるような気がした。

「私は、魚を買う場面を待ってしまった。魚を買う人の話やと思ったから。最初に扇風機が見えたら、魚を買えてない人の話として、聞ける気がする」

まりは、買い物袋をのぞいた。

それから、台本を手に取った。

「なるほどね」

私はようやく息をついた。

「直す?」

「今は直さん。本番までに、これ以上変えると、私が帰ってこられん」

「あ、そう」

まりは笑った。

「でも、長いと思った場所は、わかった。自分でも、ちょっと気になってた」

机の上に、小さなメモが置かれた。〈魚屋、短くできるか〉。

それは直す約束ではなく、まりが後で考えるためのメモだった。

まりはメモを台本に挟んだ。私はお茶のカップに手を伸ばした。今日は、まだ温かかった。

扇風機と台本を前に、まどかがまりへ具体的な感想を伝える練習後の居間。

「湯のみを出して、魚が逃げたって言うところは、好きやった」

「あそこ、毎回ちょっと違うんよ」

「昨日は『逃げた』で、今日は『先に帰った』やった」

まりは、驚いた顔をした。

「聞いてたんや」

「聞いてるよ」

言ってから、二人で少し笑った。

四 逃げた魚

本番の会議室は、半分くらい埋まっていた。

私は三列目の端に座った。空席を見て、もう一枚買えばよかったと一瞬思った。それから、そこに一枚のチケットを置いても、人が増えるわけではないと思い直した。

まりの前の人は、ハーモニカを吹いた。少し音を外したが、やり直さなかった。

まりが出てきた。

背中を丸くして、買い物袋を抱え、客席を一度だけ見た。私を探したのか、全体を見たのかは、わからなかった。

「ええの買うたわ。今日はね、ええのよ」

袋から、扇風機が出た。

後ろの席で、誰かが笑った。

その笑いがうれしくて、私はまりより先に笑いそうになった。けれど、今はまだ、扇風機を置くところだ。私は手を膝の上で重ねた。

魚屋の話は、昨日より少し短くなっていた。

まりはアジを見て、サバを見て、そのまま扇風機の安売りの話へ進んだ。タイの値段は出てこなかった。

直したのだ。私に言わずに。

私は、そのことを後で聞こうと思った。今、聞くことではなかった。

湯のみが出た。

まりは袋を何度ものぞき、とうとう底を裏返した。魚はいない。

「あの子、先に帰ってしもうた」

そこで、最前列の男の子が言った。

「扇風機が食べたんちゃう?」

会議室が、ふっと揺れた。

まりは扇風機を見た。

長い、一秒。

私は、まりの手が袋の取っ手をつかみ直したのを見た。練習では、そこでもう少し早く、袋を床へ置いていた。

「……あんた、口が大きいと思うてたんよ」

まりは扇風機へ言った。

男の子が、声を上げて笑った。

私は、今度は考えずに笑った。扇風機の前へ湯のみを並べ、まりがお茶を勧めるころには、お腹の下が少し痛かった。

最後は、魚の代わりに湯のみを二つ、食卓へ置く。その間で扇風機が回る。何かが解決するわけではない。夕飯の魚は、とうとう買えていない。

まりは客席を見て、頭を下げた。

私は、そこで手を叩いた。

片付けが終わってから、二人で駅まで歩いた。

まりは扇風機の入った袋を、私には持たせなかった。代わりに、折り畳んだ椅子を持たされた。持ち手が細くて、そちらのほうが重く感じた。

「あの子、仕込んだ?」

私が聞くと、まりは立ち止まった。

「まどか、私に、そんな知り合いおる?」

「おらんね」

「ほんまに困った。頭、真っ白になった」

「面白かったよ」

「どこが」

「扇風機に、お茶を勧めるところ。昨日までは、なかったやろ」

まりは袋の取っ手を持ち直した。

「魚屋、短くしたのも、よかったと思う」

「うん。そっちは、ありがとう」

駅前のスーパーを通った。店先の札に〈本日のおすすめ 塩サバ〉とある。

まりが足を止めた。

「夕飯、買うて帰ろうかな」

私は椅子を持ち上げ、少し後ろへ下がった。

「私、ここで待ってる。今度こそ、魚だけ買うてきて」

まりは袋の中の扇風機を見て、「自信ないわ」と言った。

公演の帰り、扇風機の袋を持つまりと折り畳み椅子を持つまどかが鮮魚売場の前で笑う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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