一 小豆と白いんげん
土曜の朝十時二十分、坂巻澄江が店のシャッターを腰の高さまで上げたところで、戸張一真が段ボール箱を抱え、身をかがめてくぐってきた。
「おはようございます。焼けました」
「何が」
「黒糖とくるみの。一口の大きさで、百五十個」
箱の蓋が開くと、焦がした砂糖の匂いが、茶缶の並ぶ狭い店のなかをまっすぐ通り抜けた。澄江は鼻から長く息を吐いた。いい匂いなのが、よけいに困る。
「試飲会よ。お茶の」
「知ってます。だから焼いてきたんです」
茶葉店みずのとは、商店街の角にある間口二間の店だ。壁一面の棚に煎茶、ほうじ茶、番茶、紅茶の缶が並び、奥に三席だけのカウンターがある。カウンターは五年前から戸張の持ち場で、それ以前の戸張は駅向こうの喫茶店で十年ほどケーキを焼いていた。澄江はこの店で十五年、その前は茶問屋の拝見場で七年、毎朝六十の碗を並べて茶葉の良し悪しを見ていた。
木曜に、九州の山あいにある柚木茶園から初摘みの和紅茶が届いた。名前は「ひなた」。五十グラムの袋が四十。一袋千六百二十円。それとは別に、試飲用の茶葉が三百グラム。店主の水野は静岡へ仕入れに出ていて、月曜の昼まで戻らない。レジの横には水野の字のメモが貼ってある。
――ひなたの試飲会、出し方は二人で決めてください。月曜の朝、何をどう決めたか教えて。 水野
「決めて、って書いてあるでしょう」と澄江は言った。
「決めましょう。だから菓子があるんです。なしで行くなら、なしにするって決めればいい」
戸張はひとつつまんで澄江の手のひらに載せた。親指の先ほどの、ころんとした焼き菓子だった。かじると黒糖が舌の上でほどけ、くるみの渋みがあとから来る。おいしかった。おいしいことに腹を立てても仕方がないので、澄江は黙って飲みこんだ。
「ひなたは二口目に少し渋みが立つでしょう。そこにこれがあると、丸くなる。初めての人でも身構えずに飲めます」
「渋みも、あのお茶の顔のうちよ」
「顔を見る前に、緊張して帰っちゃう人もいるんです」
開店まで四十分を切っていた。言い合っている時間はなかった。澄江は棚の下から空のガラス瓶を二つ出した。
「じゃあ、両方。まずそのまま一口、次にお菓子と一口。おいしかったほうの瓶に豆を一粒入れてもらう。それを月曜に水野さんに見せる」
「豆」
「あなたのとこに小豆があるでしょう。白いほうは、隣で買ってくる」
隣の乾物屋で白いんげんを一袋、百八十円で買って戻ると、戸張はもう画用紙に札を書いていた。
《まず、そのまま一口。つぎに、お菓子と一口。おいしかったほうの瓶に、豆をひと粒どうぞ。――お菓子と→小豆 そのまま→白いんげん》
戸張は札の下に、小さく〈黒糖・くるみ入り〉と書き足した。
澄江はカウンターの急須に手を伸ばしかけて、やめた。土曜の商店街は昼前から人が切れない。一人ずつ急須で淹れていたら、行列が店の外まではみ出す。棚の上から五百ミリリットルのガラスポットを下ろし、茶葉を十グラム量って、湯を注いだ。茶こしは底に沈めたまま、茶葉がゆっくり開いていくのが見える。保温用のカバーをかぶせ、六十ミリリットル入る小さな試飲杯を盆に並べた。一度に注ぐのは四十ミリリットルほど。これで十二杯ほどになる。
それから、いつものようにマスキングテープを一切れちぎり、ペンで《10:52》と書いてポットの肩に貼った。問屋にいたころ、見本の袋には必ず時刻を書いた。いまでは意味もなく手が勝手にやる。
「それ、いつも気になってたんですけど」と戸張が言った。
「癖よ」
十一時に、シャッターを上まで上げた。
二 六十粒
最初の客は、犬を店の外の柱につないだ年配の男性だった。札を読み、言われたとおりにそのまま一口飲んで、首をかしげ、菓子をかじって、もう一口飲んだ。しばらく考えてから小豆の瓶に一粒入れ、「犬が待ってるから」と言って出ていった。袋は買わなかった。
昼が近づくと、人は途切れなくなった。澄江はポットからひとりずつ杯に注ぎ、戸張は小皿に菓子を一つずつ載せて差し出した。ポットが空になれば次を淹れ、テープを貼り替える。はがしたテープは捨てずに、レジの横の台の縁に順番に貼っていった。《10:52》《11:18》《11:41》。これも理由のない癖だった。
一時過ぎ、常連の穂積さんが来た。毎週土曜に番茶を二百グラム買っていく人で、店に入ると必ず最初に棚の端の古い缶を撫でる。
「あら、お祭り?」
「新しい紅茶の試飲です。よかったら」
穂積さんは札をゆっくり声に出して読み、そのまま一口飲んで「まあ」と言い、菓子と一口飲んで「まあまあ」と言った。それから小豆を一粒つまみ、白いんげんを一粒つまんで、両方の瓶にひとつずつ落とした。
戸張がそれを見た。澄江は次の客に注いでいて見ていなかった。穂積さんは戸張と目が合うと、人差し指を唇に当てて笑った。
「どっちもおいしかったんだもの。番茶もちょうだいね、いつもの」
二時半ごろ、旅行鞄を引いた若い客が入ってきた。新幹線の時間まで少しある、と言い、札を読んで、そのまま一口、菓子と一口飲んだ。そこで杯を置かずに、澄江の顔を見た。
「すみません。お菓子のあとで、お茶だけもう一口いただけますか」
澄江はポットのテープを見た。《14:18》。いまは二時三十一分だった。杯に半分ほど注ぐと、その人は口に含んで、目を少し大きくした。
「あれ。さっきと違う。……はちみつみたいだ」
「お菓子が残っているからだと思います」と戸張が言った。
「そうかもしれない。でも、最初の一口もよかったんです」その人は二つの瓶の上で手を止め、困った顔で笑った。「すみません、決められません。そのかわり、一袋ください」
千六百二十円を受け取って袋を渡すと、その人は鞄を引いて駅の方へ急いでいった。豆はどちらの瓶にも入れていかなかった。
四時に試飲を閉め、片付けを終えた四時四十分、二人はカウンターに瓶を並べて豆を数えた。小豆が三十一、白いんげんが二十九。合わせて六十。
「試飲したのは六十人。数は合ってる」と澄江は言った。
戸張は小豆を一粒ずつ瓶に戻しながら、少し笑った。
「合ってるんですけど、合ってないんです」
三 瓶が増える
戸張が穂積さんの二粒と、旅行鞄の人の零粒の話をすると、澄江は数え終わった豆の山をしばらく見ていた。
「ひとりが二つ入れて、ひとりが入れなかった。それで六十」
「たまたま釣り合ったんです。もし穂積さんが三人いたら、小豆が勝ってたかもしれない」
「小豆が二つ多いだけよ。勝ちってほどじゃない」
「でも月曜に水野さんに見せたら、『お菓子ありが多い』って読めますよ」
袋は九つ売れた。その九人がどちらの瓶に豆を入れたのかは、もうわからない。
戸張が布巾を絞りながら言った。
「明日は、購入した人用に、同じ二つの瓶を置きませんか。買ってくれた人に、レジでもう一回入れてもらう。買った人がどっちだったのか、知りたい」
「それなら、私はノートをつける。お客さんが飲んで何て言ったか。言葉で」
「言葉なら僕がつけます。カウンターの側の方が聞こえるので。時刻も書きます」
澄江はうなずいてから、手元の布巾をたたみ直した。言いたいことが、たたみ直したくらいでは引っこまなかった。
「一真くん。お菓子と一緒じゃないとおいしくないお茶なら、袋では売れないのよ。家には、くるみのお菓子はないもの」
「家にもお菓子くらいありますよ。せんべいでも、みかんでも。最初の一杯で、ここは居ていい店だって思ってもらえたら、二回目はお菓子なしでも来てくれます」
「居ていい店かどうかは、お茶で決めてほしいの」
「それは、澄江さんの問屋の朝の話でしょう。お客さんは拝見をしに来てるんじゃない」
言ってから、戸張は口をつぐんだ。澄江もすぐには返さなかった。拝見場では碗に鼻を近づけ、すすって、吐き出す。飲みこまない。あの朝の静けさを、この店に持ちこみたいと思ったことはない。けれど、持ちこんでいないと言い切れるかどうかは、わからなかった。
「そうね。拝見じゃない」
「すみません。言い方が」
「いいの。じゃあ、あなたのは何の話?」
戸張は布巾を蛇口にかけた。
「喫茶店にいたころ、毎週来る人がいたんです。最初はケーキが目当てで、コーヒーはセットだから頼んでた。それが三回目くらいから、コーヒーだけ頼むようになった。おいしいって言って。ケーキがなかったら、たぶん一回目に来てないんです、あの人」
「三回目は、ケーキなしだったのね」
「そうです。だから、僕だって、ずっとお菓子を付けたいわけじゃない」
澄江はシャッターの鍵を取った。明日の瓶は四つになる。ノートが一冊増える。それで何かがはっきりするのかどうかは、二人ともわからないまま店を閉めた。
四 マスキングテープの時刻
日曜は朝から晴れて、人出は前の日より多かった。
カウンターの端に瓶が二つ、レジの横にもう二つ。戸張は菓子を出しながら、客が漏らした言葉を小さな字でノートに書きつけていった。《香ばしい》《焼き芋みたい》《子どものころの、なにか》《甘い》《渋い》。澄江はポットを淹れては時刻を貼り、はがしたテープをレジ横の台に並べた。昨日の分の隣に、今日の分の列ができていく。
二時十分、ようやく客が途切れた。この時刻までに来た客は五十八人。小豆が三十三、白いんげんが二十五。レジの瓶は九人分で、小豆が四、白いんげんが五だった。
「割れましたね」と戸張が言った。「試飲は小豆が多くて、買った人は白が多い」
「九人じゃ、多いとも言えないわよ」
「わかってます。わかってるんですけど」
戸張はノートを開いて、二人のあいだに置いた。
「澄江さん。《渋い》が、十一回あるんです」
「十一」
「書いた時刻を見てください。十一時四十分、十一時五十二分、十二時半、一時五分……。固まってる気がするんです。来る人の波とは別に」
澄江はノートの時刻を目で追い、それからレジ横の台の縁に視線を移した。今日の分のテープが、左から順に並んでいる。《10:55》《11:24》《11:58》《12:21》……。
二人はしばらく黙って、ノートと台の縁を行き来した。戸張がペンで印をつけていく。十一回の《渋い》のうち九回は、その時間に使っていたポットを淹れてから十分以上たっていた。

澄江は、旅行鞄の人を思い出した。《14:18》のポットから、二時三十一分に注いだ杯。
「昨日の、はちみつの人。あの追加の一口は、十三分たってた」
「……ポットのなかで、ずっと出続けてたんですね」
茶こしは底に沈めたまま、茶葉は湯につかったままだった。客の来る間隔が空けば空くほど、ポットの底の方は濃くなる。急須なら最後の一滴まで注ぎきるところを、行列をさばくために、そうしなかった。決めたのは澄江だった。
「試してみましょう」
澄江はポットを新しく淹れて、テープに《14:16》と書いた。二分待ってひとつめの杯に注ぎ、そのままカバーをかぶせて、十二分待った。客は来なかった。二時三十分、ふたつめの杯に注いだ。
まず二分で取り分けておいた杯を、二人で半分ずつ飲んだ。少し冷めていたが、柔らかく、蜜のような香りが鼻に抜けて、渋みはほとんど感じなかった。
次に十四分浸した杯を、そのまま飲んだ。舌の両脇がきゅっと縮むほど渋かった。同じ茶葉とは思えなかった。
最後に、戸張が菓子をひとつ割って半分を澄江に渡し、二人で食べてから、十四分の杯の残りを飲んだ。
「……はちみつだ」と戸張が言った。
澄江も同じことを思った。渋みが黒糖の甘さの後ろにまわって、香りだけが前に出てくる。三つとも、違うお茶だった。
戸張はカウンターに両肘をついて、豆の瓶を眺めた。
「僕ら、二日かけて、ポットの古さを数えてたのかもしれません」
「かも、じゃないわ。それも数えてた」
「じゃあ、どれがどれだか、もうわからない」
「わからない」
澄江は瓶を持ち上げて、光にかざした。赤い粒と白い粒が、同じくらいの高さまで積もっている。あと一時間半で今日の試飲は終わる。瓶の中身は、いまさら仕分けられない。
五 次の一杯
三時十五分、客数は五十八人のままだった。ガラスポットの最後の一杯を流しに空けてから、澄江は言った。
「次の一杯を、どう出すか決めましょう。残りの時間の分だけでいいから」
「多数決は、やめましょう」と戸張がすぐに言った。
「やめましょう」
それで決まったことは、ひとつだけだった。澄江はカウンターの急須を出してきた。二百ミリリットルに茶葉四グラム。四つの杯を並べ、端から端へ、端から端へと、少しずつ順に注いでいく。回し注ぎ。最後の一滴まで振りきって、急須のなかに湯を残さない。四人分ずつしか淹れられないから、客には少し待ってもらうことになる。
「待たせても、いい?」
「待ってるあいだは、僕が話します。柚木さんの茶園の話とか。ラベルの裏に書いてあったでしょう、山の上で、霧が晴れるのが遅いって」
戸張は、カップの横に並べていた菓子の小皿を下げた。菓子を蓋付きのガラス瓶に移し、カウンターの端、手を伸ばせば届くけれど目の前ではないところに置いた。画用紙を裏返して、新しい札を書いた。
《一口目は、そのまま。お菓子は、お好きなときに。》
「一口目は、僕は黙ってます。勧めない」
「じゃあ二杯目は、私がお菓子を勧める」
戸張が顔を上げた。
「澄江さんが」
「ひなたの二杯目には合うもの。私も飲んだんだから、知ってる」
豆の瓶は、レジ横の分も合わせて四つとも棚の下へ下げた。かわりに戸張は名刺ほどの大きさに切った画用紙の束と鉛筆を置き、カウンターの後ろのコルクボードを空けた。札の下に一行書き足す。
《このお茶、なにと飲みたいですか。》
最初に来たのは、作業着の男性だった。四人分の急須が回るのを待ちながら、戸張から霧の話を聞いて、黙ってうなずいていた。そのまま一口飲むと、しばらく杯を見ていた。菓子の瓶には手を伸ばさなかった。カードに鉛筆で《なにも。夕方、仕事のあとに》と書いて、一袋買っていった。
次は高校生が二人で来た。一人は一口目を飲むなり、菓子の瓶のほうを見た。戸張は黙っていた。その子は自分で蓋を開けて一つ取り、ぼりぼり噛んで、二口目を飲んで笑った。カードには《くるみのやつ》とあった。もう一人は菓子を取らずに飲み終えて、《数学のあと》と書いた。二人は袋を買わずに、ボードに自分たちのカードが留められるのを見届けてから出ていった。
三時四十分、穂積さんが娘さんを連れて戻ってきた。
「昨日の紅茶、この子にも飲ませたくて」
澄江は二人分を含めて四杯を回し注ぎ、最後の一滴を穂積さんの杯に落とした。穂積さんはそのまま一口飲んで、目を閉じ、それから顔を上げて戸張を見た。戸張はそこで初めて、菓子の瓶をそっと二人の方へ押した。
娘さんは菓子を取り、穂積さんは取らなかった。二杯目を澄江が注ぐと、今度は穂積さんが自分で瓶の蓋を開けた。
カードには、穂積さんのきれいな字でこう書かれた。
《朝はそのまま。三時は、お菓子と。》
「昨日の豆、二つ入れたの、ばれちゃった?」
「ばれました」と戸張が言い、穂積さんは声を出して笑った。それから、ひなたを一袋と、いつもの番茶を二百グラム買った。
札を替え終えた三時二十分から四時までの四十分で、十四人が飲んだ。菓子の瓶に手を伸ばしたのは九人。袋は四つ売れた。コルクボードには十四枚のカードが並び、そのうち二枚には《せんべい(しょうゆ)》と、別々の字で書いてあった。

六 月曜の朝の報告
月曜の朝九時、開店前のカウンターで、二人は一枚の便箋に向かい合った。水野は正午に戻る。
最初に澄江が数字を書いた。土曜、試飲六十人、小豆三十一、白いんげん二十九。日曜、三時十五分まで五十八人、小豆三十三、白いんげん二十五。袋は二日で二十二、三万五千六百四十円。残りは十八袋。菓子は客に百二十七個、二人の味見に二個使い、残りは二十一個。
その下に、戸張が小さな字で書き足した。
《豆の数には、ポットを淹れてからの時間が混ざっています。どちらが多いかで決めないでください。》
「これ、怒られますかね」
「怒る人じゃないわよ。たぶん笑う」
それから二人は、何をどう決めたかを書いた。
一杯目はそのまま出す。急須で四杯ずつ、回し注ぎで淹れる。待ってもらうあいだに、茶園の話をする。菓子は目の前に置かず、蓋付きの瓶に入れて手の届くところに置く。一口目のあと、客が顔を上げるまで勧めない。二杯目には、こちらから勧める。豆の瓶はやめて、「なにと飲みたいか」を書いてもらう。カードはボードに貼って、次の人に読んでもらう。
書き終えて、戸張がペンを置いた。
「今度の土曜、焼き直してきます。砂糖、八十グラムを五十五にします。ひなたの二杯目に合わせて」
「減らしていいの? あれはあれで、おいしかったわよ」
「おいしいのは、喫茶店のケーキの横で、です。お茶の横に置くなら、お茶に合わせないと」
澄江は便箋をたたまずに、水野の机の上に置いた。重しのかわりに、ボードから外した穂積さんのカードを一枚載せた。
「私は、ガラスポットをやめる。土曜は急須を三つ並べるわ。待ってもらう人の数は、そのぶん減るでしょう」
「三つ並んでたら、回し注ぎ、見てるだけで楽しいですよ」
開店まで、まだ少し時間があった。澄江は急須をひとつ温め、ひなたを四グラム量った。湯を注いで蓋をし、時計を見ずに待った。テープは貼らなかった。
二つの杯に、端から端へ、端から端へと注いで、最後の一滴を手前の杯に振り落とした。
「最初の一杯は、あなた。最後の一滴のほうは、私がもらう」
戸張は最初の杯をそのまま飲んだ。少し間を置いて、うなずいた。
「これは、なしですね」
澄江は残っていた菓子を一つ割って半分を口に入れ、最後の一滴の入った杯を飲んだ。黒糖の後ろから、蜜の香りがゆっくり立ち上がってきた。
「これは、あり」
二人は同時に笑った。コルクボードでは、十四枚のカードが朝の光を受けていた。《なにも。夕方、仕事のあとに》の隣で、《くるみのやつ》が少し傾いている。
戸張がカードの傾きを直しながら言った。
「水野さん、一行目を読んだら何て言いますかね」
便箋の一行目には、二人の字が半分ずつ並んでいた。
《出し方を決めました。一口目は、そのまま。》
澄江はシャッターの鍵を取って、外の光の方へ歩いていった。


