一 赤は取り置き
鳩時計堂の帳場には、鉛筆が二本だけ立ててある。一本はふつうの黒い鉛筆、もう一本は芯の赤い色鉛筆だ。
「取り置きは赤。目録に印をつけるなら赤だけ。ほかの色は使わないこと」
北園律が初めて土曜の店番に入った日、店主の時任さわはそう言って、赤鉛筆のお尻で目録の表紙をとんとんと叩いた。それから四か月、律はその決まりを一度も破っていない。破りたくなるようなことが、そもそも起きなかった。
十月最後の土曜日、さわは隣の県の古書交換会に出かけていた。前の晩、帳場を片づけながら「市の最中は電話に出ないからね。帰りは七時過ぎの電車」と言い残している。
十一時、律はシャッターを上げ、百円均一のワゴンを歩道に出し、壁の鳩時計のおもりを引き上げた。この時計は、毎正時にその時刻の数だけ鳩が顔を出し、三十分にも一度だけ鳴く。おもりを上げ忘れると午後には黙りこんでしまうので、これも店番の仕事に入っている。
帳場の右端には、冬季目録第三十一号の控えが置いてある。中綴じ三十二ページ、三百二点。九月の終わりに百二十部を郵送し、残りは店頭に積んで、同じものをウェブにも載せた。版下はさわが作り、校正は律がした。律が印刷会社の校正部にいたのは去年の春までだ。部署が縮小されると決まったとき、自分から手を挙げて辞めた。誤植を探すのはいまでも得意だが、それを仕事にし続けるのには少し疲れていた。
十一時四十分、黒い固定電話が鳴った。
「目録の四十七番を見たんですけれど、『塩と星図』の古いほう、まだありますか」
落ち着いた女の人の声だった。律は控えをめくった。
四十七番。浅葉冬吾『塩と星図』波止場書林、一九八四年第三刷、カバー少ヤケ、一八〇〇円。
その番号の左に、丸がついていた。
細い灰色の丸。黒い鉛筆で描いた丸だった。
「ございます。ただ……」取り置きの印が、と言いかけて、律は口を閉じた。赤ではない。「少し確かめたいことがありまして。折り返しお電話してもよろしいでしょうか」
「お願いします。真柴と申します。月曜の朝に使いたいので、できれば今日か明日のうちに受け取りたいんです」
電話番号を書きとめて受話器を置くと、律はさわの携帯に電話をかけた。七回鳴って、留守番電話に切り替わった。
「北園です。目録の四十七番に鉛筆の丸がありますが、取り置きでしょうか。お客さまからお問い合わせがありました。お手すきのときにご連絡ください」
吹き込み終えてから、目録を最初からめくり直した。鉛筆の丸は全部で三つあった。四十七番の『塩と星図』。六十三番の七瀬苑『午後四時の植物誌』、一九八六年初版、一五〇〇円。八十八番の久我みさを『貝殻と算盤』、一九八三年第二刷、二二〇〇円。赤い丸も二つあって、どちらにも横に小さく客の名前が書いてある。鉛筆の三つには何も書いていない。
赤鉛筆が切れていたのかと思って、鉛筆立てを見た。赤鉛筆はきちんと削られて、そこに立っていた。
二 四十七番と四十八番
『塩と星図』は文学の棚の三段目にあった。隣に同じ背表紙がもう一冊並んでいる。目録の四十八番、一九九八年第十一刷、六〇〇円。こちらに丸はない。
取り置きでないなら、どうしてわざわざ高いほうに印をつけたのだろう。値段をつけ直すつもりなのか。それとも、さわが自分で読みたくなったのか。
律は二冊を帳場に持ち帰り、並べて置いた。比べるときは、同じページを並べて開く。校正部で最初に教わったやり方で、頭より先に手が覚えている。
まず奥付を開いた。四十八番は「印刷 朝凪印刷 製本 東亜製本」。四十七番は「印刷 朝凪印刷 製本 柚木製本所」。
それから、二冊とも真ん中あたりを開いて手を離した。
四十八番は、律の手が離れたとたんにゆっくり起き上がって閉じた。貝が口を閉じるような閉じ方だった。四十七番は開いたまま、カウンターの上にぺたりと寝ていた。のどの奥をのぞくと、白い糸が折り目に沿って何か所か顔を出している。糸かがりだ。新しいほうは背を糊で固めてあるだけなので、どうしても閉じようとする。
ガラス戸が開いて、近所に住む年配の男性が、均一ワゴンから文庫を三冊持って入ってきた。
「三百円ね」
「はい、ちょうどいただきます」
袋に入れて送り出すと、律は二冊の前に戻った。左右を突き合わせながら、一ページずつめくっていく。挿絵はなく、組み方も同じだ。新しい刷りで文字を組み直した様子はない。
九十六ページの次で、手が止まった。
四十八番は次が九十七ページになる。ところが四十七番の次のページは、文字が逆さまに並んでいた。下の端にあるはずのページ番号が上の端にあって、それも逆さまで、「112」と読めた。もう一枚めくると「111」。
天地が逆さの十六ページが続き、百十三ページで元に戻った。
乱丁だ。印刷した大きな紙を折ってページの束にし、その束を順に重ねて綴じる。その途中で、一束だけ逆さに入ってしまったのだ。校正部にいたころ、製本の済んだ見本に乱丁が見つかって、工場の人が頭を下げに来たことがあった。紙に刷られた文字の誤りではないから、校正では見つけようがない。それでもあのときは、自分のことのように胃が痛くなった。
律は目録の四十七番の説明を読み返した。「カバー少ヤケ」とだけある。さわは乱丁があれば必ず書く人だ。目録が刷り上がったあとで気づいたのかもしれない。だとすれば、丸は「売るのをやめる」という印だろうか。でも、それだけなら赤鉛筆で「保留」と書けば済む気がした。
三 三つの奥付
『午後四時の植物誌』は随筆の棚に、『貝殻と算盤』は郷土史の棚の端にあった。どちらも店には一冊ずつしかない。
奥付を開くと、二冊とも「製本 柚木製本所」とあった。
律はどちらも一ページずつめくった。『午後四時の植物誌』は、六十四ページの次が八十一ページで、九十六ページまで進むと、そこに六十五ページから八十ページが挟まっていた。二つの束が入れ替わっている。『貝殻と算盤』も、百二十九から百四十四ページの束と、百四十五から百六十ページの束が入れ替わっていた。
三冊とも柚木製本所が綴じた糸かがりの本で、三冊とも一か所ずつ乱丁がある。
偶然とは思えなかった。律は棚に戻って波止場書林の本をほかに四冊抜き出し、奥付を確かめた。三冊は東亜製本で、柚木製本所は一冊だけ。一九八五年刊の『港の時刻表』という詩集で、目録では百十二番、丸はついていない。全部めくってみたが、乱丁はなかった。
柚木製本所の本だから丸をつけたのではない。柚木製本所の本で、しかも乱丁があるから丸をつけたのだ。たぶん、そういうことだ。
でも、何のために。
律は釣り銭の箱を持ち上げた。さわは大事な紙をよくその下に挟んでおく。思ったとおり、二つ折りのチラシが一枚出てきた。
〈綴じ直しの会 糸かがりの本を、自分の手で直しましょう 十一月一日(日)十三時〜十六時 北町公民館二階 工作室 講師 柚木文枝 定員三名 材料費五百円 持ち物:直したい本(糸かがりのもの)〉
定員三名。丸も三つ。
チラシを裏返すと、さわの字が鉛筆で書いてあった。
〈①律くん ②さわ ③ 〉
三番目には何も書いていなかった。律はしばらくその字を見つめた。空いている三番目より、一番目に自分の名前があることのほうが気になった。そんな話は聞いていない。
十四時五十分、律は真柴に電話をかけた。
「お待たせしました。四十七番ですが、取り置きではありませんでした。ただ、確かめたら乱丁がありまして。九十七ページから百十二ページまでの十六ページが、天地逆に綴じてあるんです」
「乱丁」真柴はくり返して、少し黙った。「逆さまになっているだけなら、本を回せば読めますよね」
「それが、一束まるごと逆さまに入っているので、ページの順番も後ろからになるんです。回して読むと百十二ページから始まって、九十七ページへ戻っていく形です」
「ああ……」
「新しい刷りの四十八番でしたら、乱丁はありません。六〇〇円です」
「新しいほうは、図書館にあるのと同じですね」真柴の声が少し沈んだ。「すみません、それでも一度見せていただけますか。四時ごろ伺います」
四 開いたままの本
鳩時計の扉が開いて、鳩が四回鳴いた。三回目のところでガラス戸が開いた。
真柴は五十代くらいの女性で、灰色のカーディガンを着て、帆布の大きな鞄を提げていた。帳場の前で鞄を開け、手ぬぐいに包んだものを取り出す。ほどくと、黒い鉄の文鎮が出てきた。細長くて、端に小さな菊の模様がある。
「市の図書館で、録音図書の朗読をしているんです」と真柴は言った。「目の不自由な方や、本を持つのがつらい方のための、声で聞く本です。いま読んでいるのが『塩と星図』で、月曜の朝十時から第五章を録ります」
真柴は四十八番を手に取って開き、片側に文鎮を載せた。文鎮をずらしてページをめくり、また載せる。鉄が紙ごしにカウンターに当たって、こつん、と小さな音がした。
「この音がマイクに入るんです。録音室はとても静かなので。あとで編集の方が切ってくださるんですけど、毎回だと申し訳なくて。図書館の本はこっちの、新しい刷りなんです。仲間のひとりが、昔の刷りなら開いたままになるよって教えてくれて」
律は四十七番を差し出した。真柴は三十ページあたりを開き、両手をそっと離した。本は開いたまま動かなかった。
真柴は少し身をかがめて、小さな声で読んだ。
「塩は、海が自分を忘れないように、岸に置いていく字のようなものだと、料理番の澄夫は言った」
その声は帳場の中にちょうどよく収まって、紙は一度も音を立てなかった。読み終えると、真柴は笑った。
「ほら、静か」

「めくる音もしないほうがいいんですか」
「めくる音はいいんです」真柴は首を振った。「前に、聞いてくださっている方からお便りをいただいたことがあって。ページをめくる音が入ると、いま本を読んでもらっているんだとわかって安心する、って。だから、めくる音は本の音なんです。でも、文鎮は本の音じゃないでしょう」
律は九十六ページを開いて見せた。真柴は逆さまのページ番号を指でなぞり、本を回して、また戻した。回すたびに表紙がカウンターにこすれて、しゃっと鳴った。
「これを録音室でやったら、本の音じゃない音がたくさん入りますね」と真柴は言った。
律はチラシのことを話した。明日の午後に公民館で綴じ直しの会があること。この本はたぶん、そのために売り物からおろされていたこと。一席空いているらしいこと。ただ、それを決めるのは店主だということ。
「明日の一時ですね」真柴は文鎮を手ぬぐいで包み直した。「空けておきます。だめでも、新しいほうを買いに来ますから」
六時を少し過ぎたころ、電話が鳴った。
「留守電、聞いた」さわの声の後ろで、駅のアナウンスが流れていた。「ごめんね、言っておけばよかった。あれは赤じゃないでしょう。売り物から一回おろす印よ」
「乱丁ですよね。三冊とも柚木製本所の」
「あら、そこまで見たの」さわは嬉しそうに笑った。「柚木さんのところの本はね、私、見つけるたびに一冊ずつめくるの。癖みたいなもの。文枝さんのお父さんが綴じた本だから。たまにああいうのが混じってるのよ。九月の買い取りのなかに三冊もあって、目録を出したあとで気がついた。月曜にウェブを直すつもりだったの」
「綴じ直しの会の教材にするんですか」
「教材っていうと味気ないけど、まあ、そうね。文枝さんが、直すならうちの父の本がいいって。自分の家の間違いは、自分の家の手で直したいって」
律はチラシの裏の字のことを訊いた。電話の向こうで、さわは少し間を置いた。
「勝手に書いてごめんね。律くん、間違いを見つけるのは上手でしょう。見つけたあとに、直すほうも手でやってみたらいいと思ったの。いやなら消していいのよ」
律は、消すとは言わなかった。代わりに、三番目の席のことを話した。
「その人に来てもらって」さわはすぐに言った。「四十七番は、直したら一二〇〇円にするつもりだったの。乱丁を直した本は、元の値段では売らないことにしてるから。そう伝えてね。材料費の五百円は文枝さんに」
律は真柴に電話をかけ、そのとおりに伝えた。受話器の向こうで、真柴が手帳に何か書きつける音がした。
五 背中の階段
日曜の十二時五十分、北町公民館二階の工作室には長机が二本並べてあった。新聞紙を敷いた机の上に、目打ち、針、生成りの麻糸、木工用ボンド、小さなアイロンが三組ずつ用意されている。
柚木文枝は、さわより少し背の低い人だった。ポケットのたくさんついた紺のエプロンをして、眼鏡を額に上げていた。
「ようこそ。間違いのある本を、三冊も集めてきたのね」
さわは紙袋から箱を出した。交換会のあった町の栗まんじゅうで、五個入っている。「終わったらね」と言って、窓際の棚に置いた。
真柴は一時ちょうどに着いた。律が四十七番を渡すと、真柴は九十六ページを開いて、逆さまのページ番号をもう一度確かめた。
最初は表紙を外す作業だった。この三冊は、糸でかがった中身の背に、紙の表紙を糊で貼りつけてある。文枝はアイロンを低い温度にして背に当て布をし、ゆっくり押し当てた。
「糊を眠くさせるの。急ぐと紙が破れるからね」
しばらく待って表紙の端をそっとめくると、ぱり、と小さな音がして背から離れた。現れた背には、紙の束の折り目が十いくつも並んでいた。その折り目のひとつひとつに、黒い小さな四角が刷ってある。四角は束ごとに少しずつ位置がずれていて、背全体を斜めに横切る階段になっていた。
「背標っていうの」と文枝が言った。「印刷屋さんが紙の端に刷っておく印。製本屋は、この階段がまっすぐ続いているかを見て、束の順番を確かめるのよ」
律は自分の受け持ちの『午後四時の植物誌』の背を見た。階段の途中で一段が先へ飛んでいて、その先に、飛ばされた一段がぽつんと挟まっていた。
「あった」と思わず声が出た。
隣では真柴も自分の本の背を見ていた。『塩と星図』の階段は、一段だけが背のいちばん下の端に落ちていた。逆さに入った束の印が、上ではなく下の側に来ているのだ。
「父はね、老眼鏡を額に上げたまま束を揃える人だったの」文枝は自分の額の眼鏡を指で押し上げて笑った。「下ろせばいいのにね。だから、たまにこういうのが出るのよ」
次は糸を切る作業だった。文枝は小さな糸切り鋏を三本配って、背の内側の、かがり糸が渡っているところを指さした。
律は鋏を持ったまま、しばらく動けなかった。ここを切ったら、本はばらばらの紙の束になる。元には戻らない。
「戻すために切るのよ」向かいから文枝が言った。「切らないで直る間違いなんて、そうないから」

律は息を吸って、一本目を切った。思ったより軽い手ごたえで、糸はぷつりと離れた。二本目、三本目と切っていくうちに、束がひとつずつ背から浮いてきた。
さわの『貝殻と算盤』からも、糸の端がほどけた。文枝がそれをつまみ上げて、目の前にかざした。その結び目だけ、ほかの結び目とちがって、二度ねじってから締めてあった。
「ほら、うちの父の結び。最後の一針だけ、必ずこうするの。ほどけないようにって」
さわは黙ってうなずき、その糸くずをハンカチに挟んだ。
束をばらしてしまえば、直すこと自体はそれほど難しくなかった。律は入れ替わった二つの束を正しい順に戻し、背標の階段がまっすぐ続いているのを確かめた。真柴は逆さの一束を回して正しい向きにし、九十六ページの次に九十七ページが来るのを二度確かめた。
かがり直しは、文枝が一冊ずつ手を添えて教えた。目打ちで古い穴を探して、そこに針を通す。新しい穴は開けない。真柴の手つきは驚くほど落ち着いていた。
「編み物をするので」と真柴は言った。「でも、本を縫うのは初めて」
律の針は、何度か隣の穴に入りかけた。そのたびに文枝が「ひとつ上」と言った。
最後の一針を通すと、文枝は律の手元をのぞいて、「結び方は好きにしていいのよ」と言った。律は少し迷ってから、糸を一度だけねじって締めた。
背にボンドを薄く塗って表紙を貼り直したとき、時計は十五時五十分を指していた。律と真柴は、文枝に材料費の五百円ずつを払った。
「一晩、重しをして乾かしてね」と文枝が言った。「明日の朝までは開かないこと」
「十時から録音なんです」と真柴が言った。
さわは三冊を自分の紙袋に入れた。「じゃあ、うちの店で重しをして乾かして、明日は朝八時半に店を開けるわ。それなら間に合うでしょう」
栗まんじゅうは、四人で一個ずつ食べた。残った一個を見て、文枝が「録音、うまくいきますように」と言いながら真柴の前に押しやった。真柴は笑って手ぬぐいに包み、鞄にしまった。文鎮の隣だった。
六 鉛筆の丸
月曜の朝八時半、律は平日の勤め先へ向かう前に鳩時計堂へ寄った。さわはもうシャッターを半分上げていて、帳場の上では、重しにした辞書三冊の下から三冊の本が出してあった。
真柴は八時三十五分に来た。四十七番を受け取ると、その場で九十六ページを開いた。次のページには、正しい向きで「97」とあった。真柴はそのまま本をカウンターに置き、両手を離した。本は開いたままだった。
真柴は千円札一枚と百円玉二枚を払い、さわが領収書を書いた。それから真柴は鞄から手ぬぐいの包みを取り出し、文鎮だけを抜いてカウンターの隅に置いた。
「今日はこれ、預かっていただけますか。持っていると、つい使ってしまいそうなので」
十一月の第二土曜、葉書が一枚届いた。差出人は真柴だった。
〈第五章、録り終えました。紙をめくる音しか入らなかったと、編集の方に言われました。文鎮は、そのうち取りに伺います〉
律は葉書を帳場の壁にピンで留めた。その下の鉛筆立てには、黒い鉛筆と赤い鉛筆が並んでいる。
律は目録の控えを開き、四十七番の灰色の丸を消しゴムでそっと消して、赤鉛筆で細い線を引いた。売れた本の印だ。六十三番の『午後四時の植物誌』は、律が自分で書いた短冊を挟んで、随筆の棚に戻してある。〈綴じ直し済 一〇〇〇円〉。
昼過ぎ、均一ワゴンの文庫を並べ直していると、一冊だけ単行本が混じっていた。灰色の布表紙の、薄い紀行文集だった。奥付を開くと、「製本 柚木製本所」とあった。
律はその場で一ページずつめくった。四十八ページの次が、六十五ページだった。
律は本を帳場に持ち帰り、黒い鉛筆で値札の隅に小さな丸を描いた。それから、さわの机の上にそっと置いた。
夕方、仕入れの包みをほどいていたさわが、その本に気づいて手に取った。二、三ページめくってから、律のほうを振り返った。
「来月の分ね」
壁の上で鳩時計の扉が開き、鳩が五回鳴いた。


