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ものづくり・仕事

ガラスの花瓶は、貸せません

貸せないけれど、花は入る。十八万円の青い花瓶と、仕事の値段の話。

作者
クロード
読了目安
約21分
長さ
短編
#あたたかい#仕事#ものづくり
ガラスの花瓶は、貸せませんのイメージ

あらすじ

運河沿いのガラス工房に、近所の花屋がやってきた。十周年の冊子を撮るために、大きな青い花瓶を一日貸してほしいという。作者である友人はすぐにうなずくが、その日は展示の初日だった。販売係の千景は、費用と条件を記した三枚の紙を用意する。十一月の朝、ものを作って売る人たちが選ぶ約束。

読みやすく、好きなところから。

目次・8章

一 火曜日の「いいよ」

薄紙を二枚重ねて、湯呑みの口を内側から押さえる。外側を三周巻いて、テープは一か所だけ。小田切千景がこの手順を覚えたのは、工房に勤めはじめて最初の週だった。

「ありがとうございました。帰り道、袋を傾けないでくださいね」

紙袋を受け取った客が出ていくと、扉のベルが小さく余韻を残した。午後四時四十分。運河に面した窓の外は、もう光が橙色に寄っている。

工房浅瀬は、古い倉庫の一階を半分に仕切って使っている。奥が窯と作業場で、手前が売り場だ。売り場の真ん中には腰の高さの白い台があり、その上に青い大花瓶がひとつ立っている。高さ五十二センチ、胴のいちばん太いところで二十六センチ。底へ向かうほど青が深くなり、口のあたりはほとんど透明になる。作者の有馬冬子は、これに「みずうみ」と名前をつけた。値札は十八万円。

ベルがまた鳴った。

「こんにちは。……あ、まだやってますよね」

入ってきたのは、二本先の通りで花屋をしている宇佐見恭平だった。濃い緑のエプロンを外し忘れていて、胸ポケットから園芸ばさみの柄がのぞいている。冬子の一輪挿しを何度か買っていった人で、千景も顔は知っていた。

「五時までです。どうぞ」

「すぐ済みます。ちょっとご相談があって」

恭平は台の前に立ち、みずうみを見上げるように首を傾けた。

「あれを、土曜に一日だけ貸してもらえないかと思って」

千景はテープカッターを置いた。

「土曜というと、十四日ですか」

「はい。うち、来月で十周年なんです。それで小さい冊子を作ることにして、表紙の写真を土曜に撮るんです。カメラマンの都合がその日の午前しか取れなくて。この花瓶、窓の外からずっと見てたんですよ。冬の花を入れたら絶対にいいと思って。冊子には工房さんのお名前を必ず載せます」

必ず、のところで恭平は少し胸を張った。千景はうなずき、カウンターの下から卓上カレンダーを引き出した。十四日の欄には自分の字で、「冬の展示替え 10:00〜/窓辺の冬展 13:00開場/開場の花 未手配」とある。展示の真ん中に置くと決めてあるのは、ほかでもないみずうみだった。

「その日は、ちょうど展示替えでして」

言いかけたところで、作業場との境の暖簾が揺れた。

「恭平さんの声がすると思った」

有馬冬子が、耐熱の腕カバーを外しながら出てきた。額に汗の筋が一本光っている。千景とは高校で同じクラスだった。四年前に冬子がこの工房を開き、三年前、千景は運送会社の事務をやめて販売を引き受けた。

恭平が同じ話をもう一度すると、冬子の顔がぱっと明るくなった。

「いいよ。貸そう。みずうみに花が入るとこ、私も見たい」

千景はカレンダーを開いたまま、冬子のほうを見た。冬子はその視線に気づかず、もう恭平と花の話を始めている。白い枝ものがいいとか、実ものを少し垂らすとか。

「宇佐見さん」と千景は言った。「明日の午後、もう一度来ていただけますか。条件をまとめておきます」

「条件」

「はい。お貸しできるかどうかも含めて」

恭平は一瞬だけ冬子の顔を見て、それから「わかりました。三時ごろに」と言った。冬子が何か言いかけたが、千景のほうが先に頭を下げていた。

二 貸出記録

閉店の札を返したあと、千景はカウンターのいちばん下の引き出しから、薄い大学ノートを取り出した。表紙にマジックで「貸出記録」と書いてある。開くと、記入は一件だけだ。

――三月四日。カフェとまり木様。大皿(灰青)二枚。期間二週間。無償。返却、四月十五日。

「それ、まだ取ってあるんだ」

冬子が丸椅子を引き寄せて座った。作業場の熱が、まだ服から立ちのぼっている。

「取ってある。お皿はきれいに戻ってきたし、とまり木さんも悪い人じゃなかった。改装が延びただけ」

「うん」

「でも春の展示、あの二枚のところに穴があいたでしょう。私が手持ちの小鉢を並べて埋めたけど、ずいぶん薄く見えた。それに三月の終わりに、あの大皿を買いに来たお客さんがいたの。名前、覚えてる?」

冬子は首を振った。

「私も覚えてない。名刺をもらいそびれたから」

千景はノートを閉じ、カウンターの端に積んである案内状を一枚取った。「窓辺の冬 有馬冬子 吹きガラス展」という文字の上に、みずうみの写真が刷ってある。先月、二百枚刷って、半分はもう郵送してしまった。

「十三時に来る人たちは、これを見て来るの」

冬子は案内状を受け取って、しばらく眺めていた。

「恭平さんはちゃんと返してくれるよ」

「返してくれると思う。そこは心配してない」

千景は指を折った。

「うちの保険は店の中にある品物だけ。外へ持ち出すなら、そのたびに特約が要る。あの大きさだと箱もない。運ぶなら私が付いていくことになる。それで、土曜の朝に間に合うように戻ってこなかったら、案内状の真ん中が空っぽ」

「……全部、お金の話だね」

「全部お金の話。冬ちゃんの十八万円の花瓶の話」

冬子は案内状を台の上に置き、みずうみのほうへ目をやった。売り場の照明はもう半分落としてあって、青は黒に近く沈んでいる。

「私の花瓶ってさ、ほとんど花を入れてもらえないんだよ」

千景は黙って聞いた。

「買ってくれる人はみんな、飾っておくだけって言う。もったいなくて入れられないって。うれしいんだけど、作ってるときはいつも、ここに枝が来るなとか考えてるの。恭平さんが言ったとき、それが見られると思った。だから、いいよって言っちゃった」

「うん。わかった」

千景はノートを引き出しに戻し、代わりに裏紙の束とボールペンを出した。

「じゃあ、花が入るところを、ちゃんと仕事にしよう」

「恭平さんからお金を取るの?」

「取る。恭平さんだって、花でお金を取ってるでしょう」

冬子は少し笑った。

「千景が決めて。私、こういうの決めようとすると、全部いいよって言っちゃうから」

「決めるのは宇佐見さん。私は、選べるようにしておくだけ」

三 七時四十分

水曜の朝、千景は七時十五分に工房の鍵を開けた。帳簿は人のいない時間につけると決めている。電話も鳴らないし、冬子もまだ来ない。十一時に開店するこの店で、朝の売り場を知っているのは千景だけだった。

伝票を三日分まとめ終えたころ、床に細い光の筋が走った。

東の窓の向こう、運河を挟んで向かいに建つ倉庫の屋根を、太陽が越えたのだ。十一月のこの時期にだけ、光は低い角度で売り場を横切り、ちょうど中央の台の高さを通る。

みずうみの底のほうが、内側から点いたように青くなった。光は胴の厚いところで曲がり、白い台の上と床に、薄い水色の影を落とす。影の真ん中には、冬子が「わざと残した」と言っていた小さな気泡がひとつあって、それが床の上では白い点になって揺れていた。

千景は時計を見た。七時四十一分。

去年も一昨年も、この光は見ていた。けれど、誰かに見せようと考えたのは初めてだった。スマートフォンを取り出し、二枚撮る。十二分ほどで光は台から外れ、床の端へ逃げていった。

それから千景は、裏紙を三枚並べて書きはじめた。

一枚目。お店への貸出。金曜十八時に持ち出して、土曜九時半に返却。作品の使用料一万円、持ち出しの保険特約六千円、梱包と運搬は千景が同行して八千円。合計二万四千円。

二枚目。工房での撮影。土曜七時から九時半まで。場所と作品の使用、立会い込みで一万二千円。花瓶は台から動かさない。

三枚目。展示が終わったあと。十二月七日以降なら貸出可能。一万五千円と運搬費。

三枚とも、最後の行に同じことを書き足した。「作品に触れるのは、作者・販売担当・手袋をした依頼者のみ」。

四 三枚の紙

三時を五分過ぎたころ、恭平が女性をひとり連れてやってきた。肩から黒いカメラバッグを下げている。

「写真をお願いしてる森さんです」

「森茜です。土曜は午後に結婚式の撮影が入っていて、午前しか空いてなくて。ご迷惑をおかけしてます」

千景はカウンターの上に三枚の紙を並べた。恭平は一枚目から順に読み、二枚目のところで、ほんの少し唇を結んだ。

「……お金、かかるんですね」

責める口調ではなかった。思っていたより重い荷物を渡されたときのような声だった。

「かかります」と千景は言った。「十八万円の販売品で、土曜は展示の初日なので」

「そうですよね。いや、そうだ」

恭平はエプロンのポケットから小さな手帳を出して開いた。

「正直に言うと、冊子全体で五万円なんです。森さんに三万。印刷は別に積み立ててあって、花材が八千円くらい。予備に二千円は残したいので、花瓶に回せるのは一万円です」

森が横から二枚目の紙を指で押さえた。

「工房で撮るなら、私は運ぶ心配がなくて助かる。でも恭平くん、店の壁で撮りたいって言ってたよね」

「うん。うちの店の奥の、青いタイルの壁。開店のとき、自分で一枚ずつ貼ったんだ。表紙は、うちらしい一枚にしたくて」

それが恭平のいちばんの望みなのだと、千景にもわかった。花瓶を借りたいのではない。花瓶を、自分の店に置いてみたいのだ。

千景はスマートフォンを出し、今朝の写真を画面に出して二人の前に置いた。

「今朝の七時四十分です。この時期だけ、向かいの屋根を越えた光がここを通ります。十二分くらいで外れますけど」

森が画面に顔を近づけた。指で拡大し、床に落ちた水色の影のところで止める。

「この光、撮りたい」

三枚の提案書とスマートフォンを挟んで相談する千景、花屋の恭平、写真家の森。背後の白い台に、まだ花の入っていない青い花瓶が立っている。

それから森は顔を上げて、恭平を見た。決めるのはあなた、という目だった。

恭平は長いこと画面を見ていた。そのあいだに、作業場の奥で冬子が吹き竿を回す音がかすかに聞こえた。

「表紙を工房で撮って」と恭平は言った。「裏表紙を、店のタイルで撮るのはどうかな。森さん、九時半にここを出て、十時にうちで十五分だけ。間に合う?」

「十五分なら。式場は十二時入りだから」

「じゃあ、そうします。二枚目で」

恭平はそう言ってから、手帳の数字を指で叩いた。

「ただ、二千円足りない。それで、ひとつ考えたんですけど。撮影に使った花を、そのまま展示の初日に置いていくのはどうでしょう。その分で差額を――」

「それは、別々にさせてください」

千景はカレンダーを引き出して、十四日の欄を恭平に見せた。「開場の花 未手配」。

「初日のお花は、もともとどこかに頼むつもりでした。撮影のあと、そのまま開場の花として注文させてください。八千円で、日曜の夕方の撤去まで込みで。撮影料は一万二千円、そのままいただきます」

「……それ、結局、工房さんが損してませんか」

「してません。お花代は、どこに頼んでも払うものなので。宇佐見さんのお花なら、案内状の青とも合います」

恭平は口を開けかけて、閉じて、それから笑った。

「八千円の注文、承ります。ちゃんと請求書を出します」

「お願いします」

千景は森のほうを向いた。

「森さんにもひとつお願いが。撮っていただいた写真を、展示の告知に二点使わせてもらえますか」

「使用料をいただきます」と森はすぐに言った。「一点三千円。クレジットは『撮影 森茜』で入れてください」

「はい。六千円、お支払いします」

恭平が声を立てて笑った。

「みんな、ちゃんと取るんだなあ」

「取るよ」と森は言った。「取らないと、次が撮れない」

そのとき暖簾が揺れて、冬子が顔を出した。話はどこから聞いていたのか、腕カバーをしたまま台のほうへ歩いていく。

「水はどうするの?」

「落としを入れます」と恭平は答えた。「ブリキの筒です。水は筒の中だけで、ガラスには触れさせません」

冬子はポケットからメジャーを出して、みずうみの口に当てた。

「口が十一センチ。中は少しすぼまってるから、筒は九センチまでにして」

「九センチのがあります。ちょうど」

冬子はメジャーを巻き戻しながら、千景のほうを見た。何か言われるかと思ったが、冬子はただ小さくうなずいて、作業場に戻っていった。

五 一枚の取り決め

木曜の夜、千景は三枚の紙を一枚に書き直した。

日時、十一月十四日土曜、七時から九時半。場所、工房浅瀬の売り場。料金、一万二千円、当日に現金で。作品は台から動かさず、向きを変えるのは台の上での回転だけ。触れるのは有馬、小田切、手袋をした宇佐見の三人。落としは直径九センチ以下。九時半に撤収。冊子のクレジットは「花器 有馬冬子(工房浅瀬)」。

その下に別の段を設けて、開場の花、八千円、日曜十七時に撤去。写真の使用、二点、六千円、撮影者名を表記。

金曜の昼、恭平が来て署名した。冬子は作者の欄に、千景は販売担当の欄に名前を書いた。冬子の字は大きくて、欄からはみ出した。

「千景、火曜の夜、ずっと考えてたでしょ」

恭平が帰ったあと、冬子が言った。

「少しね」

「私、千景は断るんだと思ってた」

千景は署名の済んだ紙を、クリアファイルに入れた。

「断ったよ。貸すのは断った」

「そうだね」と冬子は言った。「でも、花は入る」

金曜の閉店後、二人は秋の展示を前倒しで片づけた。本当は土曜の十時から始めるつもりだった作業だ。棚の小鉢を一つずつ薄紙で包み、木箱に戻していく。九時近くになって、売り場に残ったのは中央の台のみずうみだけになった。

「今日の片づけと、明日の早朝の分、ちゃんと時間つけてね」と冬子が言った。

「つけるよ。立会いの分も含めて、工房の経費に入れてある」と千景は答えた。

六 雲

土曜の朝、六時五十分。恭平は花の入ったバケツを三つ、通り二本分を手に提げて歩いてきた。森は三脚とライトスタンドを抱えて、その少しあとに着いた。

バケツの中身は、葉が赤く色づいた雪柳の枝、白いアネモネが十本、それにノイバラの赤い実がついた細い枝。恭平は作業台の端に新聞紙を広げ、枝を一本ずつ切り戻していく。はさみの音が、空っぽの売り場によく響いた。

七時二十分、恭平は白い綿の手袋をはめ、ブリキの筒をみずうみの口から静かに下ろした。筒の底がガラスに触れないところで、冬子が「そこ」と言った。恭平は手を止めた。筒の縁が、口の少し下でぴたりと収まる。

枝が入った。最初の一本で、みずうみは急に花瓶になった。冬子が腕を組んだまま、一歩も動かずにそれを見ていた。

七時三十分。窓の外は白かった。

森が空を見上げ、千景も見上げた。雲が厚い。天気予報は晴れだったはずだ。七時四十分になっても、床には何の筋も現れなかった。

千景は、自分の胃のあたりが固くなるのを感じた。光の写真を見せたのは自分だ。恭平は裏表紙の時間まで動かして、この朝を選んだ。

「曇りの光でも撮れますよ」と森が言った。三脚の上のカメラをのぞき込み、シャッターを何度か切る。「柔らかくていい。これはこれで、いい」

それでも、森が窓のほうを気にしているのは千景にもわかった。

冬子が作業場から湯呑みを四つ、盆にのせて持ってきた。どれも、口の縁が少しだけ波打っている。売り物にならなかった湯呑みだ。

「ほうじ茶。花には近づけないでね」

四人は窓から離れた作業台のまわりで、立ったまま茶を飲んだ。恭平が湯呑みを光にかざした。

「これ、売ってないんですか」

「歪んでるから」

「うちの店の、休憩用に欲しいな」

「そういうのはあとで千景に言って」

七時五十八分、窓の外の白が、ほんの少しだけ薄くなった。

八時三分。

床に、光の筋が一本走った。それは二十分ほど前に来るはずだった場所よりも少し右にずれて、台の脚を這い上がり、みずうみの底を点した。

森はもうカメラの後ろにいた。青い光が胴の中で曲がり、雪柳の赤い葉の影と、アネモネの白い影が、台の上に重なって映る。床の上で、気泡の白い点が揺れていた。

青い花瓶の内筒に白いアネモネと赤い枝ものを生ける恭平。森が三脚で撮影し、少し離れて冬子と千景が見守っている。

「恭平くん、右のアネモネ、一本だけ手前に」

恭平が手袋の手を伸ばした。半歩踏み込んだ肘が、みずうみの肩に近づく。千景の手が、思わず台のほうへ動いた。

恭平の肘は、ガラスの二センチほど手前で止まった。彼はそのまま体を引き、手首だけを動かしてアネモネの茎を直した。

「すみません」と、恭平は千景を見ずに言った。「近かった」

「大丈夫です」

何も起きていなかった。千景は手を下ろした。

シャッターの音が続く。冬子は千景の隣で、腕を組んだまま黙っていた。光の中で、自分の作った青に枝が差してあるところを、ずっと見ていた。

八時十五分ごろ、光は台から外れて床の端へ移り、やがて消えた。

森がカメラから顔を上げて、深く息を吐いた。

「撮れた」

そのあと一時間ほどは、曇りの光で角度を変えて撮った。九時二十分、森は三脚をたたみ、恭平は新聞紙を丸めた。

恭平がエプロンのポケットから白い封筒を出した。千景は中の一万円札一枚と千円札二枚を数え、領収書を書いて渡した。それから自分の側の封筒を出す。開場の花の代金、八千円。

「請求書はあとで持ってきます」と恭平が言った。

「受け取りは、それと引き換えで」

「ですよね」

恭平は笑って、封筒を受け取らずに千景のほうへ押し戻した。千景はそれをカウンターの引き出しにしまった。

九時半。森は機材を抱え、恭平と一緒に店へ向かって小走りに出ていった。扉のベルが鳴りやんだあと、売り場には花の入ったみずうみが残った。

七 貸せません

十時、展示替えが始まった。前の晩に片づけておいたおかげで、二人は新しい作品を並べることだけに時間を使えた。冬の窓をかたどった薄い板ガラスを壁際に、小さな冷酒器を窓辺に。中央の台は、花ごと、そのままにした。

十三時。案内状を手にした人たちが、ぽつぽつと入ってきた。

年配の女性が台の前で足を止め、しばらく見てから千景に尋ねた。

「この花瓶、お花も込みのお値段?」

「お花は明日の夕方までです。花瓶だけのお値段です」

女性は笑って、案内状の写真と見比べた。

「写真より、こっちのほうがいいわね。花が入ってるほうが」

三時ごろには、若い男性が真剣な顔で千景に声をかけてきた。友人の結婚式の受付に、この花瓶を一日だけ貸してもらえないか、と言う。

千景は、少しだけ考えてから答えた。

「作品はお貸ししていないんです。でも、こちらで撮影されたり、花を入れたりするのはご相談に乗れます。料金があります」

男性は「考えてみます」と言って、名刺を一枚くれた。千景は今度こそ、それを受け取った。

閉店後、千景は厚紙を一枚切り、太いペンで書いた。

――作品の貸し出しはいたしません。
  工房での撮影・花入れはご相談ください。(料金表あり)

冬子が後ろからのぞき込んだ。

「貸せません、って、最初に書くんだ」

「書く。そのあとのほうが大事だから」

千景は札をカウンターの端に立てかけた。それから引き出しの奥から「貸出記録」を出して、一件目の次のページを開いた。上の余白に「工房内使用」と書き、その下に一行目を書く。

――十一月十四日。宇佐見生花店様。冊子撮影。一万二千円。花、八千円。写真、六千円。作品、移動なし。

「名前、もう一個増やしておいて」と冬子が言った。

「何の?」

「湯呑み。恭平さんの休憩用。B品で、ちゃんとお金取って」

千景は笑って、ページの隅に小さく書き足した。

八 十二月

十二月の最初の月曜、恭平が紙袋を提げてやってきた。中には刷り上がったばかりの冊子が十冊入っていた。

表紙には、青い光の中に雪柳とアネモネが立っていた。台の上に落ちた水色の影の真ん中に、白い小さな点がある。裏表紙には、手で貼った青いタイルの壁を背に、エプロン姿の恭平がバケツを抱えて立っていた。

奥付の下に、小さな文字が三行並んでいる。

撮影 森茜
 花器 有馬冬子(工房浅瀬)
 花 宇佐見生花店

「十冊、置いていきます。これは差し上げるんじゃなくて、店の宣伝なので、気にせず配ってください」

「そういうことなら、お預かりします」

恭平は売り場をひと回りして、窓辺の棚の前で足を止めた。細い首の一輪挿しを手に取り、光にかざす。

「これ、ください。店のカウンターに」

千景は値札を確かめた。四千八百円。薄紙を二枚重ね、口を内側から押さえ、外側を三周。テープは一か所だけ。

「ありがとうございました。帰り道、傾けないでくださいね」

「二本先ですよ」

「二本先でもです」

扉のベルが鳴った。カウンターの端では、厚紙の札が少し斜めに立っていた。中央の台のみずうみには、冬子が自分で切ってきた南天の枝が一本だけ挿してあった。落としは、恭平のものより一回り細い、冬子が自分で選んだ筒だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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