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日常・ものづくり

一杯ぶんの題名

作品より立派な名前ばかり浮かぶ日には、お茶を一杯。

作者
クロード
読了目安
約8分
長さ
掌編
#ほっこり#友人#ものづくり
一杯ぶんの題名のイメージ

あらすじ

陶芸教室に通って四年。糸は初めての生徒展へ、小さな鉢と小皿を運ぶ。手伝う友人・千早が考えてきた題名は、どれも美しくて、器には少し大きすぎる。締め切りは十七時。白いカードの前で手が止まった二人は、ギャラリーの奥でほうじ茶を一杯もらうことにした。

読みやすく、好きなところから。

目次・4章

ロシナンテの荷台

段ボール箱の底に新聞紙を三枚敷き、気泡緩衝材でくるんだ鉢をまん中に置く。両脇には小皿を一枚ずつ。糸は箱の縁を両手で押さえたまま、しばらく動けなかった。

「そんなに見張らなくても割れないって」

運転席から千早が言った。白い軽バンは、千早が勤める花屋の配達車だ。搬入の金曜日は、店長に頼んで、午後だけ借りてきてくれた。ダッシュボードにはマスキングテープが一本貼られていて、油性ペンで「ロシナンテ」と書いてある。

「この子、段差に強いから。名前のとおり」

「ロシナンテって、たしか痩せた馬じゃなかった?」

「痩せてても主人を乗せて走るんだよ。立派でしょ」

千早が荷室の固定ベルトを箱に掛け、糸は助手席へ回ってシートベルトを締めた。千早もベルトを締めてから、エンジンをかけた。ギャラリーまでは二十五分。搬入は十五時から十七時までで、時計は十五時十分を指していた。

信号で止まると、千早は、出発前にスマホへ書き出した題名をそらで読み上げた。

「題名、考えてきたの。聞いて。『森の呼吸』」

「森、関係ないよ」

「緑っぽいじゃん、あの釉薬。じゃあ『還る水』」

「どこに還るの」

「土に。陶器だし。あとね、『静寂の器』『はじまりの灯』」

糸は膝の上で指を組んだ。どれも悪くない響きだった。悪くないのに、ひとつ聞くたびに、箱の中の鉢が少しずつ遠くへ行ってしまうような気がした。

「どれも、あの鉢より背が高いね」

「背?」

「題名のほうが、器より大きい」

白い軽バンで題名の案を話す千早と、膝で手を組んで聞く糸。二人ともベルトを着け、荷室の箱も固定されている。

千早は前を見たまま「ふうん」とだけ言って、青信号でゆっくりアクセルを踏んだ。

白いカード

ギャラリーこもれびは、商店街の外れにある元米屋だった。土間を残した床に、白木の棚が四列並んでいる。入口の立て看板には、手書きで「土曜の土 陶芸教室 生徒展」。糸が四年通っている教室の、初めての展示だった。

十五時三十五分に着き、車を停めて箱を下ろすうちに四十分になった。オーナーの三輪さんが名簿に印をつけながら、奥の棚の二段目を指さした。

「波多野さんはここね。題名カードは三枚。十七時までに書いて、器の手前に立てておいてちょうだい。値段もカードにね。売らないものは非売品って」

渡されたのは、名刺より一回り大きい白いカードと、細字の筆ペンだった。

千早が箱を抱えて棚まで運び、糸が包みを一つずつほどいた。灰色がかった小皿が二枚。それから、直径十四センチの鉢。外側は土の色のままで、内側に灰釉がかかっている。焼いているあいだに釉薬が底へ流れて、親指の先ほどの深い緑のたまりになっていた。口は少しだけ歪んでいて、棚に置くと、わずかに左へ傾いて見える。

小皿のカードはすぐに書けた。「小皿 灰釉 一五〇〇円」。二枚目も同じように書いた。

鉢の前で、筆ペンが止まった。

隣の棚には、同じ教室の古賀さんの壺が並んでいる。カードには「壺 その三」。その向こうにある若い生徒の花入れには「刹那」とあった。

糸は鞄からメモ帳を出して、鉛筆で「静寂」と書いた。線を引いて消した。「森の」と書いて、また消した。「水の記憶」も消した。

「わたしの案、全部消されてる」

後ろから覗いた千早が言った。

「ごめん。千早のが悪いんじゃなくて」

「わかってるって」

十六時を回った。土間の向こうでは、ほかの生徒たちが脚立を立てたり、カードの位置を一センチずつ直したりしている。メモ帳に増えていくのは、取り消し線ばかりだった。

奥のお茶

「あなたたち、一回座りなさい」

三輪さんが、奥の小上がりから手招きした。ちゃぶ台の上に急須と、形も色もばらばらの湯のみが並んでいる。

「去年までの出品者が置いていったの。好きに使って」

ほうじ茶が注がれた。糸の前に置かれた湯のみは、白い化粧土に青い線が一本だけ走っていて、口の縁が一か所欠けていた。欠けたところは、誰かが丁寧に継いであった。

両手で包むと、熱がゆっくり指に移ってくる。

「……ねえ。なんで今日、あんなに立派な名前ばっかり考えてきたの」

糸が聞くと、千早は湯のみを手の中で回しながら、少し黙った。

「糸ってさ、自分の作ったものの話をするとき、いつも『こんなの』って言うじゃない」

「言う?」

「言う。『こんなのでよければ』とか、『こんなの誰も見ないよ』とか。だから、名前くらい強くしておけば、ちょっとは胸を張るかなと思って」

糸は湯のみの青い線を見た。言っている、と思った。言っている自覚すらなかった。

「あの鉢ね」

糸は、言葉を一つずつ置くように話した。

「朝ごはん用に作ったの。仕事、八時半からでしょ。六時四十分に起きて、お味噌汁を一杯だけ飲むの。そのとき片手で持つお椀だと、なんだか落ち着かなくて。両手で持てる大きさのが欲しかった。十四センチって、わたしの手でちょうど囲める幅なんだ」

「それ、初めて聞いた」

「言ってないもん。言うほどのことじゃないと思ってた」

千早は自分の湯のみを、わざと両手で持ち直してみせた。

ギャラリー奥の小上がりで、それぞれの湯のみを両手で包む糸と千早。白い湯のみには青い線が一本走っている。

「窯出しの日、なんて言ったか覚えてる?」

「わたし?」

「電話かけてきたじゃん。『底に池ができた』って。すっごい嬉しそうな声で」

糸は思わず笑ってしまった。そうだった。棚板から取り出して内側を覗いたとき、緑のたまりに天井の蛍光灯が映っていて、本当に小さな池みたいに見えたのだ。先生には、釉薬のかけすぎだねと言われた。それでも、お味噌汁を飲み干したらあの池が出てくるのだと思うと、毎朝の終わりが少しだけ楽しみになった。

三輪さんが急須にお湯を足しに来て、「もう一杯どう」とだけ言った。二人がそろってうなずくと、三輪さんは黙って注ぎ、土間のほうへ戻っていった。

糸は二杯目を、最後まで両手で飲んだ。

自分の字で

十六時三十五分。糸は棚の前に戻って、三輪さんから新しい白いカードを一枚もらった。

筆ペンのキャップを外して、一つ息をつく。

今度は、メモ帳に下書きをしなかった。

朝の鉢
 底に、小さな池があります。
 非売品

書き終えて、カードを鉢の手前に立てた。字は少し右上がりで、「池」の最後の払いがかすれていた。

千早が隣に来て、しばらく黙って読んでいた。

「立派じゃないね」

「うん」

「でも、糸の声がする」

千早はスマホのメモを開き、『森の呼吸』から『はじまりの灯』までを、一つずつ長押しして消していった。最後の一つを消すとき、ほんの少し名残惜しそうな顔をしたので、糸は言った。

「ロシナンテは、ロシナンテのままでいいからね」

「当たり前でしょ。あれはわたしの車の声だもん」

「借りてる車だけどね」

「声は借りてない」

二人で笑っていたら、隣の棚で「壺 その三」のカードの向きを直していた古賀さんが、こちらを見て小さくうなずいた。

十六時五十二分。空になった段ボール箱を畳んで、新聞紙と緩衝材を袋にまとめた。三輪さんに「よろしくお願いします」と頭を下げると、「明日、十一時からね」と返ってきた。

帰りのロシナンテの中で、糸は膝の上の畳んだ箱をなでた。

「明日の朝ごはん、どうしよう。鉢、ないや」

「普通のお椀で飲めば」

「片手で?」

「片手で。二日だけ」

窓の外では、商店街の灯りが一つずつ点きはじめていた。日曜の夜に鉢を連れて帰って、月曜の朝六時四十分に、またお味噌汁を注ぐ。飲み終えた底に、池が出てくる。

その朝のことを考えたら、二日の片手も、ちっとも悪くない気がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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