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ミコシリーズ第12話
コメディ・日常

その写真には、わたしもいる

「撮るほうが落ち着く」も、本当だったけど。

読了目安
23分
長さ
短編
#前向き#くすっと笑える#友だち
その写真には、わたしもいるのイメージ

あらすじ

卒業して六年。大学のゼミ同期六人が、昔よく通った洋食屋に集まることになった。ゆかりも来る。気づけばミコは五台のスマートフォンを順番に預かり、いつもの撮る係に。撮るのは好きだし、みんなも楽しそうだ。でも、持ち寄った学生時代の写真には、自分の影しか写っていなかった。次の集合写真には、わたしも入りたい。言い出すまでと、そのあとが、どちらも大事件になる日曜日。

第一章 昔の写真、持ってきてね

九月の終わりの水曜日、夜。
スマートフォンが、聞き慣れない音で鳴った。

何年も動いていなかったグループからの通知だった。
グループの名前は、「春日ゼミ 六期」。

〈ひさしぶり! 平田です〉
〈十月の第二日曜、ゼミのみんなで集まらない? お昼に、つばめ亭で〉
〈そのあと、大学のほうも歩けたらいいなと思ってます〉

平田さんは、ゼミで同じ学年だった。卒業してからも、年に一度くらい、このグループに季節のあいさつを送ってくれていた人だ。返事が少なくても、毎年、送ってくれていた。

通知は、すぐに続いた。

〈行く。子ども預けられたら〉──森くん。
〈行けます〉──戸川さん。
〈行きます〉──吉永くん。
〈行く!〉──ゆかり。

ミコは、ソファの上で、画面を見ていた。

ゼミの同期は、ミコを入れて六人だった。
卒業して六年。ゆかりとは、年に何度か会っている。八月には、駅の裏の甘味処で白玉を食べて、夕方の海を歩いた。でも、ほかの四人とは、卒業式の日から一度も会っていなかった。

(四人、ひさしぶり)

そう思ったところで、別の通知が来た。ゆかりからの、個別のメッセージだった。

〈ミコ来る? 来るなら、わたし朝の特急で行く〉

ミコは、グループの画面に戻って、打った。

〈行きます〉

送信した。
八月の自分なら、たぶん、もう少し考えてから送っていた。考えたぶん、ほんの少しだけ、送るのが遅かった。

〈やった〉とゆかりから返事が来た。
それから、もう一つ。

〈あと、次のミコの番、まだ考え中?〉

八月の帰りの電車で、ゆかりに言われたのだった。次はミコの番、行き先を一個決めといて、と。

〈まだ考え中〉

〈了解〜〉

グループのほうでは、平田さんが、もう一行付け足していた。

〈あと、昔の写真あったら持ってきて! わたしはデジカメのやつ、印刷していきます〉

その夜、ミコは、スマートフォンの写真を、大学のころまでさかのぼった。

ゼミの部屋。
窓ぎわの、古いソファ。
合宿で泊まった、山の中の研修所の夕ごはん。
卒論を出した日の夜の、居酒屋の、空いたジョッキ。
建物の前の、大きなクスノキ。

写真は、何百枚もあった。
平田さんが笑っていた。森くんが変な顔をしていた。戸川さんが、ゆかりの髪を結んでいた。吉永くんは、たいてい端で、少しだけ写っていた。

ミコは、どの写真にもいなかった。

いないのは、当たり前だった。
撮っていたのが、ミコだったからだ。

(わたしの写真は、わたしのスマートフォンの中には、ない)

ちょっと、笑ってしまった。笑ってから、もう一度、上までスクロールした。
一枚くらいはあるだろうと思った。

なかった。

本部では、キオクが、古いリモコンを手に取っていた。

「三年生の、四月です」

モニターに、ゼミの部屋が映った。
初めてのゼミの日だった。知らない顔が、長い机のまわりに座っていた。授業が終わると、平田さんがデジカメを出して言った。

「せっかくだし、一枚撮らない? 誰か、撮ってくれる?」

画面の中で、まだ二十歳のミコが、すぐに手を出していた。

「撮ろうか」

「それは、どうしてでしたっけ」とダイジョブが聞いた。

「並ぶ場所が、わからなかったからです」とキオクは言った。「真ん中に立つ人も、端に立つ人も、まだ決まっていなかったので。カメラを持っていれば、どこに立つか考えなくていい、と」

シンパイが、ホワイトボードの前で、深くうなずいた。

「正しい判断です」

「それから、八年です」とキオクは言った。

ホワイトボードには、もう、日曜日の想定が並びはじめていた。

〈四人の顔と名前が一致しない〉
〈近況を聞かれて、話すことがない〉
〈「ミコ、変わらないね」に、どう返すか〉

「変わらないね、には、ありがとう、でいいんですよ」とダイジョブが言った。

「ほめ言葉かどうか、わかりません」

「つばめ亭のハンバーグは」とハラヘッタが言った。「目玉焼きが、のっています」

それは、六年前から変わっていないといいな、とミコは思った。

部屋の隅で、ネムイは、濃紺のフードをかぶって眠っていた。

第二章 五台のスマートフォン

十月の第二日曜、十一時五十分。

つばめ亭は、大学の正門から坂を下りたところにある、小さな洋食屋だった。
赤いひさしは、六年前より少しだけ色が薄くなっていた。入口の横の黒板に、白いチョークで「本日のランチ ハンバーグ(目玉焼きのせ)」と書いてあった。

ミコは、黒板を見て、ほっとした。

青緑の上着の前を、軽く整えた。十月の福岡は、昼間はまだ少し暑いけれど、上着を着ていられるくらいにはなっていた。

扉を開けると、奥の窓ぎわの長いテーブルに、平田さんがもう座っていた。

「ミコー! うわ、ひさしぶり!」

平田さんは、立ち上がって手を振った。
髪が、肩より長くなっていた。テーブルの上に、厚い茶封筒が置いてあった。

「ひさしぶり」

「変わらないね!」

来た、とミコは思った。

「……ありがとう」

平田さんは、一瞬きょとんとして、それから笑った。

「なんでお礼?」

本部で、シンパイが、ホワイトボードの三行目に小さくバツをつけた。

十二時までに、全員がそろった。

戸川さんは、すっきりした短い髪になっていて、銀行の支店で働いていると言った。
吉永くんは、相変わらず口数が少なかったけれど、「ひさしぶり」と言うときだけ、昔と同じように少し照れた。
森くんは、いちばん最後に、汗をふきながら入ってきた。

「ごめん、子ども、義母に預けてきた。泣かれた。でも行ってこいって言われた」

「誰に?」と戸川さんが聞いた。

「子どもに。一歳だけど、たぶんそう言ってた」

ゆかりは、ミコの向かいの席に座った。朝の特急で来て、駅からまっすぐここへ来たらしかった。

「ミコ、上着、ちょうどいい季節になったね」

「うん。やっと」

ミコの席は、通路側の、いちばん端だった。
扉にいちばん近くて、店の人がお水を置きに来る場所だった。ミコは、来たときから、なんとなくその席に座っていた。

ハンバーグが六皿、運ばれてきた。

目玉焼きの黄身が、窓からの光でつやつやしていた。
平田さんが、両手を合わせて言った。

「待って、食べる前に写真!」

平田さんは、自分のスマートフォンを持って、テーブルを見回した。

ミコの手は、もう、前に出ていた。

「撮るよ」

「ありがとう!」

スマートフォンを受け取って、ミコは通路に一歩下がった。
窓が、みんなの背中側にある。このまま撮ると、顔が暗くなる。ミコは、通路をもう一歩斜めに動いて、窓の光がみんなの横顔に当たる場所を探した。

「森くん、もう少しだけ、左に。……戸川さん、お皿、ちょっとだけ手前に」

「出た」と森くんが言った。「ゼミのカメラマン」

みんなが笑った。
ミコは、その笑った顔を、三枚撮った。

「ミコも入りなよ」と戸川さんが言った。

「いいよいいよ」

ミコは、すぐに言った。

「わたし、撮るほうが落ち着くから」

本当だった。
カメラを持っていれば、自分がどんな顔をしているか、気にしなくていい。どこに座るか、誰の隣に立つかも、考えなくていい。画面の中のみんなは、ちゃんと楽しそうだった。それを、うまく四角に入れられたときは、うれしかった。

「ミコに撮ってもらうと、なんか、いい感じになるんだよね」と平田さんが言った。

「わかる」と戸川さんがうなずいた。「じゃあ、わたしのでも撮って」

「おれのも」

「……僕のも、いいですか」

一台が、二台になって、五台になった。

テーブルの端に、五台のスマートフォンが並んだ。
ミコは、一台ずつ、同じ角度で構えて、同じように言った。

「撮りまーす」

五回、同じ笑顔を頼んだ。五回とも、みんな、ちゃんと笑ってくれた。

最後の一台を返したとき、ゆかりが言った。

「ミコ、食べよ。目玉焼き、冷めるよ」

「うん」

ミコは、自分の皿に戻った。
目玉焼きは、ほんの少しだけ、冷めていた。それでも、六年前と同じ味がした。

食後のコーヒーが来たころ、平田さんが茶封筒を開けた。

「じゃーん。デジカメのやつ、コンビニで印刷してきた」

テーブルの上に、写真が広がった。
三十枚くらいはあった。

「うわ、吉永くん、若っ」

「合宿のこれ、覚えてる? 夜に全員で花火して、怒られたやつ」

「怒られたの、森くんだけだったよね」

「おれだけ火のついたまま走ったから」

写真が、一枚ずつ、手から手へ回っていった。
ミコのところにも、回ってきた。

ゼミの部屋。合宿の研修所。卒論を出した日の居酒屋。
スマートフォンの中で見たのと、同じような写真ばかりだった。

ミコは、どの写真にもいなかった。

平田さんのデジカメで撮った写真も、撮っていたのは、たいていミコだったからだ。
一枚だけ、居酒屋の写真の隅に、取り皿を配っている誰かの腕が写っていた。袖の色に、見覚えがあった。

(腕だけ、いる)

ミコは、その写真を、次の戸川さんに回した。

最後に回ってきたのは、四年生の秋の写真だった。

ゼミの建物の前の、大きなクスノキ。
その根もとに、五人が並んでいた。平田さんと戸川さんが真ん中で、森くんが左の端で変な顔をしていて、吉永くんは前にしゃがんでいて、ゆかりは右の端で、ピースを少しだけ斜めにしていた。

そして、写真のいちばん下に、長い影が一本、のびていた。

西日に引きのばされた、人の影だった。
顎の下で切りそろえた、短い髪の形。両手を、胸の前で、何かを持つように上げている。

ミコの影だった。

「これ、いいよね」と平田さんが言った。「ねえ、あとでさ、これ、再現しようよ。同じクスノキの前で、同じ並びで」

「いいね」と森くんが言った。

「やろうやろう」

ミコも、「いいね」と言った。

言いながら、もう、自分がどこに立つかがわかっていた。
みんなの前の、少し離れた場所。日差しを背中に受けて、スマートフォンを構える場所。

本部のホワイトボードに、シンパイが、新しい見出しを書いていた。

〈写真に入る場合の想定〉

〈目をつぶる〉
〈笑った顔が引きつる〉
〈どこに立てばいいかわからない〉
〈元の写真の並びに、わたしの場所がない〉

「最後の一行は、本当です」とシンパイは言った。「五人の並びの、どこにも、空きがありません」

「詰めてもらえばいいじゃないですか」とダイジョブが言った。

「さっき、自分で言ったんです。撮るほうが落ち着く、って。今さら」

「それも本当でした」

ダイジョブは、あっさりうなずいた。

「撮るのが好きなのも、本当。入りたいのも、本当。本当が二つあると、困りますね」

キオクは、何も言わずに、居酒屋の写真の隅の、腕だけが写った一枚を、モニターに出していた。

ハラヘッタが、コーヒーのおかわりの値段を、メニューで確かめていた。
ネムイは、まだ、眠っていた。

第三章 影の場所

十四時すぎ、六人で坂を上った。

正門の横に、見たことのないガラス張りの建物が建っていた。
大学の生協の前には、新しいコーヒーの自動販売機が並んでいた。日曜日のキャンパスは静かで、部活の掛け声が、遠くのグラウンドのほうから聞こえていた。

歩きながら、戸川さんが、ミコの隣に来た。

「ミコ、今、どんな仕事してるの?」

来た、とミコは思った。ホワイトボードの二行目だった。

「事務……みたいな。発注とか」

それで終わりそうになった。
そこで、夏のことを思い出した。

「この前、新しく入った人に、発注のやり方を、半日教えた」

「え、ミコが教える側?」

「うん。手順書、十二ページ作ったんだけど、いちばん大事なことが書いてなくて」

戸川さんが笑った。
笑ってから、「わかる、うちの支店のマニュアルもそう」と言って、銀行の手順書の話をしてくれた。

後ろから、ゆかりが言った。

「ミコ、この前、服屋で試着だけして帰ってきたっちゃんね」

「それは、言わなくていい……」

「なんで。えらいやん」

戸川さんは、何がえらいのか、よくわからない顔をしていた。
でも、楽しそうに聞いていた。

ゼミの建物は、六年前と同じ場所にあった。

その前の、クスノキも。
幹は、六年分、少しだけ太くなった気がした。葉の影が、地面の上で、風といっしょに揺れていた。

「ここだ」

平田さんが、印刷した写真を掲げて、クスノキと見比べた。

「はい、並んで! わたしと戸川さんが真ん中。森くん、左の端。変な顔もお願い」

「変な顔の再現、むずかしいな」

「吉永くんは、前でしゃがんで。ゆかり、右の端で、ピース斜め」

「ピースの角度、覚えとらん」

「写真見て」

五人が、写真のとおりに並んでいった。

ミコは、そのあいだに、平田さんのスマートフォンを受け取っていた。
誰にも頼まれていなかった。平田さんが「はい」と差し出して、ミコが「うん」と受け取った。それだけで、手の中に来ていた。

ミコは、五人から少し離れた。
写真と、目の前の五人を見比べながら、一歩下がって、半歩右に動いた。

ここだ、とわかった。

足もとを見た。
十月の午後の日差しが、背中のほうから差していた。ミコの影が、地面の上をのびて、しゃがんでいる吉永くんの靴の先まで届いていた。

写真と、同じだった。

(影まで、再現できちゃった)

「撮りまーす」

三枚、撮った。

平田さんが走ってきて、画面をのぞきこんだ。
それから、印刷した写真と並べた。

「完璧! すごい、角度までいっしょ。影まで入って……」

平田さんの声が、そこで止まった。

「……影?」

平田さんは、印刷した写真の、いちばん下を指でなぞった。
それから、スマートフォンの画面の、いちばん下を見た。
最後に、ミコの顔を見た。

「これ、ミコ?」

「……うん。わたし」

「えっ」

ほかの四人も、集まってきた。
六人で、一枚の印刷した写真と、一台のスマートフォンをのぞきこんだ。

「ほんとだ。ミコの影だ」と戸川さんが言った。

「ミコ、七年前から、影だけで参加してたの?」と森くんが言った。

みんなが笑った。
ミコも、笑った。

おかしかった。本当に、おかしかった。
影は、七年たっても、同じ場所で、同じ形をしていた。

「じゃあさ」

平田さんが、明るく言った。

「次、普通の集合写真も撮ろっか。ミコ、お願い」

スマートフォンは、まだ、ミコの手の中にあった。

本部は、しんとしていた。

モニターには、キオクが、二枚の写真を並べて映していた。
七年前の影と、今日の影。

シンパイは、ホワイトボードの〈元の写真の並びに、わたしの場所がない〉の前で、マーカーを持ったまま止まっていた。

部屋の隅で、ネムイが、フードの中から、もぞもぞと顔を出した。
半分だけ目を開けて、モニターを見た。

「……影って」

みんなが、ネムイを見た。

「笑ってるかどうか、わからないですね」

それだけ言って、ネムイは、また目を閉じた。

キオクが、リモコンを一回だけ押して、影の写真を大きくした。
両手を胸の前に上げた、短い髪の影。
どんな顔でシャッターを押していたのか、写真には、何も残っていなかった。

本当は、楽しかったのだ、とミコは思った。
撮るのも、楽しかった。でも、楽しかった顔は、どこにも写っていない。

シンパイが、マーカーのふたを閉めた。

頭の中の本部で、既存の小人5人が、新旧二つの撮影者の影のイメージを見つめる。

「あの」

ミコは言った。
声が、思ったより小さかった。

森くんが、ちょうど何かを言っていて、ミコの声は、その笑い声の下に入ってしまった。

ゆかりだけが、こっちを見た。
ゆかりは、何も言わなかった。ただ、ミコのほうを見て、待っていた。

ミコは、息を吸った。

「次のは、わたしも、入りたい」

今度は、届いた。

平田さんが、目を丸くした。
それから、両手で口を押さえた。

「当たり前じゃん! え、待って、ごめん。わたし、今日ずっと、ミコに撮らせてた」

「ううん」

ミコは、首を振った。

「撮るのは、好きだったから。さっきも、楽しかった。……でも、今日のは、入りたい」

言ってしまってから、耳のあたりが熱くなった。
みんな、少しだけ黙った。

森くんが、最初に言った。

「入ろう入ろう。六年ぶりの本体だ」

「本体って」と戸川さんが笑った。

「タイマーで撮ろうか」と吉永くんが言った。

それが、いちばん早そうだった。
吉永くんは、クスノキの前のベンチに平田さんのかばんを置いて、その上にスマートフォンを立てかけた。

角度を決めるのは、ミコだった。
画面をのぞいて、かばんの向きを少し変えて、スマートフォンの下に折りたたんだハンカチを一枚はさんだ。

「十秒にした」と吉永くんが言った。

ミコがボタンを押して、走った。

五人のところまで、思ったより遠かった。
いちばん近い端に、すべりこんだ。

かしゃ、と小さな音がした。

みんなで、ベンチに戻って、画面を見た。

五人は、ちゃんと写っていた。
右の端に、ミコが半分だけ写っていた。顔の半分と、青緑の袖が、横にぶれて流れていた。森くんは、目をつぶっていた。

「……ミコ、半分」

「半分は、入った」

「影よりは、進んだね」と戸川さんが言った。

二回目は、ミコが走りだした瞬間に、かばんの上でスマートフォンがすべった。
かしゃ、と鳴ったとき、画面には、クスノキの枝と、十月の空だけが写っていた。

「いい空」と平田さんが言った。

「いい空やね」とゆかりも言った。

吉永くんが、「三脚があれば」と小さく言って、それから少し落ちこんだ顔をした。

「誰かに頼む?」と森くんが言って、まわりを見回した。

日曜日のキャンパスに、人は少なかった。
図書館のほうから、リュックを背負った学生が一人、こっちへ歩いてくるところだった。

平田さんが、手を挙げかけた。

「わたし、頼んでくる」

ミコが言った。

平田さんの手が、途中で止まった。

本部のホワイトボードに、シンパイが大きく書いた。

〈知らない人〉

「それは、そうですね」とダイジョブが言った。

キオクが、リモコンを押した。
モニターに、短い映像が、続けて流れた。

四月、隣の部屋のインターホン。
六月の終わり、道を探していた年上の姉妹。
七月、服屋で、試着だけして帰った日。

「知らない人と話したことは、あります」とキオクは言った。「毎回、心臓はうるさかったですが」

「それに」とダイジョブが言った。「どう撮ってほしいか、いちばんわかってるのは、ミコです」

シンパイは、〈知らない人〉の下に、もう一行だけ書いた。

〈撮り方は、知っている〉

学生は、背の高い男の子だった。イヤホンを片方だけしていた。

「すみません」

ミコの声は、少しだけ裏返った。

「写真、一枚だけ、撮っていただけませんか」

学生は、イヤホンを外した。

「あ、いいですよ」

それだけだった。
ミコは、平田さんのスマートフォンを、両手で渡した。

「ありがとうございます。あの、横向きで、木のてっぺんの、少し下まで入るように……ここから、二歩だけ下がって。それで、三回、押してもらえると」

言いながら、多すぎる、と思った。
学生は、少し笑った。

「詳しいですね」

「……いつも、撮る係なので」

「じゃあ、責任重大だ」

学生は、言われたとおりに二歩下がって、スマートフォンを横に構えた。

ミコは、五人のほうへ戻った。
今度は、走らなくてよかった。

「ミコ、真ん中!」と平田さんが言って、自分が一歩よけようとした。

真ん中は、平田さんと戸川さんの場所だった。
七年前の写真で、二人が笑っていた場所だった。

「……ゆかりの隣がいい」

ミコは言った。

ゆかりが、右の端で、少しだけ横にずれた。

「こっち」

ミコは、ゆかりの隣に立った。
ゆかりが、ピースを、写真のとおりに斜めにした。ミコは、両手をどうしていいかわからなくて、トートバッグの持ち手を握った。

学生が同期6人を撮影する。右端でミコがゆかりの隣に立ち、トートの持ち手を握って笑っている。

「撮りまーす」と学生が言った。

ミコが、いつも言うのと、同じ言い方だった。

かしゃ。
かしゃ。
かしゃ。

第四章 その写真

学生は、スマートフォンをミコに返して、「いい感じだと思います」と言った。

「ありがとうございました」

ミコが頭を下げると、学生は軽く手を挙げて、またイヤホンをはめて、正門のほうへ歩いていった。

ミコは、スマートフォンを平田さんに返した。
平田さんの手もとを、六人でのぞきこんだ。

一枚目は、ミコが目をつぶっていた。
シンパイの想定の一行目だった。

二枚目は、全員が目を開けていた。

クスノキの下に、六人が並んでいた。
平田さんと戸川さんが真ん中で、森くんが左の端で変な顔をしていて、吉永くんは前にしゃがんでいた。右の端に、斜めのピースのゆかりがいた。

その隣に、ミコがいた。

トートバッグの持ち手を両手で握って、少しだけ肩を上げて、口の端だけで笑っていた。
引きつってはいなかった。少なくとも、ミコには、そう見えた。

三枚目は、森くんがくしゃみをしていた。

「二枚目」と全員が言った。

それから、平田さんが、画面のいちばん下を指さした。

「あ」

六人の足もとに、長い影が一本、のびていた。
背の高い、イヤホンの片方をぶら下げた人の影だった。

「今度は、知らない人の影が入ってる」と森くんが言った。

みんな、笑った。
ミコは、いちばん長く笑った。

「この人も、ゼミの一員ってことにしよう」と平田さんが言った。

「名前、聞いとけばよかったね」と戸川さんが言った。

「七期生やね」とゆかりが言った。

十六時半、六人で、駅まで坂を下りた。

改札の前で、平田さんが、「また集まろうね、今度は一年以内に」と言った。
森くんは、スマートフォンで子どもの写真を見ながら、急いで帰っていった。戸川さんと吉永くんは、同じ方向の電車だった。

ゆかりは、北九州へ帰る特急まで、四十分あった。
ミコも、ホームまで一緒に行くことにした。

ホームのベンチに並んで座ると、ゆかりが言った。

「ミコ、さっき、自分で言うたね」

「うん」

「わたし、正直、気づいとらんかった。六年、ミコの写真、ほとんど持っとらんこと」

ゆかりは、少しだけ、ばつの悪そうな顔をした。

「ほら、八月の海のとき、一枚撮ったやろ。あれ見て、ミコの写真、久しぶりやなって思ったっちゃん。でも、なんで久しぶりなんかは、考えとらんかった」

「わたしも、考えてなかった」

ミコは言った。本当だった。
撮る係は、撮る係のまま、楽しかったのだ。

「あ、でもね」

ゆかりが、自分のスマートフォンを出した。

「これは撮っとった」

画面に、つばめ亭の通路が写っていた。
窓の光の中で、ミコが、誰かのスマートフォンを横に構えていた。眉と眉のあいだに、うっすら力が入っていて、唇が少しだけとがっていた。真剣な顔だった。

「……変な顔」

「変やない。撮るときのミコ、いつもこの顔しとるよ。好きやけん、送っとく」

ミコのスマートフォンが、ポケットの中で小さく鳴った。

ミコは、画面の中の、真剣な顔の自分を見た。
七年前の影も、たぶん、こういう顔をしていたのだろうと思った。

ホームに、特急の到着を知らせる放送が流れた。

ゆかりは、立ち上がって、かばんを肩にかけ直した。

「次のミコの番、まだ考え中?」

「うん。場所は、まだ」

ミコは、少し考えてから、言った。

「でも、そこで、ゆかりと二人の写真を撮りたい。それは、決まった」

ゆかりは、一瞬だけ黙って、それから笑った。

「半分、決まっとるやん」

「半分」

「じゃ、残りの半分、待っとく。撮る人は、どうすると?」

「……頼む。誰かに」

「頼めるん?」

「今日、頼めた」

ゆかりは、もう一度笑って、特急に乗った。
ドアのガラスの向こうで、斜めのピースをした。

ミコも、手を振った。
ピースにしようか一瞬迷って、普通に手を振った。

帰りの電車の中で、グループの通知が、何度も鳴った。

平田さんが、今日の写真を、まとめて送ってくれていた。
つばめ亭の、ハンバーグの前の五人。五台ぶんの、ほとんど同じ笑顔。ミコの撮った写真ばかりだった。どれも、ちゃんと楽しそうだった。

それから、クスノキの写真が三枚。
ミコの影がのびている一枚。半分だけミコが流れている一枚。クスノキの枝と空の一枚。

最後に、二枚目が来た。

〈今日のベスト。七期生に感謝〉

その下に、森くんが〈本体〉とだけ書いていた。
戸川さんが、笑っている顔の絵文字を三つ送っていた。吉永くんは、少し遅れて、〈次は三脚持っていきます〉と書いた。

ミコは、返信を打った。

〈撮ってもらって、うれしかったです〉

それから、少し考えて、もう一行足した。

〈撮るのも、楽しかったです〉

送信した。

本部では、キオクが、新しい記録を棚にしまっていた。

ラベルには、日付と、場所の名前が書いてあった。
その隣の、七年前の、影の写真の記録と並べた。

シンパイは、ホワイトボードの〈写真に入る場合の想定〉を、上から見直していた。

〈目をつぶる〉──一枚目。当たった。
〈笑った顔が引きつる〉──二枚目。たぶん、外れた。
〈どこに立てばいいかわからない〉
〈元の写真の並びに、わたしの場所がない〉

シンパイは、最後の二行を、少し考えてから、消した。
場所は、自分で言えば、作ってもらえた。

ハラヘッタが、「目玉焼き、六年前と同じでした」と報告した。
ネムイは、もう一度、ぐっすり眠っていた。

ミコは、電車の窓に映る自分を少し見てから、スマートフォンに目を戻した。

二枚目を、もう一度開いた。

クスノキの下に、六人がいた。
右の端の、ゆかりの隣。トートバッグの持ち手を握って、少しだけ肩を上げて、口の端だけで笑っている。

その写真には、わたしもいる。

足もとには、名前を知らない誰かの影が、長くのびていた。
撮ってくれた人の影だった。ミコは、その影を、しばらく見ていた。