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坂の上シネマ第8話
日常・コメディ

怪獣役は、じゃんけんで

十二センチの怪獣より、映画館のほうが大きかった。

読了目安
24分
長さ
短編
#くすっと笑える#映画館#手づくり
怪獣役は、じゃんけんでのイメージ

あらすじ

坂の上シネマの売店係・灯が、紙の町で短い怪獣映画を作る会を企画した。試しの回に集まったのは、受付と映写の河合と、高校生のひより。壊したい灯、端まで町だけを撮りたい河合、逃げない女の子を作るひより。三人の撮りたい画がぶつかるうち、ロビーに入った風が町を倒してしまう。じゃんけんで決まる最後の画と、二十一秒の上映会。坂の上シネマ第8話。

一 三十一の四角

一月の終わりの木曜日。十八時半の回が始まってロビーが静かになると、三浦灯は大学ノートを胸に抱えて事務室の戸をたたいた。

「怪獣映画を、作りたいんです」

野崎航が机の帳簿から顔を上げた。灰色のセーターの袖に、消しゴムのかすがついている。映写室から下りてきたばかりの河合悠は、戸口の横で黒縁の眼鏡を押し上げた。

灯は深緑のエプロンをつけたまま、机の上でノートを開いた。見開きいっぱいに、鉛筆の四角がならんでいる。四角の中には、ぎざぎざの背中をした何かと細長いビル、それに手をあげて逃げる小さな人たちが描いてあった。

「紙で町を作って、紙の怪獣を置くんです。少し動かしては一枚撮る。それを続けてつなげると、怪獣が歩いて見えるんです」

「コマ撮りですね」と河合が言った。

「それです。いつか、ロビーの机でお客さんといっしょに作る会にしたいんです。でも、いきなり人を集めてうまくいかなかったら申しわけないので、最初は小さく、一回だけ。上映のあいだに、ロビーで」

野崎はノートの四角を、指先でひとつずつ数えた。数え終わると、もう一度最初から数え直した。

「三十一ありますね」

「三十一場面です。怪獣が海から上がって、港を通って、駅前を通って、商店街を通って、坂をのぼって、最後に」

「最後に」

「それは、当日のお楽しみです」

河合は腕時計を見て、天井を見て、それからまた腕時計を見た。

「一秒に六枚撮るとして、一場面を二秒にしても三百七十二枚です。一枚に三十秒かかったら、三時間ちょっと」

「上映って、九十分ちょっとですよね」

「来月の土曜にかかるのは、本編が九十四分です。前に予告編が六分あるので、二時半の回が終わるのは四時十分です」

灯はノートを見下ろした。三十一の四角が、こちらを見上げていた。

野崎は帳簿を閉じて、裏紙にボールペンで箇条書きを始めた。

〈土曜二回目の上映中。始まってから、終わるまで〉
〈ロビー。受付と掲示板のあいだに長机一つ〉
〈声は小さく。客席の扉にカメラを向けない。人の顔は撮らない〉
〈できた映画はロビーでだけ見せる。今回はホームページにも出さない〉
〈材料費は千五百円まで。領収書〉

書き終えると、野崎はペンを置いた。

「売店と受付は、ふだんどおりです。お客さんが来たら、そっちが先」

「はい」

「それと、長さは」野崎は河合のほうを見た。

「三十秒まで」と河合が言った。「それなら、一回の上映のあいだに撮れます。たぶん」

灯は「たぶん」のところで少し笑った。それからノートに鉛筆を当てて、四角に一本ずつ斜めの線を引いていった。港が消え、駅前が消え、逃げる人たちもほとんど消えた。最後まで残った四角の二つに、灯は二重丸をつけた。怪獣が口を大きく開けているところと、ビルが斜めにかしいでいるところだった。

「これは、残します」

翌朝、ロビーのコルクボードに、灯の字のポスターが貼られた。

〈紙の町で、怪獣映画をつくろう 二月の第二土曜日 十四時四十分〜十六時 ロビーの机で 参加無料 先着四名 できた映画はロビーでだけ上映します〉

その下に、申し込みの紙が一枚、画鋲でとめてあった。

一週間たっても、名前は一つだけだった。〈ひより〉。名前の横に、鉛筆で小さな犬の絵が描いてあった。

「一人ですね」と灯は言った。

「一人なら、机が広く使えます」と河合は言った。言ってから、ポスターの〈怪獣〉の字をしばらく見ていた。「怪獣は、どれくらいの大きさですか」

「秘密です」

「町の大きさを、合わせないといけないので」

「町は、怪獣に踏まれるためにあるんです」灯は真顔で言った。「最後は、坂の上の、いちばん大事な建物です」

河合は何も言わずに受付へ戻った。その日から、河合の鞄には、白い画用紙が何枚か丸めて差してあった。

二 怪獣より、大きい

二月の第二土曜日は、朝から風が強かった。坂の下から吹き上げてくる風が、ときどきガラスの扉をがたんと鳴らした。

ひよりは十四時二十分に来た。暗い色の短いボブが、風で片側にかたよっていた。ヘアピンを留め直して紺のコートを脱ぐと、下は生成りのニットだった。小さな斜め掛けの鞄から、色鉛筆の缶を出す。

「店番が一時半までだったので」とひよりは言った。「お昼は食べてきました」

「えらい」と灯は言った。

十四時半の回の客は、二十人ほどだった。柴田澄江のからし色のカーディガンが、いつものようにE列の左端のほうへ消えていった。客席の扉が閉まると、河合が細い階段を上っていった。

灯は、倉庫から出しておいた長机に段ボールの板を一枚のせた。始まりを確かめて下りてきた河合が、板の片方の端の下に古い番組表のファイルを二冊はさんだ。板がゆるく傾いた。

「坂の上ですから」と河合は言った。

河合はもう片方の腕に、大きな紙袋を抱えていた。

灯は坂の下のほうに、色画用紙を丸めたビルを五本立てた。青と灰色と水色で、いちばん高いのは二十センチある。

「大都会です」

「坂の下に、ですか」とひよりが聞いた。

「怪獣映画の町は、大都会なの」

それから灯は、売店の奥からポップコーンの容器が入っていた箱を持ってきて、ふたを開けた。

中に、怪獣がいた。

体は黄色い画用紙で、中に新聞紙を丸めた芯が入っている。背中には、売店の赤と白のしまの紙袋を切った背びれが三枚。歯は白い画用紙のぎざぎざで、目は黒い丸シールだった。腕としっぽにはモールが入っていて、曲げるとその形のまま残る。下あごは割りピンでとめてあり、口が開く。

「ハゼゴンです」と灯は言った。「とうもろこしの粒が、ものすごく大きくはぜて生まれました。高さ十二センチ。三晩かけて作りました」

ひよりが、ほう、と息をもらした。河合は眼鏡を押し上げると、ハゼゴンのとなりに紙袋の中身を置いた。

白い画用紙で作った、四角い建物だった。正面には両開きの扉が描いてあり、屋根の上に〈坂の上シネマ〉の看板がのっている。扉の上の壁には、小さな四角い窓がひとつ切り抜いてあった。

高さは十六センチあった。

灯は、ハゼゴンと映画館を何度も見くらべた。

「……怪獣より、大きい」

「壊されると聞いたので」と河合は言った。

「踏めないじゃないですか」

「踏めないように作りました」

ひよりが口を押さえて肩をふるわせた。客席の扉のほうを気にしながら、声を出さずに笑っている。それから映画館に顔を近づけて、扉の上の小さな窓を指さした。

「これ、映写室の窓ですか」

「そうです」

「本物は、中にありますよね。客席のほうを向いて」

「外から見えたら、いいなと思って」河合は少しだけ早口になった。「本物は、外からはだれも見ないので」

ロビーの机で、黄色い紙の怪獣より高い映画館の模型を見比べる灯、眼鏡の河合、笑いをこらえるひより

ひよりは缶を開けて、町の人を描きはじめた。名刺くらいの厚紙に三センチほどの人を描いて、はさみで切り抜く。足もとに小さな台を折ってつけると、紙の人は板の上に立った。傘を持った人、犬を連れた人、紙袋を抱えた人、自転車の人、ベンチに座ったおじいさん。ひよりは犬の首輪の色まで塗った。犬と傘は人から離して動かせるように別に切り抜き、細い紙の帯でそっと引っかけてある。

「二十人くらい作るつもりだったんですけど」とひよりは言った。四人目を描き終えたところで、十五分たっていた。

六人目は、斜め掛けの鞄をかけた女の子だった。ひよりは財布から一円玉を出して、その子の台の裏にセロハンテープで貼りつけた。

「坂なので。この子は、倒れたら困るんです」

「ほかの人は」と灯が聞いた。

「一円玉、一枚しかなかったんです」

三時ちょうど、三人は机を囲んで、どの画を撮るかを決めにかかった。三十秒に、ぜんぶは入らない。

「町のぜんぶが見える画がほしいです」と河合が言った。「引きで。端まで町だけ。テープも机も映らないように」

「わたしは、町の人から見上げる画」とひよりが言った。「下から撮って、怪獣の足が、こう、上から来るんです」ひよりは手のひらを顔の上にかざした。

「吠えるところの大写し。それから、ビルが倒れるところ」灯はノートの二重丸を指でたたいた。

「最後は」と河合が言った。

三人とも映画館を見た。だれも何も言わなかった。

「最後のことは、最後に決めましょう」と灯が言った。

河合が、灯のスマートフォンのメモに、撮る順番と枚数を書き出した。引きの坂のぼりが三十六枚で六秒。見上げる画が十二枚で二秒。吠える顔が十二枚で二秒。ビルが倒れるところが十二枚で二秒。最後が二十四枚で四秒。

「ぜんぶで九十六枚です」と河合は言った。それからもう一度足し算をして、小さな声でつけ足した。「客席と、同じ数です」

「満席だ」と灯が言った。

最初は、河合の引きの画だった。

スマートフォンを百円の小さな三脚にとめて、机の端から町ぜんたいを狙う。画面をのぞいた河合は、すぐに手を上げた。

「右の端、ビルの向こうに机の角が出てます」

灯はビルを一センチずらした。

「今度は左の上に、掲示板が」

灯は背景用の空色の画用紙をもう一枚、ファイルに立てかけた。

「坂に、三浦さんの影が」

「河合さん」灯はハゼゴンを両手で持ったまま言った。「怪獣が、まだ一歩も歩いてません」

ハゼゴンを動かすのは灯だった。灯の怪獣だからだ。一枚撮るごとに、灯がハゼゴンの足を五ミリずつ坂の上へ進める。モールを曲げた足が板の上で止まるのを確かめる。腕のモールを少し曲げて、しっぽの先を振る。灯が手を引っこめたのを確かめてから、河合が撮る。

「五ミリって、こんなに遅いんですね」と灯は言った。十二枚撮って、ハゼゴンはようやく坂の下のビルのあいだを抜けたところだった。

途中で一度、売店に客が来た。灯は「ハゼゴン、待て」と言って手を放し、カーテンの奥でコーヒーをいれて戻ってきた。三十六枚目を撮り終えたのは、三時二十分を少し過ぎたころだった。

三 吠えられない

二つめは、ひよりの画だった。

ひよりはスマートフォンを三脚から外して、レンズを上に向けたまま板の上にそっと寝かせた。置いたのは、鞄の女の子のすぐうしろだった。動かないように、両側を消しゴムではさむ。

画面には、女の子の後ろ頭と、その向こうの白っぽい天井、それに黄色い大きなものの影が映っていた。

「天井が映ってますよ」と灯が言った。

「空ということにします」とひよりは言った。

河合は口を開けて、また閉じた。

ひよりはハゼゴンの片足を持ち上げて、一枚撮るごとに、その足を女の子の上へ少しずつ下ろしていった。モールを曲げた足は途中でも止まり、撮るときは画面から手を引いた。十二枚撮り終えて早送りで見ると、黄色い足の裏が、画面の上からずんと下りてきた。

三人は顔を寄せて、小さな画面をのぞきこんだ。

「怖い」と灯が言った。うれしそうだった。

「女の子は、逃げないんですか」と河合が聞いた。

「逃げません」とひよりは言った。「見てるので」

三つめは、灯の大写しだった。

三脚を立て直し、ハゼゴンの顔のすぐ前にスマートフォンを置く。一枚撮るごとに、割りピンの下あごを少しずつ下げていく。十二枚目で、口はいっぱいまで開いた。白いぎざぎざの歯の奥に、灯が赤いペンで塗った喉が見えた。

灯は大きく息を吸った。

吸いきったところで、河合とひよりが同時に客席の扉を指さした。

扉の向こうでは、九十四分の映画がちょうど半分くらいまで進んでいた。

灯は吸った息を、ゆっくり鼻から出した。

「怪獣映画なのに」

「上映中です」と河合が言った。

「吠えられない怪獣って、いますか」

「います」とひよりが言った。「今、ここに」

灯は売店から値札用の白いカードを一枚取ってくると、太いペンで大きく書いた。

〈ゴオオ〉

ひよりがそのまわりに、色鉛筆でふるえる線を何本も描き足した。河合はカードを机に立てて、一枚だけ撮った。画面の中で〈ゴオオ〉の字が少し傾いて、揺れているように見えた。

「つなげるとき、ここで一秒止めます」と河合は言った。

三時二十五分、野崎が事務室から出てきた。灰色のセーターの上にコートを着て、紙の束を抱えている。

「会長さんのところに、三月のちらしを届けてきます。二十分くらいで戻ります」

河合が受付に入った。長机は受付のすぐ横にあるので、河合は受付のいすに座ったまま、腕をのばせば三脚に届いた。

まもなく年配の男の人が、十八時半の回の券を買いに来た。河合が券を出しているあいだ、男の人は机の上をのぞきこんでいた。

「怪獣ですか」

「怪獣です」と河合は言った。

「大きいほうが、映画館ですね」

男の人はうなずき、券を胸のポケットにしまって帰っていった。灯はしばらく黙っていた。

四つめは、灯がずっと撮りたかった、ビルが倒れるところだった。

いちばん高い灰色のビルを、一枚撮るごとに少しずつ傾けていく。灯は角度を確かめるように、指先でビルのてっぺんを押した。一枚。二枚。三枚。ビルは坂の下のほうへ、少しずつかしいでいった。

四枚目のために、灯がビルに指をかけたときだった。

ガラスの扉が開いた。

坂の下からの風が、まっすぐロビーに入ってきた。

空色の背景の紙がめくれて、半分ファイルからはがれた。灰色のビルは、灯の指が動くより先に、ぱたんと倒れた。そのとなりの水色のビルも倒れた。傘の人が倒れて、傘だけが飛んで映画館の屋根にのった。犬を連れた人が倒れて、犬は自転車の上に重なった。紙袋の人は、紙袋ごと坂をころがった。ベンチのおじいさんは、ベンチといっしょにひっくり返った。

ハゼゴンは坂の途中で、両腕をあげたまま立っていた。

鞄の女の子も、立っていた。

扉の前で、野崎が行きより薄くなった紙の束を抱えたまま固まっていた。

「すみません」

ひよりの手が動いた。三脚の上のスマートフォンの、撮影ボタンを押す。かしゃ、と小さな音がした。

「今の」と河合が言った。「撮りました?」

「撮りました」とひよりは言った。

三人は、四枚目までを見た。

一枚目から三枚目まで、灰色のビルがゆっくり傾いていく。四枚目で、町がいっぺんに倒れていた。ビルも、人も、ベンチも倒れている。立っているのはハゼゴンと女の子だけで、傘は映画館の屋根の上にあった。

そして画面の左上の隅に、めくれた背景の向こうのコルクボードが少しだけ映っていた。灯の字のポスターの、〈怪獣〉の二文字が読める。

「撮り直しましょう」と河合が言った。「端が見えてます」

「いやです」と灯が言った。

「三浦さん」

「わたしの、倒れるところなんです」灯は画面の上に指を置いた。「ずっと撮りたかったの、これなんです」

「でも、三浦さんが倒したわけじゃないですよね」

「わたしの指より、速かったんです」

野崎がコートを着たまま机の横まで来て、もう一度、すみません、と言った。

「やり直すなら、みんなを立て直して、手で倒すことになりますよね」とひよりが言った。

ひよりは映画館の屋根を指さした。傘がのっている。それから、自転車に重なった犬を指さした。

「手で倒したら、傘を屋根にのせようなんて、たぶん思いつかないです。犬も、ちゃんと地面に寝かせちゃうと思う」

灯がうなずいた。うなずいたまま、自転車の上の犬から目を離さなかった。

「立て直したら、これは、もうなくなります」とひよりは言った。「それに、この子が立ってるのは、この一回だけかもしれないので」

河合は答えずに、指で画面を広げた。左上の隅を大きくして、しばらく見ていた。

「六分の一秒です」と、だれにともなく言った。「見えるのは、この一枚だけ」

「探さないと、見えないですよ」とひよりが言った。

「探す人は、探します」河合は言った。「僕は探します」

灯とひよりが、そろって吹きだしそうになって、そろって客席の扉を見た。

河合はまだ隅を見ていた。人は映っていない。手も映っていない。めくれた紙の向こうに、画鋲と、〈怪獣〉の二文字があるだけだった。

「……どこで撮ったかがわかるのは、いいかもしれません」

河合は画面を元の大きさに戻すと、背景の紙をファイルに立てかけ直した。今度はセロハンテープを三か所に貼った。

「この先は、映しません」

残りの八枚で、ハゼゴンは倒れた町をまたいでいった。倒れた人たちには、だれも手をふれなかった。灯はハゼゴンの足を五ミリずつ進めながら、ときどき、自転車の上の犬を見て笑った。

野崎は受付を河合と交代してから、机をのぞきこんだ。

「僕は、何の役ですか」

「風です」と灯は言った。

四 怪獣役は、じゃんけんで

三時四十五分。残りは二十四枚だった。

ハゼゴンは坂の上、映画館の前まで来ていた。見上げると、十二センチの怪獣の前に、十六センチの映画館が建っている。屋根には、まだ傘がのっていた。

「屋根に、よじのぼります」と灯が言った。「上から乗れば、踏めます」

「屋根は紙です」と河合が言った。「それに、傘がのってます」

「傘ごと踏みます」

「通り過ぎてください。映画館の前を通って、坂の向こうへ。そのとき、窓に明かりがつく」

「わたしは」とひよりが言った。「のぞいてほしいです。窓から」

三人は顔を見合わせた。ハゼゴンを動かす人が、最後の画を決めることになる。

「怪獣役は」と灯が言った。「じゃんけんで」

受付から野崎が、「声は小さく」と言った。

三人は、机の上で拳を出した。

最初は三人ともグーだった。次は三人ともパー。三回目、灯と河合がチョキで、ひよりがグーだった。

灯は自分のチョキを見つめたまま、しばらく下ろさなかった。

「三浦さんの怪獣なのに」とひよりが言った。

「じゃんけんで、って言ったの、わたしなので」灯はハゼゴンを両手で持ち上げて、ひよりの前に置いた。「どうぞ。ただし、壊れやすいので、しっぽから持たないでください」

ひよりはハゼゴンを、腰のところで持った。一枚撮るごとに、映画館の正面へ少しずつ近づけていく。六枚目で、ハゼゴンは扉の前に着いた。ひよりはそこで、ハゼゴンの首をほんの少しだけ前へかしげた。

黒い丸シールの目が、扉の上の小さな窓と、ちょうど同じ高さにあった。

「ぴったり」とひよりが言った。

灯が河合を見た。「測ったでしょう」

「測ってません。大きさ、教えてもらえなかったので」河合は眼鏡を押し上げた。「本物の映写室の窓と、同じ割合の高さにしただけです」

「偶然ですか」

「偶然です」

灯はまだ疑っている顔をしていた。ひよりは、もう次の一枚のために、ハゼゴンの手のモールを窓の縁にかけていた。

十二枚目を撮ったところで、河合は受付の引き出しから、映写室で使っている細い懐中電灯を出した。紙の映画館の、開いている背中側からそっと中に入れて、窓のほうへ向ける。

「つけます」

ぱちん、と小さな音がした。

紙の壁の内側がぼんやり明るくなって、小さな四角い窓から、黄色っぽい光がもれた。光は、のぞきこんでいるハゼゴンの黄色い顔にうすくかかった。

河合はそれを、画面ごしに見ていた。動かなかった。ひよりも動かなかった。

「撮ってください」と灯が小声で言った。

河合が撮った。ひよりがハゼゴンの首を、またほんの少し窓へ寄せた。河合が撮った。

十八枚目の前で、灯が売店へ行った。戻ってきた灯の指先には、ポップコーンがひと粒つまんであった。ガラスケースの中の、今朝はじけたぶんだった。

「三浦さん、怪獣役じゃないのに」と河合が言った。

「小道具係です」

灯は、ひよりがハゼゴンの腕を動かすのを待ってから、モールの手のひらに、ポップコーンをひと粒のせた。

「とうもろこしから生まれたのに、食べるんですか」とひよりが聞いた。

「食べません。親戚なので、持ってるだけです」

最後の六枚、ハゼゴンはポップコーンを持ったまま、明かりのついた窓をのぞいていた。

ひよりに支えられた黄色い紙の怪獣が、ポップコーンを一粒持って模型の映画館の明るい窓をのぞく

二十四枚目を撮り終えたのは、三時五十八分だった。

灯がカードをもう二枚書いた。一枚目は題名。ひよりがつけた名前で、〈ハゼゴン、坂の上へ〉。もう一枚は〈おわり〉で、こちらは河合が書いた。定規で線を引いたような、まっすぐな字だった。

河合は手早く二枚を撮り、アプリの上で九十六枚とカード三枚をならべた。題名に二秒。〈ゴオオ〉に一秒。〈おわり〉に二秒。

「二十一秒です」

河合は立ち上がった。四時ちょうどだった。上映の終わりを確かめに、映写室へ上がらなければならない。

「見るのは、三人そろってからにしましょう」と灯が言った。

河合はうなずいて、細い階段を上っていった。

五 二十一秒の上映会

上映は四時十分ごろに終わった。客席の扉が開いて、二十人ほどの客がロビーへ出てくる。灯は売店に立ち、ひよりは机の端に寄った。しばらくのあいだ、灯の手は塩味の小袋と、上映後に売っている黒糖の持ち帰り袋のあいだを行ったり来たりした。

客がひととおり帰ったところで、河合が階段を下りてきた。

三人は売店のガラスケースの前に並んだ。灯がスマートフォンを、ケースの上に横向きに立てかける。

「いきます」

〈ハゼゴン、坂の上へ〉。二秒。

青と灰色のビルのあいだを、黄色い怪獣が、少しずつ、少しずつ坂をのぼっていく。腕を振って、しっぽを振って。端まで町だけが映っていた。

下から見上げた天井の空に、黄色い足の裏がずんと下りてくる。鞄の女の子は、動かない。

赤い喉が見えるまで、口が開く。

〈ゴオオ〉。

灰色のビルが、一枚ごとに傾いて、

町が、いっぺんに倒れた。

ひよりが小さく声をあげた。灯は口に手を当てた。町が倒れる変化は、たった六分の一秒だった。そのあとの画でも、自転車の上の犬と、屋根の上の傘は残っている。左上の隅のことは、たぶん、探していなければわからなかった。

倒れた町を、ハゼゴンがまたいでいく。坂の上の、自分より大きな映画館の前で止まって、首をかしげる。窓に明かりがつく。ポップコーンをひと粒持って、ハゼゴンは窓をのぞいている。

〈おわり〉。二秒。

画面が止まった。

「もう一回」と灯が言った。

二回目は、三人とも倒れるところで笑った。三回目は、河合がずっと左上の隅を見ていて、灯に脇腹を指でつつかれた。

「あら」

うしろから声がした。からし色のカーディガンに布の手提げを下げた柴田澄江が、黒糖の袋を持ったまま、首をのばしていた。

「何を撮ってたの。出てくるとき、気になってたのよ」

「怪獣映画です」とひよりが言った。「二十一秒です」

澄江は眼鏡をかけ直して、四回目を見た。町が倒れたところで、ふふ、と声に出して笑った。

「この子だけ、逃げないのね」

ひよりが、うれしそうに、はい、と言った。

それから澄江は、画面の左上の隅を指さした。

「あら、これ、そこの紙ね」

河合が、ゆっくり灯のほうを見た。灯は横を向いて、肩をふるわせていた。

「見つける人は、見つけます」と河合は言った。

澄江は意味がわからないという顔で笑って、また来週、と言って帰っていった。ガラスの扉が開いたとき、風はもうさっきほど強くなかった。

野崎が事務室から出てきて、ガラスケースの前で一回だけ見た。倒れるところで、野崎は小さく咳ばらいをした。

「僕が倒したところ、残したんですね」

「野崎さんの出演場面です」と灯は言った。「風の役。じゃんけんなしで決まりました」

「得をしました」と野崎は言った。それから、少し考えて、「材料費の領収書を」と言った。

灯はエプロンのポケットから、画用紙とモールとセロハンテープの領収書を出した。合わせて千二百円ちょっとだった。ハゼゴンの新聞紙と、ひよりの一円玉は入っていない。

河合は灯のスマートフォンを借りて、二十一秒のファイルを事務室のパソコンにも写した。ファイルの名前は、〈ハゼゴン、坂の上へ〉にした。

「三浦さんの電話がなくなっても、これで見られます」

「なくしません」

灯は値札用のカードに、〈怪獣映画、あります。二十一秒。見たい方は、売店で声をかけてください〉と書いた。ガラスケースの上、カードのとなりに、ハゼゴンを立たせる。手には、まだポップコーンがひと粒のっていた。

それから灯はコルクボードの前に行って、二月のポスターをはずした。画鋲の穴の上に、新しい紙を貼る。

〈紙の町で、怪獣映画をつくろう 三月の第二土曜日 十四時四十分〜十六時 ロビーの机で 参加無料 先着四名〉

その下に、灯は三行書き足した。

〈怪獣役は、じゃんけんで〉
〈吠えるのは、紙で〉
〈一円玉があれば、ご持参ください〉

ひよりはコートを着て、斜め掛けの鞄をかけたところだった。新しいポスターを見ると、鞄からえんぴつを出して、申し込みの紙のいちばん上に名前を書いた。〈ひより〉。となりに、今度は小さな怪獣の絵を描いた。

「二回目でもいいですか」

「いいよ」と灯は言った。「でも、怪獣役は、じゃんけんだよ」

「今度は、最初からやりたいです」

「わたしもです」と灯は言った。

「僕は、映画館を小さく作り直します」と河合が言った。

灯とひよりが、同時に河合を見た。

「……少しだけ」と河合は言った。

ひよりは四時半に帰っていった。扉を開けるとき、机の上の町を振り返って、倒れたままの人たちに小さく手を振った。

ロビーには、灯と河合が残った。十八時半の回までは、まだ時間がある。

灯はガラスケースの上のスマートフォンで、もう一度再生した。〈ハゼゴン、坂の上へ〉。黄色い怪獣が坂をのぼっていく。

「わたしの頭の中ではね」と灯は画面を見たまま言った。「ハゼゴンは海から上がってきて、港を壊して、駅前を壊して、ずっと吠えてたんです。三十一場面」

「はい」

「これ、ぜんぜん違うんですよ」

町が倒れる。ハゼゴンが窓をのぞく。ポップコーンをひと粒持って。

「違うのに、いちばん好きなんです。どうしてだろう」

河合は答えなかった。受付から、画面の左上の隅のあたりを見ていた。

〈おわり〉が出て、画面が止まった。灯はまた、指をのばした。

「六回目です」と河合が言った。

「数えないでください」

灯がもう一度再生すると、ハゼゴンはまた、坂の下のビルのあいだから歩きだした。ガラスケースの上では本物のハゼゴンが、売店の黄色い電球の光を浴びて、窓のない壁のほうをのぞきこむように、首をかしげて立っていた。