← 本棚へ戻る
ミコシリーズ第19話
コメディ・日常

ミコ、値札をつける

「相談」と書いたら、本当に相談されました。

読了目安
24分
長さ
短編
#くすっと笑える#買い物#友だち
ミコ、値札をつけるのイメージ

あらすじ

二度しか使わなかったヨガマット、福袋の豆皿、箱に入ったペンギンのかき氷器。ゆかりと公民館のおさがり市に出るミコは、値段を決められず付箋を七枚丸め、最後に「相談」と書く。呼び込みは得意でも釣銭が苦手なゆかりと、釣銭は早いが正直すぎるミコ。勝手に始まった売上勝負のかたわら、隣の机の値札のない木の台が、どうしても気になる。

第一章 八枚目の付箋

金曜日の夜、ミコは302号室のラグの上に、売るものを一列に並べた。

花柄の豆皿が五枚。ペンギンの形をした手回しのかき氷器。紫色のヨガマット。読み終わった文庫本が六冊。

それから、もう一冊。

『くじらの背中で朝ごはん』は、二月の半ばに読み終わった。ミコはそれを列のいちばん端に置いて、少し考えて、半分だけ列からはみ出させた。

日曜日に、近所の公民館で「おさがり市」がある。家で使わなくなった自分の物を、一日だけ持ち寄って売る集まりだ。長机一つが一区画で、出店料は一机五百円。十時から十四時まで。

公民館の掲示板でその貼り紙を見つけて、写真をゆかりに送ったのは二週間前だった。ちょっと面白そうだと思ったから送っただけで、出ようと思ったわけではなかった。

返事は、すぐに来た。

〈出る〉
〈机、半分ちょうだい〉
〈うち、ダンベルがある〉

それで、出ることになった。一つの長机を半分ずつ使って、出店料は二百五十円ずつ。

並べ終わると、ミコは黄色い付箋の束と黒いペンを持って、ラグに座った。

値札を、つける。

それだけのことだった。

最初は豆皿にした。いちばん簡単そうだったからだ。

去年の正月の福袋に入っていた五枚で、白地に小さな青い花が一つずつ描いてある。かわいい。でも、ミコの食器棚にはもう小皿が六枚あって、豆皿の出番はなかった。

ミコは付箋に〈一枚 150円〉と書いた。

書いてから、じっと見た。

本部では、シンパイがホワイトボードの前に立っていた。

〈高すぎる→売れ残る→持って帰る→重い〉
〈安すぎる→売れる→あとで後悔〉

「ちょうどいい値段は」とシンパイは言った。「存在しません」

「じゃあ、全部百円にしましょう」とダイジョブが言った。黄色い上着の袖をまくって、やる気だった。「計算が楽です」

キオクが丸眼鏡を押し上げて、リモコンを押した。モニターに、去年の一月の福袋が映った。〈三千円〉と書いてある。中身は六つ。

「六で割ると、一つ五百円です」とキオクは言った。

「豆皿五枚で、一つです」とシンパイが言った。

「では、一枚百円です」

ダイジョブが、ほらね、という顔をした。

ミコは〈150円〉の付箋をはがして、丸めた。新しい付箋に〈一枚 100円〉と書いた。

丸めた付箋は、ローテーブルの上に置いた。

文庫本は、一冊百円にした。これは、わりとすぐ決まった。

ペンギンのかき氷器で、手が止まった。

箱には、頭のハンドルを回すとおなかの中で氷がけずれる、という絵が描いてある。ペンギンは、どこか遠くを見ている顔をしていた。

ハラヘッタが、緑のカーディガンの前を両手でかき合わせた。

「夏が、来ます」

「来ますね」とシンパイが言った。

「夏になったら、このペンギンで、かき氷を」

キオクがリモコンを押した。モニターに、去年の八月が映った。コンビニの冷凍庫を開けて、カップのかき氷を一つ取り出しているミコ。家の戸棚では、ペンギンが、まだ箱のままだった。

「去年の夏も、そう言っていました」とキオクは言った。

ハラヘッタは、うつむいた。

ミコは付箋に〈300円〉と書いた。少し高めにしておけば、売れなくても、ペンギンのせいにできる気がした。

ハラヘッタが、少しだけ顔を上げた。

ヨガマットで、夜の十一時を過ぎた。

去年の一月に、三千九百八十円で買った。新年だったからだ。キオクのモニターには、そのあとの二回が映っていた。

一回目は、動画を見ながら二十分。

二回目は、十分。動画の先生が「では、あおむけになって、深く息を」と言ったところで、ミコはあおむけになって深く息をして、そのまま眠った。起きたら動画は終わっていて、別の動画が始まっていた。

パイプ椅子のネムイが、濃紺のフードの下で、少しだけ胸を張った気がした。

〈500円〉と書いた。はがした。

〈800円〉と書いた。〈300円〉と書いた。〈1000円〉と書いた。〈600円〉と書いた。書くたびに、はがした。

〈100円〉と書いて、全部百円の案を思い出して、しばらく見て、それもはがした。

ローテーブルの上の丸めた付箋が、七つになった。

ミコは、丸めた七枚の隣に新しい一枚を置いた。迷った値札の、八枚目だった。小さく書いた。

〈相談〉

書いてしまうと、肩がすっと軽くなった。決めなかったのではない。当日、決めるのだ。そういうことにした。

本部で、シンパイがマーカーを持ったまま、うなずきかけた。

そのとき、パイプ椅子のほうで、もぞっと音がした。

ネムイがフードを少しだけ持ち上げて、ホワイトボードの〈相談〉を見た。

「相談って書いたら」とネムイは言った。「相談されますよ」

それから、またフードを下ろした。

本部が、しんとした。

シンパイの手から、マーカーのキャップがころんと落ちた。

頭の中の会議室で相談の札を前に止まる小人五人。シンパイのマーカーのキャップが落ち、ネムイが椅子からボードを見る。

寝る前に、ゆかりからメッセージが来た。

〈値札できた?〉

〈だいたい〉

〈うちは電車で書く〉

〈当日の?〉

〈当日の電車〉

少しして、もう一通来た。

〈あと、お釣りって、いると?〉

〈いる〉

〈ミコのに、まぜといて〉

ミコは台所へ行って、棚の上からジャムの空き瓶をおろした。百円玉をためている瓶だった。そこから十枚数えて、財布から五百円玉を二枚出して、小さながま口に入れた。二千円。

それから、メモ帳を一ページ開いて、まんなかに縦の線を一本引いた。左に〈ミコ〉、右に〈ゆかり〉と書いた。

第二章 相談、されました

日曜日の朝は、晴れていた。風は、まだ冷たかった。

ミコは濃い灰色のウールのコートを着て、折りたたみのキャリーカートを引いて公民館へ歩いた。カートには、新聞紙でくるんだ豆皿の箱と、文庫本の紙袋と、ペンギンの箱と、丸めたヨガマットが、ゴムひもでくくりつけてあった。肩の生成りのトートには、がま口とメモ帳と付箋の束と、濃紺のお守りが入っていた。

公民館の二階の多目的室には、長机が四列並んでいた。二十区画くらいある。ミコたちの番号は〈14〉で、窓ぎわの列のまんなかだった。

九時十五分。出店料の五百円は、釣銭のがま口とは別の財布から受付で払った。ミコはコートを脱いで、椅子の背にかけた。灰色のニットの上に、青緑の上着。机の左半分に、物を並べた。

豆皿五枚を一列に。文庫本六冊は、背表紙が見えるように立てて。その横にペンギンの箱。ヨガマットは、机の端に立てかけた。

『くじらの背中で朝ごはん』は、トートの中に入れたままにした。値札は、まだついていなかった。

ヨガマットには〈相談〉が貼ってあった。遠くからでも、よく見えた。

九時二十五分、多目的室のドアが勢いよく開いた。

「ミコ、おはよ。肩が死による」

ゆかりは、大きな登山用のリュックを背負っていた。短い黒髪が、走ってきたせいで少し立っていた。上着のファスナーを下ろしながら、リュックを机の右半分にどすんとおろした。

「なに入れてきたの」

「ダンベル」

ゆかりはリュックからピンクのダンベルを二つ出して、机に並べた。三キロが二つ。

「小倉から、ダンベル背負って電車乗ってきた。今年いちばんのトレーニングやった」

それから、直火で焼くホットサンドメーカー。黄色いバケットハット。カプセルトイの小さな動物が八つ。かば、カピバラ、ペンギン、アルマジロ、いろいろいた。

値札は、灰色のガムテープに太いマジックで書いてあった。

〈ダンベル 2コで600〉
〈ホットサンド 800〉
〈ぼうし 300〉
〈どうぶつ 1コ100〉

「電車で書いたの」

「博多に着く前に終わった」ゆかりは言った。「三分」

ミコは、ゆかりのガムテープと、自分のヨガマットの〈相談〉を見比べた。

ゆかりも見比べた。

「相談?」

「……当日、決める」

「当日、いまやん」

ゆかりは出店料の半分、二百五十円を自分の財布から出した。ミコはそれを釣銭のがま口には入れず、自分の財布へ戻した。ゆかりは黒いダウンを脱いで椅子の背にかけた。下は、からし色のセーターだった。

隣の区画では、灰色の髪をうしろで一つにまとめた女の人が、段ボール箱から物を出していた。野球のグローブ、漫画の単行本、CDが何枚か。それから、小さな木の台。

高さは、ミコの膝より低い。四本の脚に四角い天板がのっていて、天板のすみには、彫刻刀で彫ったらしい小さな字があった。

木の台には、値札がついていなかった。

ミコは、それを見た。

302号室の、日曜日の窓ぎわを思い出した。床の日なたに座って本を読むとき、お茶のマグカップはいつもラグの上に置いていて、二回くらい倒しかけた。あの台があったら、マグカップと本を、日なたの中に置いておける。

本部で、シンパイがホワイトボードのすみに小さく書いた。

〈本日:物を減らす日〉

ミコは、自分の机に目を戻した。

十時になると、受付のほうから人が入ってきた。

思ったより、たくさんだった。小さな子を連れた人、杖をついた人、エコバッグを三つ持った人。みんな、机のあいだをゆっくり歩いていた。

ゆかりは、すうっと息を吸った。

「ダンベル、ありまーす! ばり軽いよー!」

多目的室の何人かが、こっちを見た。

「ゆかり」ミコは小声で言った。「軽いのは、ダンベルとしては」

「持って帰るのが軽いって意味」

「それは、持って帰るほうの人が決めることだと思う」

ジャージを着た大学生くらいの男の人が、ダンベルの前で止まった。一つ持ち上げて、ひじを曲げたり伸ばしたりした。

「これ、二つで六百円すか」

「六百円。ペア。ほぼ新品。使ったのは、えーと」ゆかりは指を折った。「三回?」

男の人は千円札を出した。ゆかりはそれを受け取って、天井を見た。

「千円から、六百円で……えーと、三百……」

ミコは、もうがま口から百円玉を四枚出していた。

「四百円のお返しです」

男の人は、四百円とダンベルを持って歩いていった。足どりが軽かった。ダンベルも、軽そうに見えた。

「早っ」とゆかりが言った。

「毎日、発注の数を数えてるから」

ミコは、メモ帳の右の列に〈ダンベル 600〉と書いた。

ミコの机の前でも、人は止まった。

豆皿を手に取って、裏を見て、戻す人。文庫本の背表紙を首をかしげて読んで、戻す人。ペンギンの箱を見て、ふふっと笑って、戻す人。

ミコはそのたびに「いらっしゃいませ」と言おうとした。言えたのは、四回に一回くらいだった。声は、ゆかりの「ばり軽いよー」の十分の一くらいだった。

本部では、シンパイが〈いらっしゃいませ:二十五%〉と書いていた。

十時半。

ベージュのコートを着た女の人が、ヨガマットの前で止まった。三十代くらいで、首に赤いマフラーを巻いていた。

女の人は、〈相談〉の付箋をじっと見た。

それから、ミコを見た。

「すみません。これ、相談って、いくらですか」

来た。

本部のホワイトボードが、一瞬でいっぱいになった。

〈三千九百八十円〉
〈二回〉
〈百円?〉
〈五百円?〉
〈八百円?〉
〈相談されました〉

キオクのモニターでは、あおむけのミコが深く息をして、眠っていた。

ネムイは寝ていた。

「あの」とミコは言った。声は、思ったより出た。「二回、使いました」

「二回」

「一回目は、二十分です。二回目は、十分で」ミコは、少しだけ迷った。「……寝ました」

女の人は、まばたきをした。

「上で?」

「上で。あおむけになって深く息をしてください、って言われて、そのとおりにしたら」

女の人がふきだした。赤いマフラーに口をうずめて、肩をふるわせた。

「それ、よかマットやん」

ミコは、マットを見た。紫色で、端が少しだけ丸まっている。三千九百八十円で、二回で、一回は眠ったマット。

値段が、すっと出てきた。

「五百円で、どうでしょうか」

言ってから、ミコは自分で少し驚いた。ゆうべ、いちばん最初に書いてはがした数字だった。

「買います」と女の人は言った。「わたしも、たぶん寝るけど」

五百円玉が一枚、ミコの手のひらにのった。

女の人はマットを小脇に抱えて、次の机のほうへ歩いていった。紫色の筒が、赤いマフラーの横で揺れていた。

ミコは、それをしばらく見ていた。少しさびしくて、それよりもう少し、軽かった。

メモ帳の左の列に〈ヨガマット 500〉と書いた。

「相談、強いやん」とゆかりが言った。「わたしも、ぼうしに相談って書こ」

「やめたほうがいい」とミコは言った。「相談されるから」

第三章 敵に、塩

十時五十分、おばあさんに連れられた男の子が二人、ゆかりの机にはりついた。

カプセルトイの動物を一つずつ手のひらにのせては、見比べていた。

「どれにすると」とゆかりが聞いた。

「カピバラ」と弟が言った。

ゆかりは、少しだけ間をあけた。

「……カピバラ、ね」

「だめ?」

「だめやない。カピバラはね、お湯につかるのが好きやけん、お風呂に連れていってやり」

兄は、アルマジロとかばを選んだ。おばあさんが百円玉を三枚、ゆかりに渡した。

男の子たちが行ってしまってから、ゆかりは残った五つの動物を、指で並べなおした。

「カピバラ、いちばん好きやった」

「売り物だったよね」

「売り物やった」ゆかりは言った。「よか。お風呂に入れてもらえるなら」

ミコは右の列に〈どうぶつ 300〉と書いた。

十一時十五分、豆皿が売れた。

エコバッグを三つ持った人だった。豆皿を三枚手に取って、窓の明かりにかざして、「うち、三人やけん」と言った。

千円札を出された。ミコは、五百円玉を一枚と百円玉を二枚出した。

「七百円のお返しです」

それから、三枚を新聞紙で一枚ずつくるんだ。家で、くるみ方を二回練習してきていた。

エコバッグの人が行ってしまうと、机の上の豆皿は二枚になって、あいだがあいた。ミコは、残った二枚のあいだをつめた。

左の列に〈豆皿3 300〉。

十一時四十分、人の流れが少しとぎれた。

ゆかりは、さっきから同じものを見ていた。

ミコの机の、ペンギンの箱だった。

「それ、まだ売れとらんね」

「うん」

本部で、ハラヘッタが顔を上げた。

「三百円」とゆかりは言った。「わたしが買う」

「あげるよ」とミコは言った。「ゆかりなら」

「いかん」ゆかりは首をふった。「値札ついとるやん。売り物やろ」

ゆかりは自分の財布から五百円玉を出して、ミコの手にのせた。ミコは、がま口から百円玉を二枚出して返した。

ゆかりは、ペンギンの箱を両手で持ち上げた。

「これで、ミコの売上が三百円増えた」ゆかりは言った。「わたし、いま、敵に塩送っとる」

「敵なの」

「今日は敵。売上勝負やけん」

「いつ決まったの」

「ダンベル売れたとき」

ミコは、メモ帳の左の列に〈ペンギン 300〉と書いた。右の列にも何か書きかけて、やめた。ゆかりのお金だったけれど、ミコの売上だった。

「夏になったら、これで、かき氷つくるっちゃ」ゆかりは言った。「ミコの分も、けずってやる」

「小倉で?」

「……溶けるね」

ゆかりはペンギンの箱を、自分のリュックの横に置いた。ペンギンは、遠くを見ている顔のままだった。

本部で、ハラヘッタが、ほうっと息をはいた。

「かき氷は、どこかに残りました」

「小倉にですけどね」とシンパイが言った。

お昼は、交代でおにぎりを食べた。

ミコが食べているあいだに、隣の机に、ジャンパーを着た男の人が来た。男の人は、あの木の台を持ち上げて、ひっくり返して、脚の裏まで見た。

ミコは、おにぎりを持ったまま止まった。

「これ、おいくらですか」

「それはねえ」と隣の女の人が言った。「まだ、値段を決めとらんとですよ。すみません」

男の人は、そうですか、と言って、台を置いて行ってしまった。

ミコは、息をはいた。それから、はいたことに気がついた。

「ミコ」ゆかりが、のぞきこんでいた。「いま、ほっとしたやろ」

「してない」

「した。顔が、ぜんぶ、ほっとしとった」

「……見てるだけ」

「見とるだけの顔やない」

本部のホワイトボードの〈本日:物を減らす日〉の横に、シンパイが小さく〈?〉と書いた。

十二時半、ホットサンドメーカーの前に、白い帽子のおじいさんが止まった。

ゆかりは、ぱっと立ち上がった。

「それ、ばりきれいに焼けますよ! 外はかりっと、中はとろっと」

おじいさんはホットサンドメーカーを開けたり閉めたりして、それから、なぜかミコのほうを見た。

「ほんとに、きれいに焼けると?」

ゆかりも、ミコを見た。

ミコは、少しだけ迷った。迷っているあいだに、口が動いた。

「一回使って、焦げたって、聞いてます」

「ミコ!」

おじいさんが、声を出して笑った。

「焦げたと」

「ばり焦げました」ゆかりは観念したように言った。「火が強すぎて。真っ黒」

「よか、よか」おじいさんは言った。「うちは焦げたとが好きやけん。ちょうどよか」

おじいさんは千円札を出した。ゆかりはがま口に手を伸ばしかけて、それからミコを見た。ミコは百円玉を二枚出した。

おじいさんがホットサンドメーカーを抱えて行ってしまうと、ゆかりはミコの腕を軽くたたいた。

「なんで正直に言うと」

「聞かれたから」

「売れたけど」

「売れたね」

ゆかりはしばらくミコをにらんで、それから笑った。

右の列に〈ホットサンド 800〉。

第四章 いくらなら、買いますか

十二時四十分、ミコはトートから『くじらの背中で朝ごはん』を出した。

お昼のあいだに、決めていた。持って帰ったら、本棚の本がまた一冊増える。今日は、物を減らす日だ。

付箋に〈100円〉と書いて、裏表紙に貼った。ほかの文庫本の横に立てた。

五分もしないうちに、ダッフルコートを着た女の子が、その本を手に取った。高校生くらいだった。

「これ、どんな話ですか」

「くじらの背中に乗って、朝ごはんを作る話です」

「くじらの背中で」

「はい。郵便屋さんのトトと、ハルっていう子が一緒に乗っていて。トトは、配達できなかった手紙を一通ずつ読み上げるんです。ハルはその横で、かまどに火を起こしていて。海の上は寒いんですけど、くじらの背中は日に当たって温かい、って書いてあって」

女の子は、うなずいていた。

「わたし、これを窓の日なたで読んでたんです。ちょうどそこを読んでるとき、背中が温かくて。それで、もう少し先の話は——」

ミコは、そこで止まった。

好きだった章のことを考えた。くじらが、ゆっくり向きを変えるところ。もう一回、あそこを日なたで読みたかった。今度は、マグカップを倒しかけないで。

「……すみません」とミコは言った。

「はい」

「これ、いま、売り物じゃなくなりました」

女の子は目を丸くした。それから、口を押さえて笑った。

「説明聞いたら、欲しくなったっちゃけど」

「本屋さんに、あります」ミコは言った。「たぶん、新しいのが」

ミコは、裏表紙の付箋をはがした。

女の子はスマートフォンに題名を打ちこんでから、ほかの文庫本を二冊選んだ。百円玉が二枚。

「くじらのやつ、自分で買います」と女の子は言った。「あとの話、言わんでくれて、よかった」

左の列に〈文庫2 200〉。

はがした付箋は丸めずに、メモ帳の裏に貼った。

ゆかりは、何も言わなかった。言わないかわりに、机の下で、ミコのスニーカーのつま先を自分のスニーカーで一回つついた。

それから、隣の机のほうへ顎をしゃくった。

木の台は、まだそこにあった。

ミコは立ち上がった。

隣の机の前まで、三歩だった。インターホンまでの三歩半より、半歩短かった。

「すみません」とミコは言った。「この台は、おいくらですか」

灰色の髪の女の人は、ミコを見て、台を見た。

「それねえ」と女の人は言った。「息子が中学の技術の時間に作ったと。もう十五年も前。東京に出て、部屋を片づけていいって言うけん、全部持ってきたとやけど」

天板のすみに彫ってある字は、〈ゆうた〉だった。

「これだけ、決めきらんで」女の人は笑った。「値札つけとらんと。宮下です。あなた、いくらなら買う?」

本部のホワイトボードに、シンパイが大きく書いた。

〈相談されました(逆)〉

「逆です」とキオクが言った。

「逆ですね」とダイジョブが言った。「百円!」

「百円は」とシンパイが言った。「ゆうたさんに、悪いです」

宮下さんが、台を床におろした。

「座ってみて。案外、丈夫よ」

ミコは、そっと台に座った。

がたん、と一回、脚が鳴った。それから止まった。座ってみると、ちょうどいい低さだった。膝が少し上がって、両手が天板のふちにのった。

公民館のおさがり市で、宮下さんの手作りの低い台に腰かけて考えるミコ。後ろで短髪のゆかりが見ている。

窓ぎわの、ラグの上。マグカップと本を置いて、日なたが動いたら、台ごと動かせばいい。

ミコは、さっきの五百円玉のことを考えた。三千九百八十円で、二回で、一回は眠ったマット。あの五百円は、ミコがあのマットに払ってもらって、うれしい値段だった。

それなら、こっちは、ミコが払ってうれしい値段にすればいい。

「七百円で、どうでしょうか」

宮下さんは、しばらくミコを見ていた。

「そげん出すと?」

「はい」

「あのね」宮下さんは、少し声を落とした。「三百円て言われたら、持って帰ろうと思っとった」

ミコは、まばたきをした。

「さっきの人には、言われる前に、まだ決めとらんって言うてしもうた」宮下さんは、台の天板をなでた。「七百円なら、息子に言える。七百円で売れたよって。あの子、たぶん、なんでそんなに、って言うけど」

ミコは、がま口から五百円玉を一枚と、百円玉を二枚出した。

宮下さんは、それを両手で受け取った。

「大事にせんでいいけんね。ふつうに使って」

「はい」とミコは言った。「日なたで、使います」

うしろで、ゆかりが言った。

「買ったー!」

ちょっと、声が大きかった。何人かが振り向いた。

ミコは席に戻って、メモ帳の左の列に〈台 −700〉と書いた。

十三時二十分、ゆかりのバケットハットが売れた。

買ったのは、二十歳くらいの女の人だった。「かぶってみて」と言ったのはゆかりで、かぶってみたら、ばかみたいに似合った。

ゆかりは、しばらく黙っていた。

「……やっぱ、似合わんかったの、わたしだけか」

女の人は三百円を払って、帽子をかぶったまま帰っていった。黄色が、ドアの向こうへ消えた。

右の列に〈ぼうし 300〉。

それからゆかりは「偵察」と言って、ほかの机を見に行った。十分後に戻ってきた。

「二人用のカードゲーム、未開封。箱がちょっとつぶれとるけん、七百円。取っといてもらっとる」

「自分のお金で?」

「売上で」

ゆかりは、がま口から五百円玉一枚と百円玉二枚を出して、もう一度机を離れた。平たい箱を持って戻ってきて、ミコの前に置いた。

「次、会うとき持ってくる。手加減せんけんね」

「しなくていい」とミコは言った。

右の列に〈ゲーム −700〉。

十四時になると、受付の人が手を三回たたいた。

「おつかれさまでしたー。売れ残りは、各自お持ち帰りくださーい」

ミコとゆかりは、机の上を見た。

ミコの側には、豆皿が二枚と、文庫本が四冊。トートの中には、『くじらの背中で朝ごはん』。足もとには、木の台。

ゆかりの側には、カプセルトイの動物が五つと、ペンギンの箱と、つぶれたカードゲームの箱。

ミコはメモ帳を開いて、がま口のお金を机の上で数えた。

「ぜんぶで、三千九百円」

「多っ」

「二千円は、最初にお釣り用に入れた分。わたしは売上が千三百円で、台に七百円使ったから、六百円。ゆかりは売上が二千円で、ゲームに七百円だから、千三百円」

ミコは、千円札一枚と百円玉三枚を、ゆかりの前に置いた。残りを、がま口に戻した。

ゆかりは自分の千三百円を見て、それからミコのメモ帳の〈600〉を見た。

「勝った」

「金額は」とミコは言った。

「金額は、って何」

「数は、わたしが七つ」ミコは指を折った。「マット、豆皿三枚、ペンギン、文庫二冊」

ゆかりも指を折った。

「ダンベル二個、どうぶつ三つ、ホットサンド、ぼうし。七つ」

「ダンベルは、〈2コで600〉って書いてあった」

「二個は二個やろ」

「ペアだった」

「ペアでも、持ったら二個」

二人は、しばらくにらみあった。

それから、ゆかりがふきだした。ミコもふきだした。

「引き分け」とゆかりが言った。

「金額は、ゆかりの勝ち」とミコは言った。「数は、引き分けか、わたしの勝ち」

「なんそれ」

本部では、シンパイがホワイトボードに〈勝負:保留〉と書いて、キオクが「記録しておきます」と言った。

第五章 日なた用

帰り道、ゆかりのリュックは、来たときよりずっと平たかった。

「ダンベル六キロ減って、ペンギン増えた」ゆかりはリュックをゆすり、小脇に抱えたペンギンの箱を見た。「ペンギン、たぶん一キロもない」

「そのぶん、ゲーム」

「ゲームは軽い」

ミコのキャリーカートには、文庫本の紙袋と、豆皿の箱と、木の台がくくりつけてあった。台の脚が、歩道の継ぎ目でときどき、かたん、と鳴った。

地下鉄の入り口で、ゆかりは立ち止まった。

「今日、ミコの相談、ばり笑った」

「笑わせようと思ってない」

「やけん笑ったと」

ゆかりは手をふって、階段を下りていった。下りながら、もう一回ふり返って、ペンギンの箱を持ち上げてみせた。

302号室に着いたのは、三時半だった。

ミコはキャリーカートを玄関に置いて、コートを脱いだ。豆皿二枚を新聞紙からほどいて、食器棚に戻した。戻したら、急に、使いたくなった。

文庫本四冊は、本棚に戻した。『くじらの背中で朝ごはん』は、戻さなかった。

窓のほうを見た。

床には、まだ日なたが残っていた。細長くなって、少しずつ部屋の奥へ動いていた。

ミコは木の台を持ち上げて、その日なたの中に置いた。台の脚が、ラグの上で一回だけ、がたん、と鳴った。

台の上に、文庫本をのせた。台所でみかんを一つ取ってきて、豆皿にのせて、それも台の上に置いた。

それから、トートから付箋の束を出した。一昨日の夜、七つ丸めた束だった。

ミコは、黒いペンで一枚に書いた。

〈日なた用〉

本部で、シンパイが言った。

「値段が、書いてありません」

「値札ではないので」とキオクが言った。

「では、何ですか」

ダイジョブが、少し考えた。

「使い方の札です」

ミコは台をそっと傾けて、天板の裏に付箋を貼った。〈ゆうた〉の字の、ちょうど裏側だった。

台を戻して、その前に座った。

日なたは、思っていたより早く動いた。台の手前のはしが、もう影に入りかけていた。ミコは台を二十センチ、奥へずらした。みかんがころがりそうになって、手で押さえた。

本を開いた。あの章。

背中が、少しだけ温かかった。

パイプ椅子では、ネムイが寝ていた。シンパイはマーカーにキャップをして、ホワイトボードの〈本日:物を減らす日〉の下に、小さく書き足した。

〈買った物 +1〉

ミコは、ページをめくった。