← 本棚へ戻る
ミコシリーズ第24話
コメディ・日常

ミコ、夜の動物園へ

寝ている動物の前で、いちばん張り切るのは頭の中のネムイ。

読了目安
25分
長さ
短編
#くすっと笑える#動物#お出かけ
ミコ、夜の動物園へのイメージ

あらすじ

六月の土曜日、一人で夜間開園の動物園へ来たミコ。明るいうちのキリン、暗くなってからのフクロウの森。いつも寝ているネムイが「寝顔を集めます」と張り切り、予定は少しずつずれていく。夜の森の掲示には二羽。でも見つかるのは眠る一羽だけ。ミコシリーズ第24話。

読みやすく、好きなところから。

目次・5章

第一章 ネムイが起きている

六月最初の土曜日、午後四時三十八分。

齋藤ミコは、月見台動物園の正門の前で、券売機の列に並んでいた。

門の上に、紺色の横断幕がかかっていた。〈ゆうべの動物園 六月の土曜日 21:00まで〉。白い字の横に、目を閉じた三日月の絵が描いてある。

日差しは、まだ明るかった。門の前のアスファルトが少し白っぽく光っていて、並んでいる人たちの影が、みんな足もとから斜めにのびていた。ミコは白いTシャツの肩に、生成りのトートをかけなおした。青緑の上着は、たたんでトートの底に入れてある。夜になったら着るつもりだった。

ポスターを見たのは、二週間前、仕事帰りのバス停だった。

暗い枝の上で、フクロウが丸い目を二つ、こちらへ開けている写真だった。その下に小さな字で、〈夜に動くとは限りません。寝ている姿も、どうぞごゆっくり〉と書いてあった。

ミコは、そのバス停で、バスを一本見送った。

列の前は、あと二組だった。ミコはメモ帳を開いた。

〈明るいうち〉
 フラミンゴ
 17:30 キリンの葉っぱの時間
 18:30まで ゾウ(そのあと寝室)
〈暗くなってから〉
 フクロウの森
〈21:12 正門前 最終バス〉

本部では、シンパイがもうホワイトボードの前に立っていた。

〈暗い〉
〈迷う〉
〈最終バス〉

「三つです」とシンパイは言った。

「まだ、四時半です」とダイジョブが言った。黄色い上着の胸を張っていた。「暗くなるまで、ずっとあります。ぜんぶ見られます」

「ぜんぶ見られる根拠は」

「明るいからです」

キオクが古いリモコンを押した。モニターに、バス停のポスターが映った。丸い目のフクロウ。下の小さな字。キオクは丸い眼鏡を指で押しあげて、その字のところで一時停止した。

「〈動くとは限りません〉」とキオクは読んだ。「と、書いてあります」

ハラヘッタは、ポスターのすみの別の字を見ていた。〈夜の屋台 17:00〜20:30〉。

「屋台」とハラヘッタは言った。「夜の、屋台です」

それから、本部の全員が、同じほうを見た。

パイプ椅子の上で、ネムイが、起きていた。

濃紺のフードを、頭のうしろに下ろしている。目が、ぱっちり開いていた。両手をひざに置いて、背すじを伸ばして座っていた。

「おはようございます」とネムイは言った。

誰も、すぐには返事をしなかった。

「……今は、夕方です」とシンパイが言った。

「はい。ここからが、わたしの時間です」ネムイは、椅子からすとんと降りた。「今日は夜の動物園ですね。寝ている動物が、たくさんいます。わたしは、寝顔を集めます」

「集める」とダイジョブが言った。

「見て、覚えます」ネムイはキオクのほうを向いた。「キオクさん、録画をお願いします」

キオクは、リモコンを持ったまま、少し考えてから「はい」と言った。

「次の方、どうぞ」

券売機の横の窓口に、紺のポロシャツの女の人がいた。ミコは千円札を一枚出した。

「大人一枚、お願いします」

「六百円です。四百円のおつりと、こちら、地図です」女の人は、地図といっしょに、はがきくらいの大きさの紙を一枚、窓口の台に置いた。「それと、今日だけの、おやすみスタンプカードです」

カードには、丸い枠が五つ並んでいた。〈フラミンゴ池〉〈キリン舎〉〈レッサーパンダ〉〈ゾウ舎〉〈フクロウの森〉。いちばん下に、〈五つそろったら、20:50までに正門横の交換所へ。シールと交換します〉。

「スタンプは、それぞれの場所に置いてあります。起きていても寝ていても、行ったら押してください」

「はい」

「それから、地図の裏をお読みください。夜のお約束です」

ミコは、入口の横に寄って、地図を裏返した。

〈ゆうべの動物園のお約束〉
〈1 フラッシュを使わない〉
〈2 ガラスや柵をたたかない。身を乗り出さない〉
〈3 どうぶつに声をかけない。食べ物をあげない〉
〈4 夜の園内は走らない〉
〈5 ライトは足もとだけ。どうぶつに向けない〉
〈6 フクロウの森の中では、撮影しない〉

本部で、シンパイが六つを全部ホワイトボードに書き写した。それから自分の三つの下に、線を一本引いた。

「お約束が、六つ増えました」

「守るだけです」とダイジョブが言った。

「守るのは、ミコさんです」

ネムイは、カードの〈おやすみ〉の字を、モニターの前で、指でなぞっていた。

ミコはカードを地図に重ねて、トートの外ポケットにさした。四時四十一分に、門を入った。

第二章 明るいうちに

フラミンゴ池は、門を入ってすぐの右手だった。

浅い池の中に、桃色の鳥が二十羽くらい立っていた。何羽かは、片足で立って、首をくるりと背中にうずめていた。くちばしが、羽の中に隠れて見えなかった。

「寝てます!」とネムイが言った。

本部の誰も聞いたことのない、大きな声だった。

「寝ているかどうかは、わかりません」とシンパイが言った。「休んでいるだけかもしれません」

「首をしまっています。わたしもフードをかぶります。同じです」

池の柵の手前に、木の小さな台があって、その上にスタンプとインクが置いてあった。スタンプは、紐で台につないであった。ミコはカードを台にのせて、〈フラミンゴ池〉の丸に押した。

片足で立つフラミンゴの絵が、桃色のインクで出た。

「一つめです」とネムイが言った。両手を胸の前で合わせていた。「寝顔、一つめ」

「顔は、見えていません」とキオクが言った。

「羽の中に、あります」

ミコは、池のいちばん手前で首をうずめている一羽を、もう少しだけ見た。風が吹いて、羽のはしが少しめくれた。鳥は動かなかった。

五時二十分に、ミコはキリン舎の観察デッキに上がった。

デッキは、木でできた高い台だった。階段を上がると、ちょうどキリンの顔のあたりの高さになる。柵の向こうに、背の高い木の柱が二本立っていて、そのあいだに太い鎖がかかっていた。

キリンは一頭、デッキから少し離れたところに立っていた。地面の砂を、長い首を曲げてかいでいた。柵の札には〈モミジ メス〉とあった。

デッキには、もう十人くらいが並んでいた。ミコは、端の少し空いたところに立った。

五時半ちょうどに、緑の作業服の飼育係の人が、長い棒を持って柱の下に来た。棒の先に、葉のついた枝の束が結んであった。飼育係の人は、棒を持ちあげて、その束を鎖のいちばん上のかぎに、かけた。

モミジが、顔を上げた。

ゆっくり歩いてきた。一歩が大きかった。柱の前で止まると、首を伸ばして、紫色の長い舌を出して、枝の葉を巻きとった。

しゃり、と音がした。

デッキの上で、誰かが小さく「わあ」と言った。ミコも、口の中で同じことを言った。

「明るいうちに、これを見たかったんです」と、本部でダイジョブがミコの代わりに言った。

「知っています」とキオクが言った。「メモに、書いてありました」

ミコはスマホを出して、フラッシュが切れているのを確かめてから、一枚だけ撮った。画面の中で、モミジの舌が、葉のあいだに少しだけ写っていた。

本部で、ネムイは腕を組んでいた。

「……起きていますね」

「起きています」とハラヘッタが言った。「食べています。とてもいいことです」

「寝顔が、ありません」ネムイは、モニターに顔を近づけた。「キリンさんは、いつ寝るんですか」

「知りません」とキオクが言った。「調べていません」

「わたしは、待てます」

「待ちません」とシンパイが言った。ホワイトボードの〈18:30まで ゾウ〉を、マーカーで二回たたいた。「次があります」

キリン舎のスタンプは、デッキを降りた階段の横にあった。ミコは〈キリン舎〉の丸に押した。首の長いキリンの絵が出た。

ネムイは、そのキリンの絵の目のところを、じっと見ていた。開いた目だった。

第三章 寝顔は、今しか見られません

レッサーパンダの展示は、キリン舎から坂を少し下ったところにあった。

六時を少し過ぎていた。空はまだ明るくて、坂の上の木の葉が、日の当たるところだけ黄色っぽく光っていた。

ガラスの向こうに、木が一本立っていた。太い枝が二つに分かれたところに、赤茶色のかたまりが、のっていた。

レッサーパンダだった。

丸くなって、しま模様のしっぽを、顔の上にかけていた。しっぽのすきまから、白い耳の先だけが出ていた。

「寝てます」とネムイが言った。今度は、小さな声だった。「寝てます。しっぽを、毛布にしています」

ガラスの前には、お父さんと、五歳くらいの男の子がいた。男の子は、ガラスに手をつけそうになって、ぎりぎりで手を引っこめた。それから、お父さんのほうを向いて、自分の口の前に指を一本立てた。

「しーっ」

お父さんは、うん、とうなずいて、同じように指を立てた。

ミコは、親子の少しうしろに立った。

レッサーパンダは、動かなかった。お腹のあたりが、ほんの少しだけ、ふくらんで、しぼんだ。

「もう少し、見ます」とネムイが言った。

「スタンプは、押しました」とシンパイが言った。ミコはたしかに、ガラスの横の台で、もう〈レッサーパンダ〉の丸に押していた。しっぽの絵だった。

「顔を、まだ見ていません。しっぽの下に、あります」

「しっぽは、どかないと思います」

「どくかもしれません」

ダイジョブが「どくかもしれません」とくり返した。ハラヘッタは、しっぽの毛がおいしそうだと言いかけて、キオクに見られてやめた。

親子が、いなくなった。

別の人たちが来て、のぞいて、「寝てるね」と言って、またいなくなった。

レッサーパンダは、一回だけ、しっぽの位置を少し直した。耳が、ぴくっと動いた。顔は、出てこなかった。

ネムイは、モニターの前から一歩も動かなかった。

キオクが、ふと、リモコンを持ちあげた。

「ミコさん」とキオクは言った。「今、六時二十四分です」

本部が、いっせいにホワイトボードを見た。〈18:30まで ゾウ〉。

ミコは、坂を上がった。

走らなかった。地図の裏の、四つめのお約束が頭にあった。夜の園内は走らない。まだ夜ではなかったが、ミコは早足で歩いた。トートが腰のところで、ぽん、ぽん、と揺れた。

シンパイが、ホワイトボードに書いた。〈ゾウ 間に合わない〉。

「まだ、わかりません」とダイジョブが言った。

「地図だと、坂を上がって左、それから池を回ります」とキオクが言った。「順調なら、七分くらいです。歩いて」

「六時二十四分足す七分は」

「言わなくていいです」

ゾウ舎の前に着いたのは、六時三十三分だった。

広い運動場の奥に、灰色の大きな建物があった。その壁に、トラックが入れそうな高さの戸があった。戸は、まだ開いていた。

その入口に、ゾウの、背中とお尻があった。

しわの寄った灰色の背中が、ゆっくり、奥のほうへ揺れていった。細いしっぽが、一回、左右に振れた。ゾウのしっぽまで奥へ入ってから、戸が、ごとん、と下まで閉まった。

運動場には、もう誰もいなかった。

柵の前にいた何人かが、「入っちゃったね」と言いながら離れていった。

ミコは、閉まった戸を見ていた。

本部で、シンパイが、〈ゾウ 間に合わない〉の横に、小さく〈間に合わなかった〉と書きなおした。

「……ネムイさんが、粘ったからです」とシンパイは言った。

「はい」とネムイは言った。それから、両手をぎゅっと握った。「でも、見ました。今の、見ましたか。おやすみの、瞬間です」

「背中です」

「寝室に帰る背中です。いちばん、おやすみの背中です」

ダイジョブが、ゆっくり拍手をした。ハラヘッタもつられた。シンパイだけ、拍手をしなかった。キオクは「録画しました」と言った。

ミコは、柵の横の台で、〈ゾウ舎〉の丸にスタンプを押した。うしろ向きのゾウの絵だった。お尻と、しっぽ。

カードの上で、四つめの丸は、ちょうど今見たとおりの絵だった。

ミコは、少しだけ笑った。

夜の屋台は、ゾウ舎のとなりの広場に出ていた。

白いテントが三つ並んでいて、それぞれの屋根から、小さな電球が一列ずつ下がっていた。まだ明るいので、電球は、ついているのかついていないのか、よくわからなかった。

まんなかのテントの看板に、〈キリンの首ドッグ 450円〉とあった。写真では、細長いパンから、ふつうの倍くらいの長さのソーセージがはみ出していた。

ハラヘッタが、本部のいちばん前に出てきた。

「あれです」

「長いです」とシンパイが言った。「持てますか」

「両手で持ちます」

「キリンの首ドッグと、麦茶をください」とミコはテントの人に言った。

「六百円です」

千円札で払って、四百円のおつりと、紙に包まれたホットドッグと、麦茶のペットボトルを受けとった。ホットドッグは、たしかに長かった。包み紙の両はしから、パンもソーセージも、まだはみ出していた。

広場のはしのベンチに座ったのは、七時少し前だった。

ひと口目は、ソーセージのはしだけだった。パンにたどりつかなかった。ぱりっと皮が鳴って、熱かった。

「首から、食べています」とハラヘッタが言った。満足そうだった。

ベンチの前を、家族連れや、二人組や、ミコと同じように一人の人が、ゆっくり通りすぎていった。だれも急いでいなかった。

七時を過ぎても、空は明るかった。ただ、明るさの色が、少しずつ変わっていった。白っぽかった空が、うすい水色になって、坂の上の木のうしろだけ、だいだい色に近くなった。

ホットドッグを食べおわって、包み紙を屋台の横のごみ箱に入れた。麦茶を半分くらい飲んで、ふたを閉めた。

そのとき、足もとで、ぽっ、と明かりがついた。

道のふちに、ひざくらいの高さの、小さな灯りが並んでいた。それが、手前から順番に、ぽっ、ぽっ、と、ともっていった。屋台の電球も、急に、はっきり光りはじめた。

風が、さっきより少しひんやりしていた。

ミコはトートの底から、青緑の上着を出して、はおった。麦茶を、代わりにトートに入れた。

本部で、ネムイが立ちあがった。

「ここからです」

第四章 フクロウの森には、二羽

フクロウの森は、園のいちばん奥にあった。

足もと灯の並んだ道を、ミコは歩いた。道の両側の木が、上のほうから黒くなっていった。空はまだ少し青かったが、木の下は、もう夜だった。

森の入口に、小さな看板が立っていた。黒い板に、白いチョークで書いてあった。

〈本日のフクロウの森 コマメ・ハッカ 2羽〉

その下に、地図の裏と同じ六つめのお約束が、もう一度書いてあった。〈森の中では、撮影しない〉。〈声は小さく〉。

ミコは、スマホをトートの中にしまった。

中は、大きな鳥小屋だった。

高い網が、何本もの木をまるごと囲んでいた。網の外側に、木の板の通路が、ゆるく曲がりながら続いていた。通路には、足もと灯しかなかった。網の中には、木のあいだの高いところに、月明かりくらいの、ぼんやりした灯りが一つだけあった。

最初の曲がり角を曲がったところで、ミコは足を止めた。

網のすぐ向こう、手の届きそうな、と言っても網があるけれど、低い枝の上に、灰色と茶色のまじった、丸いものがのっていた。

フクロウだった。

目を閉じていた。目元は、羽の中の細い線になっていた。顔の羽が、少しふくらんで、まるい輪になっていた。枝の下に、小さな札がついていた。〈コマメ〉。

「……寝てます」とネムイが言った。

ささやき声だった。本部の中なのに、ネムイは、ささやいていた。

ネムイは、モニターの前に、パイプ椅子をずるずると引きずってきた。座った。両手をひざに置いた。

「ここに、います」とネムイは言った。

ミコは、通路の網に近づきすぎないように、半歩さがって、コマメを見た。

ポスターの写真の、丸い目ではなかった。でも、閉じたまぶたのふちが、うすい線になっていて、くちばしが、羽のあいだに少しだけのぞいていた。羽の一枚一枚に、細かいしま模様があった。

「かわいいです」とダイジョブが言った。

「声は小さく、です」とシンパイが言った。自分も、小さい声だった。

二羽目が、いなかった。

ミコは、通路をゆっくり一周した。網の中の木を、一本ずつ見上げた。枝のつけ根。葉のかたまり。高いところの灯りのまわり。

フクロウの形をしたものは、コマメだけだった。

一周して、コマメの前に戻ってきた。看板には〈2羽〉とあった。

本部で、シンパイがホワイトボードに書いた。

〈寝室にいる〉
〈今日は休み〉
〈見落とし〉

「三つです」とシンパイは言った。

キオクがリモコンを押した。モニターに、入口の看板が映った。〈本日の〉の字のところで、一時停止した。

「〈本日の〉、です」とキオクは言った。「今日、二羽、と書いてあります。休みなら、書きなおすと思います。思います、です」

「寝室にいるかもしれません」

「それも、あります」

通路の先から、ゆっくりした足音がした。白髪まじりの男の人が、腕に〈ゆうべ係〉という布の腕章をつけて、歩いてきた。手に、足もとだけを照らす、小さな赤いライトを持っていた。ライトは、ずっと通路の板のほうを向いていた。

男の人は、ミコの横で立ちどまって、コマメを見て、小さくうなずいた。

本部で、シンパイが〈話しかける?〉と書いた。それから、〈話しかけなくてもいい〉と書いた。

ミコは、少しだけ息を吸った。

「あの」と、ミコは小さな声で言った。「ハッカは、今日は、寝室ですか」

男の人は、ミコを見て、それから、なぜか少しうれしそうな顔をした。

「いえ、出てます」と男の人は言った。やはり、小さな声だった。「出てるはずなんです。ハッカは、木の色がうまいんですよ。じっとしてると、幹とまったく見分けがつかない」

「どのへんに」

「それが」男の人は、網の奥を見上げて、首の後ろをかいた。「ぼくも、今日はまだ見つけてないんです。七時からずっと、ここを回ってるのに」

「……係の人なのに」

言ってから、ミコは口を押さえた。

男の人は、声を出さずに笑った。

「係なのに、です。ぼくは、ハッカのほうが好きなんですけどね。コマメはいつも手前で寝ててくれるから、お客さんにはコマメが人気で」男の人は、赤いライトを板に向けたまま、網の奥をもう一回見た。「ライトで探せば、すぐなんでしょうけど。向けちゃいけないので」

「はい」

「目が慣れると、見えることがありますよ。ありますよ、です。見えないこともあります」

男の人は、そう言って、通路の先へゆっくり歩いていった。

本部で、シンパイが〈見落とし〉に丸をつけた。

通路の、コマメのちょうど向かいに、木のベンチが一つあった。

ミコは、そこに座った。

ハッカを探すなら、もう一周するべきだった。シンパイはそう言った。奥のほうの木から、順番に見ていくべきです。

「わたしは、ここがいいです」とネムイが言った。

ネムイは、パイプ椅子から立たなかった。モニターのコマメを見ていた。

「コマメさんの寝顔は、今しか見られません」

「さっき、レッサーパンダでも、そう言いました」とシンパイが言った。「それで、ゾウの背中になりました」

「はい」ネムイは、うなずいた。「ゾウさんの背中は、よかったです」

シンパイは、マーカーのふたを閉めて、開けて、また閉めた。

ミコは、ベンチに座ったまま、コマメを見ていた。

コマメは、ときどき、ほんの少しだけ体の向きを変えた。羽をふくらませて、しぼませた。まぶたは、ずっと閉じたままだった。

本部の中も、だんだん静かになっていった。

最初に寝たのは、ダイジョブだった。黄色い上着の前を合わせて、床に座って、壁によりかかって、いつのまにか口を少し開けていた。

次が、ハラヘッタだった。ホットドッグがお腹にたまって、まるいお腹の上で手を組んで、ゆっくり目を閉じた。

シンパイは、ホワイトボードの前に立ったまま、マーカーを持ったまま、頭が、こくり、こくり、と前に揺れはじめた。〈見落とし〉の丸の横に、何か書こうとして、細い線が一本だけ、ふらふらと下へのびた。

キオクだけが、リモコンを持って、丸い眼鏡の奥でまばたきをしていた。

ネムイは、起きていた。

モニターの前で、背すじを伸ばして、コマメの寝顔を見ていた。うれしそうだった。誰にも何も言わなかった。

ミコの頭の中の会議室。眠るフクロウの画面の前でネムイだけが目を開き、残る四人は眠ったり、うとうとしたりしている。

目が、慣れていた。

ミコは、そのことに、しばらく気づかなかった。

さっきまで黒いかたまりにしか見えなかった奥の木が、いつのまにか、幹と枝と、葉のかたまりに分かれて見えていた。幹の表面の、でこぼこ。枝の折れたあと。網の中のぼんやりした灯りが、幹のはしを、うすく照らしていた。

ミコは、コマメの頭の上を通りこして、奥の木を見上げた。

まんなかの、いちばん太い幹。その途中に、昔、枝が折れたらしい短い出っぱりがあった。その出っぱりの上の、幹の色が、ひとところだけ、まるかった。

まるくて、でこぼこしていなかった。

ミコは、息をとめた。

まるいところの、上のほうに、二つ、うすい色の点があった。

その二つの点が、ゆっくり、閉じた。

それから、ゆっくり、開いた。

「……います」と、本部でキオクが言った。リモコンを持つ手が、少しふるえていた。

ネムイが、モニターの前で、両手で口を押さえた。

フクロウだった。木の幹とまったく同じ色の羽で、幹の出っぱりにのって、目を開けていた。丸い目だった。ポスターの写真の、あの目だった。

ハッカは、ミコのほうを見ているのか、ミコのうしろの通路を見ているのか、わからなかった。首だけが、ゆっくり、少し、右に回った。また戻った。

ミコは、声を出さなかった。立ちあがりもしなかった。ベンチに座ったまま、両手をひざの上で握って、見ていた。

網の外のベンチで静かに見上げるミコ。手前の低い枝でコマメが目を閉じ、奥の幹には目を開いたハッカがいる。

通路の先から、ゆっくりした足音が戻ってきた。〈ゆうべ係〉の男の人だった。赤いライトは、ずっと板を照らしていた。

ミコは、ベンチから少しだけ身を傾けて、男の人のほうを見た。それから、ライトを持っていない自分の手で、奥の木を指した。いちばん太い幹の、折れたあとの、上。

男の人は、ミコの指の先を見上げた。

しばらく、何も起きなかった。

それから、男の人の口が、ゆっくり開いた。

「……あ」と男の人は言った。ほとんど息だけだった。「いた」

男の人は、ミコの横に、そっと立った。二人で、しばらく同じところを見上げていた。

ハッカは、もう一回、ゆっくりまばたきをした。

「ありがとうございます」と男の人は、とても小さい声で言った。「今日、いちばん、うれしいです」

ミコは、何と言えばいいのかわからなかったので、うなずいた。

第五章 おやすみの係

八時三十九分に、森の天井の、どこかについている小さなスピーカーから、低い声がした。

〈スタンプの交換所は、二十時五十分までです。閉園は、二十一時です〉

〈ゆうべ係〉の人の声ではなかった。もっと遠くから、園じゅうに流れている声だった。

本部で、シンパイがびくっと目を覚ました。マーカーを持ったまま、ホワイトボードを見た。ふらふらと下にのびた線を見て、自分で消した。

「二十時五十分」とシンパイは言った。声がかすれていた。「出口から正門まで、地図だと」

「八分です」とキオクが言った。「歩いて」

「出口を八時四十分に出て、八分歩けば」

「四十八分です」とキオクは言った。今度は、言った。

ミコは、ベンチから立ちあがった。

もう一回だけ、奥の幹を見上げた。ハッカは、まだそこにいた。目を開けていた。

手前の枝で、コマメは、ずっと寝ていた。

ネムイが、モニターの前で、小さく手を振った。コマメにか、ハッカにか、わからなかった。

「おやすみなさい」とネムイは言った。それから、ハッカのほうを見て、少し考えて、言いなおした。「……いってらっしゃい」

ミコは、男の人に小さく頭を下げて、通路を出口のほうへ歩いた。男の人は、ハッカを見上げたまま、片手を少し上げた。

八時四十分、森の出口の台で、〈フクロウの森〉の丸にスタンプを押した。

目を閉じたフクロウの絵だった。

正門までの道は、足もと灯だけだった。

ミコは、走らなかった。早足でもなかった。少しだけ、ふつうより速く歩いた。坂の途中で、屋台のテントが、もう片付けを始めているのが見えた。電球の列が、一つずつ消えていった。

正門の横の交換所には、受付にいた紺のポロシャツの女の人がいた。机の上に、小さな箱が置いてあった。

「お願いします」

ミコはカードを出した。女の人は、五つの丸を一つずつ指でたどって、「はい、五つ」と言った。カードのすみに、小さなパンチで穴を一つ開けて、ミコに返した。

それから箱の中から、シールを一枚出した。

丸いシールに、フクロウの顔が描いてあった。目を閉じていた。羽のしま模様の描きかたが、さっき見たコマメにそっくりだった。

「コマメの寝顔シールです」と女の人は言った。「八時四十八分。ぎりぎりでしたね」

「森に、いました」

「ああ」女の人は、なにか知っているような顔で笑った。「コマメ、寝てたでしょう」

「はい」とミコは言った。「ハッカは、起きてました」

女の人は、目を少し大きくした。「見つけたんですか」

「係の人と」

女の人は、へえ、と言って、それ以上は何も聞かなかった。

本部で、キオクが、リモコンのいちばん端のボタンを押した。

「保存しました」とキオクは言った。

「何をですか」とシンパイが聞いた。

「ハッカさんの、目です」キオクは眼鏡を押しあげた。「シールには、ありませんので」

九時ちょうどに、ミコは正門を出た。

門の上の横断幕の三日月は、暗くて、もう見えなかった。正門前のバス停には、七、八人が並んでいた。

九時十二分の最終バスに乗った。うしろから二番目の、窓側の席に座った。ICカードを当てたときの、ぴっ、という音が、昼間より大きく聞こえた。

ミコはスマホを出した。

〈夜の動物園に来てた。フクロウ、二羽いた〉

ゆかりに送ってから、すぐに返事が来た。

〈なんそれ 写真は?〉

〈森の中は撮影禁止〉

〈ずるい。見たもん勝ちやん〉

少しして、もう一つ来た。

〈ほかは?〉

ミコは、五時半のキリンの写真を送った。紫色の舌が、葉のあいだに少し写っているもの。

〈首ながっ〉

〈舌も長い〉

〈舌見えん。どこ〉

〈葉っぱのとこ〉

〈あ、おった。なんそれ、紫やん〉

ミコは、スマホを持ったまま、少し笑った。それから、カードとシールのことも書こうとして、指が止まった。

まぶたが、重かった。

本部では、ダイジョブとハラヘッタが、また寝ていた。シンパイは、ホワイトボードの前の床に座りこんで、ボードに背中をつけて、目を閉じていた。キオクの眼鏡が、鼻の先までずり落ちていた。

ネムイだけが、起きていた。

モニターの前に立って、バスの窓の外を流れる、知っている町の灯りを見ていた。

ミコの頭が、窓のほうへ、こくり、と傾いた。

「次です」とネムイが言った。

ミコは、目を開けた。

車内の表示に、ミコの降りる停留所の名前が出ていた。ミコは、手を伸ばして、降車ボタンを押した。ぴんぽん、と鳴った。

「……ありがとう」と、ミコは口の中で言った。

「どういたしまして」とネムイは言った。「夜は、わたしの係です」

三〇二号室の鍵を開けたのは、九時四十分すぎだった。

ミコは、青緑の上着を脱いで、椅子の背にかけた。トートから、半分残った麦茶と、メモ帳と、スタンプカードを出した。

メモ帳を開いた。〈暗くなってから フクロウの森〉の行の横に、コマメの寝顔シールを貼った。目を閉じたフクロウが、ページの上で、まるくなった。

その下に、ボールペンで、小さく書いた。

〈ハッカ 起きてた〉

カードは、メモ帳のそのページに、はさんだ。五つの丸と、すみの小さな穴。

本部で、ネムイがパイプ椅子に戻った。

モニターには、キオクの保存した、二つの丸い目が、一時停止で映っていた。ネムイは、それをしばらく見ていた。

それから、濃紺のフードを、頭の上まで引っぱった。

「おやすみなさい」とネムイは言った。

今度は、誰も返事をしなかった。四人とも、とっくに眠っていた。

ネムイも、すぐに静かになった。

ミコは、台所の電気を消した。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、読みたくなったときに。次の物語を探す

ミコシリーズを、つづけて。

第24話 / 25話公開中